第十五章:道具の『処分』と、新たな『素材』
(寛永二年・江戸城 西ノ丸)
忠長が「檻」に収容されてから、数日が経過した。 あの嵐のような絶叫は、今や、諦観に似た不気味な沈黙に変わっていた。
家光は、書院に、老中・酒井雅楽頭忠世を召していた。 家光の「犬」となることを誓わされた古狸である。
「……酒井」 家光は、政務の書状から目を上げずに、静かに問うた。
「はっ。ここに」 酒井は、もはや忠長派の首魁(しゅかい)であった頃の面影はなく、ただただ主君の次の一言を待つ、有能な「道具」の顔をしていた。
「弟・忠長の『処分』について、父上(=秀忠)の御内意が、柳生を通じ、公のものとなった」 家光は、淡々と事実を告げる。 「表向きの理由は、『駿河領内における乱行、および幕法を軽んじた度重なる奇行』。……異論はないな」
「……もったいなき、お言葉にございます」 酒井は、即座に平伏した。 彼は、この数日で、家光が仕掛けた「罠」の全貌を理解していた。
父・秀忠は、『偽書』の一件以来、『蜜』に溺れ、江と忠長の存在を「政治的に」黙殺し始めた。 そこへ、家光の「犬」となった酒井が、『原本の密書』を秀忠に「上申」した。 息子の「謀反」の決定的な証拠を突きつけられ、さらに妻・江への「裏切り」の怒りが重なった秀忠は、ついに折れた。 彼は、忠長への「愛情」を、徳川宗家の当主として「切り捨てた」。 家光が要求した「忠長の処分(=改易と蟄居(ちっきょ))」を、大御所として「裁可」したのだ。
家光の言う「処分」が、ここから数年、あるいは十年をかけた、冷徹な「政治的・社会的抹殺プロセス」の開始であることを、酒井は骨身に沁みて理解していた。
「さて、酒井」 家光は、本題に入った。 「その忠長の『処分』の後始末。……お前がやれ」
「……!」 酒井の肩が、わずかに震えた。
「駿河五十五万石の没収。家臣団の解体と再配置。 ……すべて、元・忠長派の筆頭であった、お前が仕切るのだ」
それは、悪魔の所業だった。 忠長に「夢」を見せた張本人に、その「夢」の後片付けを、最も屈辱的な形で命じたのだ。
「……これ以上ない『忠誠の証』となろう。違うか」 家光が、冷ややかに笑う。
「……は。ははっ……!」 酒井は、床に額を擦りつけ、乾いた笑いを含んだ声で、それを受け入れた。 「この酒井忠世、身命を賭して、必ずや……!」 古狸は、自らの手で、かつての「虎」の皮を剥ぐことを誓わされた。
(同日・夜。影のアジト)
「内なるバグ」の処分に目処をつけた家光は、その夜、密かにアジトを訪れていた。 そこには、蔵人と薄雲が控えていた。 『牙』は、家光の「ギフト」による驚異的な回復を見せ、すでに次の任務に備えていた。
「蔵人」 家光は、本堂の暗闇に告げた。 「『影』の『素材』が、不足している」
「……と、仰いますと?」
「『牙』たちは、最強の『刃』だ。だが、教養と作法を要とする、諸大名の奥深くに入り込むには、育てるのに時間がかかりすぎる」
家光は、『お絹』が見せた「覚悟」と、その「素材としての優秀さ」を思い出していた。 (……あの『お絹』のような、『武家』の教育を受けた『素材』が、もっと必要だ)
家光は、「新たな供給源」について、蔵人に命じた。
「この国の『しきたり』は、非人だけではなく、高貴な女をも『生ける屍』にする」 「……蔵人。江戸と京の『尼寺(あまでら)』を洗え」
「……尼寺、でございますか」 蔵人の目が、わずかに動いた。
「そうだ」 家光は、冷徹に「素材の定義」を告げる。 「『家の恥』として、世から消された女たちだ。 ……政略結婚に敗れた者。 ……あるいは、心中未遂などで、家の名に泥を塗った、武家や公家の娘たち」
隣に控える薄雲が、その言葉に、ピクリと反応した。 (……『しきたり』に、殺された女……)
「彼女たちは」と家光は続けた。 「非人たちと同じく、『社会的に抹殺された』存在だ。 だが、非人たちと違い、読み書き、作法、教養、そのすべてを身につけている」 「……これ以上ない、『上質な素材』だ」
蔵人は、その構想の恐ろしさに、思わず背筋が冷たくなるのを感じていた。 非人たちの「神への狂信」とは、また別の……。 「……動機は、『復讐』、にございますな」
「そうだ」 家光は、頷いた。
「余は、彼女たちに『取引』を提示する。 『牙』たちにしたのと、全く同じだ」
家光は、その尼寺の女たちに語りかけるかのように、虚空に言った。 「『家の恥』として、ここで青い空を見ながら朽ち果てるか。 それとも、俺の『影』となり、お前たちを捨てた『しきたり』そのものを、内側から支配する力を手に入れるか。……選べ、と」
「……『霞』に命じます」 蔵人は、即座に平伏した。 「江戸中の尼寺を洗い、その『素材』の名簿を、三日のうちに御前へ」
家光は、満足そうに頷くと、薄雲に向き直った。 「薄雲。お前の『毒』が、さらに必要になる。 ……素材が、間もなく届くぞ」
「御意」 薄雲は、妖艶に微笑み、深々と頭を垂れた。
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