Case2 混合物悪霊塊
第5話 オラクル・インサニティ
普段から酷使している色褪せた赤いソファーと違い、応接用の黒いソファーは固くて尻が痛む。もしかしたら、単純に慣れていないからかもしれない。
普段寛いでいるリビングはこの家の二階、そして三階には個室がずらりと並んでいる……まあ、真っ当に使われているのは一番広い奥の部屋だけなのだが。
ともあれ、二階と三階が居住スペースな代わりに、一階はしっかり業務用に整えてある。便利屋の事務所、という訳だ。
来客用の応接間は黒いテーブルを黒いソファーが囲む。重々しい雰囲気だったからと端に観葉植物を置いたけど、どうやらナニカを吸って勝手に成長する類の観葉植物だったらしく、最近は配管剥き出しの天井に触れて枝を伸ばし始めた。
大丈夫なのかは知らないが、まあ、多分大丈夫な筈。僕が知らないという事は、
灰色の仕切りの奥にあるのは、仕事用のスペースだ。椅子、机、沢山の書類、資料、書類、資料、あとウン百万のパソコンに、緊急用アンドロイド充電器。
緊急用アンドロイド充電器というのは、緊急時にアンドロイドを充電するという意味ではなく、緊急時にアンドロイドから電力をパクるという意味である。
今の時代、パソコンも超高級品。大昔は数十万で買えたらしいけど、インターネットをあまり個人では使わなくなった結果、専門家向けのハイエンドモデルばかりが発展して結果底値が百万円。
結構ちゃんと稼いでる、というのがおわかり頂けるだろう。
そうそう。
実は僕らの組織名って便利屋じゃなくて、ちゃんとした名前があったりする。
その名も、パラグラヌム隠秘事務所。全く、けったいな名前だよ。
……僕が目を覚ました時には既にこの名前で、開業届もパラなんちゃらで出されていて改名は面倒。過去の自分にも困ったものだ。
「────で。こんな場末の便利屋に、大企業の……エリートなお方が……何の用だって?」
パッと見で分かる上等なスーツに身を包んだ女性は手を顎に当て、キュっと首を傾げる。まるで何を言っているのか分からないとでも言いたげな仕草。
白いポニーテールがふわりと揺れる。アルラを見ているみたいだ。
僕らが大した組織じゃないって事を知らない、もしくは自分が大した組織の所属であると知らない、そのどちらか。というか恐らく両方。
私は無害です、という顔をした人間が一番有害であるというのは、世界の摂理だ。
『
「黙ろうか。発言の七割がアウトだ、アゾット」
椅子に座る僕の横で突っ立っていたアンドロイドは、停止命令を聞き届けて音声の再生を終了する。訂正しよう、私は無害です、という顔をした人間と機械はどちらも有害だ。
ヴィクター社汎用アンドロイドモデルF-1818、登録名アゾット。彼女の肌は機械的な白さを放ち、一切の部位が存在しないノッペラボウの頭部と、百九十センチメートルもある身長が特徴。
汎用アンドロイドモデルとある通り、ヴィクター社のアンドロイドは全部この見た目だから、実質的には身長だけがアイデンティティーか。
「ぜんっぜん良いですよ! 可愛いですねー、そちらのアンドロイドさん。特にお顔がキュート。アンドロイドの頭部換装パーツは合法非合法問わず沢山ありますけど、顔を描いた紙を貼り付けるとは恐れ入りました」
「……どうも。……アルラ、ピースしない。『私が描きました』じゃないんだ。お願いします、山田さん。
「あ、すごい。灰吹さん、私が偉業を成し遂げた後のセンパイと同じ顔だ。今度飲み会でもやりませんか、きっと意気投合すると思うんですよねー!」
……確かに、その『センパイ』とやらとは仲良くなれそうだ。
女性の名は山田ソフィー。
悪名高き大企業、オラクル&インサニティ・カンパニーの営業二課の副課長。
先日僕の左手を破壊した
大企業とは関わり合いになりたく無い、なんて考えていた矢先にこれだ、やってられるか。オラクル&インサニティ・カンパニー、略称オライン社なんて大企業界の大企業みたいなものだぞ。
世界で最も影響力のある企業の一つ、世界で最も価値のあるブランドの一つ、世界で最も悪評の多い企業の一つ、そして世界で一番関わりたくないけど商品は有用だし無いと困るから全
何せ、あのフォークロア
そんな会社の営業二課副課長、か。
噂によると、オライン社の営業課は事実上の戦闘部隊。
もしうっかり企業秘密でも漏洩したら、その時は僕ら全員生きたまま海底とコンニチハして、巻き戻しも出来ず永久死亡だろうな。
怖い怖い、これだから大企業は嫌なんだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯
W W W
山田ソフィー氏の言い分によると、今回の依頼は有望なフリーの
緊急性が低いからと言って危険度が低い訳ではないし、予めサツキが言っていた通り、間違いなく面倒な依頼である。
依頼の種類は
対象の名称は
その悪霊クンは、オライン社が前に捕まえた怪物らしい。じゃあどうして逃げ出しているんだい、もしかして結構杜撰な会社? ゾンビパンデミックとか起こしちゃうタイプ? とは流石に言い出せなかった。
ドラゴンみたいに居るのが当たり前となったヤツ、悪霊みたいに自分の意志で世界に立っていられるヤツ、わざわざ観測されなくていい理由は多種多様だが、共通して強く厄介。
当然だ。
少し怖い話として、既に僕らみたいな組織が数個壊滅した、とか言っていたけど。
珍しい話でもないし、気にしなくてもいいだろう。
「その依頼、受けましょう。オラクル&インサニティ・カンパニーとの繋がりは金では買えませんから。僕らで良ければ、喜んで」
オラクル&インサニティ・カンパニーとの繋がりは金を払ってでも遠慮したいが、それはそうと、報酬にオライン社日本支部の保有する好きなアプリと観測対象というのは魅力的すぎて抗えない。
フォークロア
僕が使う『耳なし芳一』とか、アルラの使う『マンドラゴラ』や『端境結界』、あの辺は全部高額のライセンス料を払っているのだ。金の無いヤツは結界も貼れない。
相場は年間数万から数十万、一部の
僕らは良くて中の中。それなりに稼いでそれなりに死んできた。
輝かしい場面なんてない、先遣隊とか炭鉱のカナリアとか、そういう役回りで飯を食っているだけの「便利屋」だよ。
……僕が覚えている限りでは。
「ソフィーさん、白兵戦の方が得意なんだ。意外かも。腕も細いし、遠距離での支援特化だと思ってたよ。流石は大企業、鍛え方も違いそうだね」
「私も驚きですよー、アルラちゃん。マンドラゴラの箱詰めは思い付かなかったなー! 確かに観測のニュアンスは
「勿論。別に周知されても防がれないしね、後で先生と契約すると良いよ」
「ありがとうございまーす。後でセンパイ連れてきますね!」
ソフィー氏はアルラの手を握り、めいっぱいブンブン振って感謝の意を示している。仲が良さそうで何よりだ。アルラは基本引きこもりがちだし、外に出る時も大体僕が一緒だから、同性の友人が出来るのなら実に嬉しい。
「アゾット、おいで。アルラも」
「はーい。いつものだね、先生」
『了解しましたわ。
「うん、違う。アゾットステイ」
応接間の机の横で、僕ら二人と一つはわらわら集まる。
すると気になったのかソフィー氏も此方へ来て、
「知ってますよ、円陣を組むってヤツですよね。おーい、センパーイ!」
件のセンパイとやらを呼び始める。
数秒程度が経過したところで、ガチャリと玄関の扉が開き、普通という概念が構成要素の百パーセントみたいな男が入ってきた。
困ったことに、僕は彼を記述する為の言葉を「普通」の二文字以外に知らない。
普通だ。普通である。どうしようもなく普通だ。
少し太眉かもな、くらい。どこかで繰り返し見た気もするし、似た感覚を誰かで味わった気もするけど、覚えていないという事はどうだって良いのだろう。
「えー、それでは。僕らの仕事の成功を祈って」
五つの拳が軽く合わせられる。賑やかな始まりも、悪くはないな。
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