ACT.39 決着

 赤城──上りセクション中腹。

 草加の目が細められる。


「助けられた命で子どもたちを守ってるが……恩が返ったとは思っていない」


「返さなくていい」


 乾はぽつりと返す。


「……あの時の“私”は、何も考えてなかった。ただ、レーサーとして同じコースを走ってた奴が燃えてる。それだけだ。でも、私はその後、お前の背中を……何度も夢に見た。炎の中で叫んでる、お前の声をな」


 草加の拳が、無意識に震えていた。

 それを見て、乾はふっと笑う。


「お前の弟子、雅。悪くねぇ走りだった」


「……当然だ。あの子は、私が“父親として育てた”ドライバーだ」


「だったら、負けてよかったんじゃねぇか?」


「……何?」


「オオサキの勝ちで、お前はまた“お前の火”に怯えずに済んだ。なあ、草加──今でも本当は、アクセル踏みたいんだろ?」


 乾の声には怒気も憐れみもない。ただ、静かで重い事実だけがあった。


「……15分。たった15分の走りで死ねる身体だ」


「それでも、走りたくなるのがレーサーって奴じゃねぇのか」


 乾の言葉に、草加は顔を背けた。


 静かに、赤城の木々が揺れる。

 その向こう、おれの180SXが──ついに、マークIIをアウトから抜き去った。


「……見事だな。まるで、お前に似てる」


「……あいつは俺じゃねぇよ」


 乾の声は、ほんの少しだけ震えていた。


「オオサキは、俺が諦めたものを、まだ諦めてねぇ。……だから、負ける気がしなかった」


 二人は、それ以上言葉を交わさなかった。

 ただ、遠くで180SXのテールランプを見つめていた。


 かつて獣だった男たちの瞳に、

 あの夜だけは──灯火のような希望が、確かに灯っていた。


 バトルの熱は冷めずとも、空には薄明かりが滲み始め、

峠の木々が静かにその緊張をほどいていく。


 深夜の山肌に3台のマシンが響かせるエンジン音は、戦場の咆哮から精密な楽器の演奏へと変わっていた。


 ザァァン……ッ!


 登りの1速~2速、急勾配の立ち上がり。

 その瞬間、黒のJZA80スープラが爆発的なローギアードで前に出る。


 赤城サクラゾーン


 空気が張り詰めている。

 このセクションは赤城でも特に「喰いつくか、吹っ飛ぶか」が分かれる鬼門。

 ギャラリーしている秋山はガードレールの外、斜面に腰を下ろし、携帯の騒音録音を切っていた。


「……来る。」


 山の奥から獣の咆哮にも似た2JZの怒号と、スリムなボディが撒き散らすタービンの金属音。

 最初に現れたのは、サクラのJZA80スープラ。

 片目に隠れた前髪、トンネルを抜けた直後の冷たい反射光を浴び、車体は正確にインへ飛び込んでくる。


(あの重さで、あのライン取り……ブレーキを残して、尻が逃げるのを先読みしてる。頭だけじゃなく体で“止めてる”んだな)


 続いて。赤髪ハーフアップ、疾風の180SX。


 音は一段静か。だが、速い。

 アウト→ミドル→イン。タイヤの縁を撫でるようなトレースで、走りに**“乱れ”が一切ない**。


(……あたしの走りじゃ追いつけないかも)


 秋山はその事実に驚きながらも、なぜか笑っていた。


 オオサキの走りには“意思”があった。ただ抜くためでも、勝つためでもなく、そこにある道を「自分のもの」にする意志。


 追ってるくせに、追われてる側のような気迫がある。


 そして、九一三雅のJZX90マークIIが登場。

 咆哮はさらに太く、無遠慮なまでにインをえぐってくる。が――


「やりすぎだよ、あれは……!」

 秋山は眉をひそめた。


 明らかに突っ込み過ぎだ。リヤが横流れしてアンダーを打ち消す“芝居”は見えるが、クルマに無理をさせ過ぎている。

 直後の小さなバンプで、90マークIIの左リアが浮いた。ドリフトに見せかけたグリップ潰し。


(…あのライン、オオサキが見てたら……喰いつかれる)


 90マークIIが秋山の前を過ぎていく。


「こりゃ、面白くなってきた」


 ガードレールの奥で小さく囁いたその声は、ブロワー音にかき消されていった。


「……今なら──ッ!」


 葛西サクラの指先がステアリングを握り直す。

 ターボ378馬力、軽めのギア比で詰めたローギアード仕様。

 その出足の強さが、180SXを引き離す。


 だが──長くはもたなかった。


「……くっ、ギアが合わない!」


 中速セクション、パワーバンドを外れた回転数。ローギア仕様が牙を剥き、加速が鈍る。


 わずか一瞬。

 しかしおれは、その“音”を聞き逃さなかった。


「来ると思った……ここしかない──回転、落とすな……!」


 おれのワンエイティが滑らかにギアを繋げる。

 RB26のトルク特性を熟知した右足で、絶妙な回転維持。

 Z32で磨いたラインの再現性と、軽量FRの素直な応答性。


 おれは迷わず、インを突いた。


「ぬ、抜かれた……ッ!」


 サクラがステアを握る手に力がこもる。

 コクピットの中、彼女は歯を食いしばった。


  追うサクラ、崩れぬおれ


 サクラの目には、赤髪の影がまた遠ざかっていくのが見えた。

 一度は倒された、そして今日も一度抜いたはずの相手が──また前に立っている。


「……まだ勝負は終わってないぞ、オオサキ」


 JZA80のアクセルが床まで踏み込まれる。

 だが、ギアの選択肢が限られる。

 トルクはあっても伸びが足りない。

 赤城の上りは、狂ったように牙をむく。正確さと“耐える技術”がすべてを決める。


 前方──おれの180SXが揺るがない。

 重心移動も、ラインも、全てが冷静。

 サイドミラーの中の雅も、まだ迫ってこない。


 おれは、ただひたすらに集中していた。


「サクラ。……今のおれは、もう“追う側”じゃあない。自分でこのコースを切り開く」


 その声は、クルマと一体になっていた。

 ブレーキとアクセル、すべての動作が無駄なく、音のように流れる。


 現在の順位状況:


 1位:大崎翔子(180SX・400馬力)

 冷静なギア選択とライン取りで先頭キープ


 2位:葛西サクラ(スープラ・378馬力)

 ローギアードの恩恵が消え、失速中


 3位:九一三雅(マークII・490馬力)

 依然パワーを活かしつつも、最終セクションにて反撃を狙う。


 第2高速区間。

 ジグザグゾーンを抜けたあたりから、雅はおれたちを虎視眈々と狙い、右足をアクセルに集中させる。


「ここから行かせてくれないかしら」


 まず、ローギアードが裏目に出て失速中のサクラのJZA80の前を出る。


「非力さと低速重視のギアが裏目に出たか……」


 さらに前を走るおれまでを狙っていき、490馬力のパワーでワンエイティと頭を並べる。


「先を行かせるわけには行かない」


 サイド・バイ・サイドのまま、ハンマーヘッドへ突入。

 90マークIIの方が内側の位置におり、そこを抜けると1位へ踊り出た。


「パワーの差が出たか、もう後がない!」


 上り最終セクション──

 赤城の“終盤の戦場”。

 残りは数カーブ。ゴールはもう目前だった。


 夜風が切り裂かれ、3台のマシンが峠に火を刻む。

 先頭は九一三雅のJZX90マークII。

 490馬力の爆発的な加速。

 車体がうねるようにコーナーを食い、彼女はトップを死守しようとしていた。


「来ないでほしいかしら……大崎翔子……ここまで来て、“また”奪われたくないの……!」


 ミラーに映る赤い光。

 おれの180SXが、まるで風そのもののように滑らかに近づいてくる。


「……見えてる。全部見えてるんだ、雅」


 おれの目は、もう路面しか見ていない。

 照明も、月光も、ライバルの存在すらも、全てが背景になっていた。

 残されたコーナーの角度、路面の傾斜、わずかなバンプ──

 すべてが、彼女の脳内にラインの地図を描き出す。


 乾健人さんに叩き込まれた“本当のグリップ”。

 パワーに頼らず、タイヤの接地力で勝つ走り。


 そしてその意思が、

 最終コーナーである右ヘアピンで牙を剥いた。


「インは……閉じられてる。でも、まだ道はある!」


 おれはハンドルを切る。

 アウト側から、躊躇なく突っ込んだ。

 スリップラインの外。

 舗装が荒く、わずかに濡れている。だが、それでも構わなかった。


「なっ……!? 外から!?」


 雅のマークIIがわずかに揺れる。

 リアが荷重に負け、少しだけ姿勢が崩れる。

 その一瞬を見逃さず──


 おれの180SXが、90マークIIの前に躍り出た。


「……抜かれた……いや、まだ、まだ──っ!」


 雅が追いすがる。

 だが、もう足りない。

 400馬力の軽量FR、おれの走りに無駄が一切なかった。


 最終直線。

 RB26が最後の咆哮を上げ、おれの180SXが一歩先に──。

 ゴールラインを突き抜けた。


 その瞬間、マシンを停めるおれ。

 額に滲んだ汗が、冷えた夜風に吹かれる。

 口元が、ようやくほころんだ。


「勝った……!」


 数秒後、雅の90マークIIが続き、さらにサクラのJZA80も滑り込んでくる。


【最終順位】


 1位:大崎翔子(180SX・400馬力)

 2位:九一三雅(JZX90・490馬力)

 3位:葛西サクラ(JZA80・378馬力)


 この結果を聞いて、熊久保は驚きのあまり、言葉を失う。


「九一三雅にリベンジした上に、DUSTWAYのナンバー2の葛西サクラに2度も勝つとはすごいなぁ」


 川畑の顔には鳥肌が立っていた。


「このまま赤城最速の雨原芽来夜を倒すかもしれないね」


 小鳥遊の目には輝きを放っていた。


「糞(シット)ォ! サクラ姉ちゃんが2回も負けたぜェ!」


「負けちゃったね……サクラ姉ちゃん」

 

 ヒマワリとモミジは姉の敗北に悔しがっていた。

 悔しがるあまり、それぞれの愛車に乗り込んで誰よりも先に帰っていく。


「これでオオサキちゃんと戦えるのはあたしだけしかいなくなった」


 この後、雨原はFDに乗り込み上の方へ向かった。


「サクラの2回も倒すとは、流石だなオオサキ。私もお前の走りを育てた甲斐があったぞ」


 智は弟子の勝利に誇らしく思うのだった。


 折り返し地点前の駐車場…。

 ウメは、サクラの敗北を上からの情報で知る。


「今回の作戦は誤算だったわ。やっぱ上には上がいるのよ……」


 スタート地点兼ゴール地点前。

 バトルをした2人はそれぞれのクルマから降ると、会話を交わす。


「オレにはお前に勝つことなんて無理だと分かったよ……前よりも速くなったぞ……」


「いえいえ、君だって前よりも速くなった。あの中盤……正直、抜かれるかと思った」


「そうか……お前はいつか雨原さんを越えそうだな……」


 会話が終わると、サクラはJZA80に乗り込んで帰っていく。

 クルマの中で彼女はこんな事を考えていた。


「あいつは……雨原さんに代わって赤城最速になるかもしれない……」


 予言は的中するのだろうか?



 赤城の夜が終わろうとしていた。


 バトルの熱は冷めずとも、空には薄明かりが滲み始め、峠の木々が静かにその緊張をほどいていく。


 ゴールラインから少し離れた、かつてギャラリーが詰めかけていた中腹のその場所に、年齢も境遇も異なる四人の走り屋が立っていた。


 葛西ウメ(元・赤城の黒き猛獣)

 斎藤智(元・伝説の覚醒走り屋)

 草加幸平(かつて炎をくぐったGTファイター)

 乾健人(戦場を歩いた孤高のラリースト)


 それはまさに、“火を背負ってきた者たち”の集結だった。


「……三人とも、いい走りだったわね」


 最初に口を開いたのはウメ。

 冷静な口調ながら、唇の端には確かに熱があった。


「サクラも、ようやく“自分の足で火を踏める”ようになってきた。

あの子、もう私の背中じゃなくて、走りそのものを見てる。……少しだけ、誇らしいわ」


「オオサキも同じだ」


 智が頷く。


「勝ちに行く走りじゃなくて、“見せるための走り”になっていた。

相手の技を否定せず、自分の意志で上書きしていく。あれはもう“弟子”じゃあない、ひとりの“走り屋”」


「……雅も悪くなかった」


 ウメと智が視線を向けると、草加は夜の闇の奥を見たまま、静かに言葉を続けた。


「負けたとき、奴の目から“反射的な怒り”が消えていた。悔しさの中に、納得と学びがあった。……それだけで十分だ。あれは“私の走り”じゃない。“あいつ自身の走り”になりつつある」


「……らしくねーな、お前がそこまで言うなんて」


 乾が缶コーヒーを開けながら鼻で笑う。


「ふん、アンタが弟子を育てる方が似合ってないだろ」


「うるせぇよ。俺はただ……火を見てるだけだ。ちゃんと“燃えてるか”どうか」


「……じゃあ、こうしようか」


 唐突に、智が言う。


「このまま、それぞれの娘や弟子を“勝手に育てる”時代は終わりよ」


「……は?」


 乾が眉をひそめる。


「互いに競わせるだけじゃなく、横の繋がりを作ろうか。サクラもオオサキも九一三雅も、“一人の走り屋”として共に鍛え、伸ばすために……“走りの未来”を、育成という形で構築するの」


 ウメが腕を組む。


「……それってつまり、“塾”でもやる気?」


「塾じゃ堅すぎる……合宿所だ。走る、食べる、寝る、また走る。

それぞれが自分の“走り”と向き合う場所」


「なら名は要らない。“場”さえあればいい」


「峠じゃない。コースじゃない。

だが、走りのすべてを見直せる“空っぽの場所”が必要だ」


「あるぞ」


 乾がぼそっと言った。


 三人が乾に視線を向ける。


「榛名の裏手に、使われてねぇ旧農道の複合区間がある。舗装も残ってるし、峠に似た勾配も多い。地元の連中からも“走り場”としては忘れられてる」


「そこを整備するっての?」


 ウメが笑う。


「……あんたがやるには地味すぎる仕事ね」


「でも、火を継ぐにはちょうどいい炉だろ」


 乾の声は低かったが、確信を持っていた。


 最後に、智が微笑む


「“継ぐ者”のために、“かつての獣たち”が炉を作る。それ、最高にかっこいいじゃない」


「……まったく、年取ったな、私たちも」


「でも……だからこそ“まだ走れる”」


「……走るために生きるんじゃない。生きるために走る子たちの、土台になるのよ」


「よし、決まりだ」


 翌日、5月17日の日曜日、午前10時

 熱狂から一夜明けた場所に1台のクルマと1人の女がいた。


 それは赤城最速、雨原芽来夜だ。

 彼女は愛車FDと共に朝の大沼を眺めている。


 そこに師匠、ウメがJZA70と共に来る。


「ウメさん、相談があるぜ」


「何?」


「今度やるWHITE.U.F.Oの交流戦が終わったら、オオサキちゃんとバトルをすると決めたんだ」


 雨原の口から衝撃な一言が来たのだった。


TheNextLap

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光速の走り屋オオサキショウコ まとら魔術 @matoramajutsu

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