燃える聖地

 ベルに先導されるまま、ニュムパエアの街をひた走る。

 さっきまでは、気が動転していて気が回らなかったけれど、ニュムパエアの白い建築群、そのあちこちで火の手が上がっていた。街には必死で消化活動を行おうとする人、ニュムパエアに張り巡らされた水路に飛び込んで泳いで逃げていく人、傷つき地面に倒れている人、戸惑う水竜族でいっぱいだった。

 式典を迎えて、あんなに活気に湧いていたのに。

 私とベルは街の人達を追っ手との戦闘に巻き込まないように、人気の少ない路地を選んで隠れ隠れ走り続けた。


「街が、ニュムパエアが燃えてる……」


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。と、こんな時なのに物思いに耽ってしまっていると、先を走っていたベルは足を止めて腕で私の行手を遮った。

 ベルは口元で人差し指を立てて、『しーっ』ってすると、物陰に隠れて、辺りを伺い始めた。私もそれに習ってベルにくっつくようにして、屈んで中腰になる。

 ベルがハンドサインで物影の向こうを示すものだから、私も恐る恐る覗き込むと、いた。


「水の巫女はどこだ! 出てこい!」

「よく探せ! 絶対に見つけるんだ!」


 通りの方で火竜族達が怒鳴り声を上げながら辺りを飛び回っていた。

 そこは元はバザールだった。私もロマの授業をサボった時こっそり買い食いさせてもらってたこともある。

 けど、今は商品だったものや屋台だっただろう廃材が焦げつきながら散らばって見るも無惨だった。

 ひどい……。知っている場所の変わり果てた姿に、私は胸を抑えることしかできない。

 火竜族は街に火を放ちながら、私を探し回っているようだった。私を炙り出そうって魂胆なのかな。


「どうしよう。まだ私のこと探してる」

「これは……、この街から離れないといけないな」


 私を見つけるまで探し続けるつもりだったらどうしよう。だとすると、この街にはいられない。この街のどこかに隠れても隠れた先にもきっと迷惑をかけてしまう。

 なら、どこか遠くへ身を隠さなきゃいけないのも道理で。

 でも、この先もベルとずっと二人で? きっと信頼できるとは言えまだ知り合ったばかりの人と? ……せめてトリスがいてくれたら──。

 そこで私はハッと気づいた。


「──トリス! トリスを助けなきゃ!」

「トリス?」


 なんで忘れてたんだろう。

 私は隠れてたのを忘れて、声を上げてしまう。

 ベルは慌てたように私の肩を押さえつけて落ち着かせる。

 幸い、隠れているうちに火竜族は去っていたようだけれど。

 でも、私は逸る気持ちが募って落ち着いてなんていられなかった。


「私の従者なの!」


 言いながら、きっとトリスはまだ宮殿のどこかにいるだろうことに気づく。

 トリスは大人しい子だからきっとどこにも行けないで怯えてる。

 それとも誰かが逃がしてくれてるだろうか。

 どっちにしろ、トリスには私がいてあげなきゃ──。


「戻らなきゃ!」

「ダメだ」


 戻ろうと立ち上がって駆け出そうとした私の腕をしっかりとベルが掴んでいた。

 だけど、私はその言葉だけは聞けなかった。


「でも!」

「火竜族はシャスカ。君が狙いだ」

「そんなの関係ない!」

「ある。君が戻ったら水竜族は君を守らないといけなくなる」


 取り乱す私とは対照的に、ベルは落ち着いた声音で諭すように制止を繰り返す。

 そして、ベルは数瞬ためらって言いにくそうにしながらもこう付け加えた。


「それに戻っても君にできることはない」

「っ!」


 それはつまりお前は足手纏いだと言われているわけで。

 私はその言葉に力無く腕を垂らして、ベルも引き止めるために掴んでいた腕を放した。

 実際、その通りなことは私にも分かる。

 戦うのが怖くて、今だって水の加護を授ける魔法しか扱えていない。あんなに魔法を習ったのに、この体たらく。

 だからロマは私をベルに任せてあの場に一人残ったのだ。

 あの場の他の傷ついた水竜族を守るために。


「私、水の巫女なのに……」


 私は悔しさから下唇を噛んだ。


(どうして? ロマのお小言に嫌気がさして、勉強や修行をちょっとサボったりしたから? でも、こんなの。こんなの──)


 あんまりだ。と、涙が今にも溢れそうになった時。


「そうだ。君は水の巫女だ」

「え?」


 私はベルの言葉に顔を上げた。

 ベルは私にしっかり言い聞かせるように今度は両肩をしっかり掴んだ。


「君が生き延びさえすれば街もまた昔のように元気を取り戻すだろう。なぜなら、君は水の巫女。水竜族の象徴なんだから。だから、君が今やるべきは生き延びることだ」

「私のやるべきことは生き延びること……」


 ベルの言葉を反芻する。

 それはささやかだけれどこんな状況の中で見えるたった一筋の光明のように思えた。

 私が生きてさえいれば、ニュムパエアは元に戻る。

 私はやっと落ち着いて平静さを取り戻すことができた。

 この場を離れ生き延びること、それがいま私にできる唯一のことだと理解できたから。


「まず、船着場に行こう」


 私が落ち着きを取り戻したことを確認できたベルは海の方を指差した。

 船着場?


「翼を持たない俺たちが水上都市ニュムパエアから出るにはそこしかない」


 あ、そっか。

 トリスや街を襲った火竜族は翼をみんな持っていたけれど、同じ竜族でもロマや地竜族のベルは翼がない。竜族でも個体差があって、地を這う私たちはそのままじゃ水上都市、海に浮かぶ都からは出れないのだった。言われてみれば当たり前だ。ニュムパエアから出たことのない私はそのことをいま初めて思い知った。

 そうと決まれば、私たちは船着場を目指し始めた。

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