幕間
第4話 先生
ありきたりで、下らなくて、面白みがなくて、どうしようもない日常。
と、言うと漠然とし過ぎるか。だからって、僕の日常をおはようからおやすみまで日記帳に書き記しても、特に良い事は何もないし。
昔やった事があるから知っている。
記憶も、記録も、曖昧なくらいが丁度いいってね。
特に、命と時間が軽視されるこの国で、積極的に死ぬだけの仕事をするのなら。
どうしてこんな事になったんだったか。政府から仕事が回ってくる様になったのは……母が国家転覆してからだけど、それがキッカケという訳でもない。
道に迷った時は自らの原点を見つめ直せと言うけれど、原点に関する記憶が全部抜け落ちている以上、僕は生涯迷い続けるのだろう。
世界が退屈である、と言うのは自己紹介の様なものだ。
自分は退屈な人間である、と言っているの等しいのだから。
「────灰吹タカヤ。年齢……二十四、らしい。男性。第四都市、中央部の真刹市在住。職業、便利屋。年収不定。友人、無し。仲間、一人と一つ」
周囲に人が居ない事を確認して、寒空の下小声で呟く。
ここは市民の憩いの場を~とか、景観を維持する為に~とか、そういう理由で作られた四千平方メートル程度の公園空間。適度に花壇と木で区切られ、一区画ごとに一つの木造ベンチと街灯、木に隠して監視カメラが置いてある。
公園というより独房が近いが、それでも、数少ない癒し空間に違いない。
わざわざ人様が座っている場所にずけずけと踏み込むモノ好きも少ないから、僕は定期的に訪れているのだった。一人でしかやりたくない事、ってのもあるからね。
自分が何者かを口に出し、再確認する。
これは一種の信仰、もしくは儀式、あるいは強迫観念的行動だ。
記憶も、記録も、曖昧なくらいが丁度いいとは思っているけど……流石に曖昧すぎると日常に支障が出てしまう。自宅でやっても問題は無いが、万が一にでもアルラに聞かれてしまっては気不味いし、それに外の空気を吸って気分転換するのは大事だ。
「こんにちは、お久しぶりです、灰吹先生。隣、宜しいですね?」
先置きで断言しないで頂きたい。
外は外で、会いたくない奴に遭遇してしまう事はある。運が悪かったと思ってやり過ごすしかない。友人は居ないが、友人未満の知り合いはそこそこ居る、というのも灰吹タカヤの特徴の一つだ。
「……………………」
「……………………」
逃げる隙を伺いベンチの端へと移動しつつ、不躾な知り合いに視線をやる。
そやつは膝丈まで伸びた蛍光グリーンの髪を乱雑に垂らし、黒いオーバーサイズ気味なパーカーをすっぽりと着た少女だ。見た目は。
見た目が少女である事と、実年齢が少女である事は必ずしも結び付かない。整形技術は人を容易く別人に変えるし、基本的に見た目から年齢を推し量るのは難しい。
現に、僕は彼女の年齢を知らないからね。別に知る手段はあるけれど、そうまでして人の年齢を知りたくないし。
覚えている範囲で始めて会った時、髪と同じ色のエナジードリンクを飲んでいたから、僕は彼女をエナジードリンクの妖精か何かだと推察している。
どうして僕の周囲には髪色が騒がしい人間が多いのだろうか。僕自身と言えば、さしたる特徴のない普通の青年だと思うのだが。
さて。妖精は黒い袖に隠れた手でぱし、と行場を失った僕の手を抑えた。
やはり妙に馴れ馴れしいな。
彼女は……きっと、何らかの大事件途中で知り合った人物なのだろう。
それなりに色々な事が起きて、それなり以上の関係を築いて、そして僕は巻き戻しで綺麗さっぱり忘れた。よくある事だ。
だから「友人未満の知り合い」なのである。
「…………灰吹先生」
「やめてくれないか。本当、皆どうして僕を先生と呼びたがるんだ」
「はあ。医師に対する敬称として先生を使うのは、普通だと思います」
アルラも似たような事を言っていたが、僕は別に医師じゃない。
参ったな。やはり手詰まりだ、これ以上問いただして藪を突付きたくもないし、今日のところも放置しておこう。
正直、小っ恥ずかしいから辞めてほしいのだが。
彼女について、かろうじて名前は知っている。
政府により約一ヶ月の巻き戻しで蘇生された後、家で寛ぐ僕の元へ訪れた彼女が、軽い自己紹介だけを行い去っていったからだ。
「……
「用が無くては雑談も出来ない程に忙しいのでしょうか? 公園で監視カメラに自己紹介、というのは暇を持て余した結果だとばかり」
「肯定はできないかな。……否定もできないけど」
じりじりと、手を確保された状態で距離を詰められる。
気分のいい状況ではない。そもそも、興味のない相手の体に触れる状況なんて、それこそぶん殴る時くらいのもので。
挨拶代わりにハニートラップからの自爆、みたいな事件だって稀に聞く。
嫌だなあ。死んでもどうせ巻き戻しで無事だけど、バックアップを取ったのは五日前だ。六得手寿司には絶対に行くな、という教訓を失うのは頂けない。
「個人的には、ちょっとした雑談がしたくて訪れました。率直に、どうして灰吹先生は正気なんですか? 最近、同僚が発狂して巻き戻されたたんです。原因は私ですけどね。ああ、裁判は終わっているのでお気遣いなく」
ちょっとした雑談で使用していいカロリーの量を余裕で逸脱しているが、生憎逃げたくても逃げられない悲しい
やはり不躾にも程がある。
どうして正気なのかなんて、お前は狂っているべきだと言っているようなものだ。悪意が無いのは分かるが、ただ普通に生きてるだけの僕に失礼だ。
……という風に。
どうやら僕は、怪物になれるらしい。
それ以上の情報はないし、もしかしたら思春期の思い込みとかそういう類かもしれないが、どうやら僕は怪物になれるらしい。
朧気な幼少期の記憶を除けば、一番最初の記憶は自宅のベッドでぼんやりと天井を眺めていた日々について。その時には既に便利屋稼業を始めていたらしく、記憶の空白に関する手掛かりと言えば、ベッド横のミニテーブルに置かれていた手紙と、ある物体のレシピだけだった。
手紙曰く。そのある物体を服用すれば、僕は怪物と化すそうな。
「……忘れる事、じゃないかな。
多分、僕に怪物云々の記憶が無いのも、誰も、というかアルラが僕が死んだ時の話を避けるのも、全て原因は一緒なんだと思う。
いつも僕は怪物になって、いつも絶対に死ぬから記憶に残らなくて、痛ましいその姿を語りたくはなくて。僕一人が真実にそっぽを向かれているみたいだ。
「大事な記憶を沢山落としているのに? 灰吹先生は、それで満足ですか。自分は無知であると自覚したまま生きるなんて、それこそ苦痛ではないですか?」
「うーん。まあ、別に。正直言うとどうでもいい」
「自分が? それとも、他人が?」
「両方じゃないかな。世界が退屈だなんて言える時点で、自分にも他人にも興味が無いんだと思うよ。僕は楽しい事が好きだけど、現実と幻想の境界線が曖昧なこの世界じゃ……楽しい
「なるほど。刹那主義で、臆病者。死ぬと分かっていなければ何も出来ない
僕の手を捉えていたサツキさんの手にグッと力が入り、そのまま、バキ、と。
嫌な音が鳴った。これだから不用意なボディタッチは嫌いなんだ。
肉体を強化する手段は複数あるけど、こりゃ結構な上物だな。安い肉体強化手術だとか、特殊な薬を常飲しているとかではない筈。
しっかし、いやあ、まさか、会話の流れで左手を破壊されるとは。
「……満足したかい?」
「そうですね。今の痛みを覚えて頂けるのなら」
「そりゃ良かった、忘れたくても忘れられないさ。出来れば二度目は辞めてほしい」
「これが三度目です。……はあ。忘れる側はともかく、忘れられる側は気が気じゃありません。……伝え忘れていました」
サツキさんがベンチから立ち上がると、長すぎる蛍光グリーンの髪はワンテンポ遅れて宙へ舞い上がる。邪魔ではないのだろうか。
「私の知り合いが今度、灰吹先生の元を訪れると思います。持ち込むのは面倒な依頼です。間違いなく。報酬が足りなければ私が払うので、受けてあげてください」
「知り合いって、どんな?」
「同じ会社の人です。部署は違いますが、私の後輩なので。先輩らしく根回しを」
「ふーん。まあ、何だっていいさ。来た仕事は大体受けてるんだ」
「それは何よりです。では、そういう事で。お願いします」
そのまま、僕に背を向けて
願わくばこれ以上あまり会いませんように。……それは少し申し訳ないな、忘れてしまっている負い目もある。
せめて僕の骨が無事でありますようにと、僕は何らかの神に祈る。
知り合いから受けた暴力程度で事を荒げるのも馬鹿馬鹿しい世の中だ、殺人だって基本的に罰金刑しか適応されないし。
そういや、サツキさんの勤めている会社って何処だろう。
正直面倒だし、大企業とは関わり合いになりたく無いんだが。フラグではなく。
フラグではなく。
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