第3話 ポラリス・ディザスター

 星というモノは、昔から信仰の対象だ。

 美しくて、輝かしくて、法則に則り、それでいて意味不明。

 正しく神そのもの。いやまあ、星自体を信仰対象にしているケースってのは案外少なくて、大抵は星と神が結びつけられてるってだけなんだけど……

 近代の隠秘科学オカルティエンス的に言えば、星とは神、もしくはソレに類する上位存在のとして、最も適している。


 多くの存在は精神と肉体に分けられるけど、健全な精神は健全な肉体に宿るとも言う通り、精神と肉体には強い関係性がある。

 自己同一性を保てるか、みたいな事ではない。素晴らしい中身精神には素晴らしい容器肉体を、というだけの話。中と外が釣り合わないと、どこか可怪おかしくなってしまうから。


 で。以上の話を踏まえまして。教団にポラリスと名付ける奴らの目論見なんて、ぶっちゃけ予想はできる。

 終着地点は世界の滅亡、出発地点が北極星、そして方法は信仰。

 

 なら、導き出せる答えは、ってトコかな。


「神像、経典、神の依代……困った、何一つ見つからないな」


「うーん、妙だね。全員持ち物ナシ、教祖っぽい人が拳銃を持ってた程度。それも安物だよ、何の細工も無い普通のチャカ。ヤクザが横流ししたのかな」


 吐瀉物を避け、法衣をひん剥きながら手掛かりを探す。

 マンドラゴラは対人間に於いて最強だが、唯一の問題点は、精神から身体感覚まで全部イカれるせいで気絶しながら吐く奴が多い事。

 相手が数人なら殴って気絶させる方がスマートだ、汚いったらありゃしない。


「宗教絡みの案件って、基本的に対処が早いよね。体感だけど。政府から依頼が来る事も多い気がするよ。……なんでだろう。教えて、タカヤ先生」


 僕と同じ様に、いやむしろ僕以上に容赦なく法衣を千切っては投げ捨てつつ、アルラは疑問を口にする。これに答えるのは何度目だったか。

 根室アルラは別に馬鹿じゃないし、むしろ世間一般で言うと賢い人間にカテゴライズされる筈だが、僕の話だけは面白いくらい忘れる。

 僕が馬鹿正直に毎回答えるから、覚える気が無いのかもしれない。


「僕ら隠秘使いオカルティストはフォークロア観測函かんそくかんを使い、隠秘オカルトを観測するだろう? これは、僕らが隠秘オカルトを道具として認識し、心の何処かで『現実ではない』と思っているからだ。デバイスのオンオフで現実か非現実かを切り替えられる以上、仕方ない事ではある。たまにデバイス無しで隠秘オカルトを現実に引っ張ってこれる真性の狂人も居るけど……それは無視、という事で」


 隠秘使いオカルティストは、隠秘オカルトの信奉者ではない。

 そりゃそうだ。

 例えば、アルラが心の底から「マンドラゴラは悲鳴をあげる」と信じ続けてしまったら、僕らの家は悲鳴絶叫吐瀉物気絶の地獄絵図に変わってしまう。

 観測するまで、信じてはいけない。隠秘オカルトに呑まれてはいけない。

 

 だが、それはあくまでも隠秘使いオカルティストの在り方だ。


「祈りとは観測だ。宗教とは、神を観測して現実にする為のもの。だが困ったことが一つ。たった数十人が毎日数十分祈るだけでも、神が現実になってしまう点。勿論、全能の神なんかじゃ無いだろうけど、それでも神は神。厄介な話だ」


「だから宗教を名乗った危険集団は直ぐ潰される。神が生まれ、人の目に触れ、力を付ける前に……何処かで聞いたことあるかも、この話」


「前に僕が話したからな」


「道理で。じゃあ、やっぱり妙だね。大体は偶像に神を下ろす、みたいな話を聞いた気がするのに。神の像も天球儀も何も無いよ」


「その話をしたのも僕だな。だが着眼点は大正解、この教会は何も無さすぎる」


 並んだ木のベンチ、少し低い柳梁天井、ドーム型の奥空間には簡素な祭壇がポツンとあるけど、祭壇には何も────


 いいや、とびきり怪しいモノが一つ。


 祭壇の後ろ側、教祖が立つのだろうスペースの足元に、百年モノの骨董品が置いてあるではないか!

 手招きするとアルラは小走りで此方へ近付き、やはりというか何というか、祭壇を飛び越えて僕の横に着地した。何故わざわざ直線で来るんだ、始めてジャンプという行為を覚えた幼稚園児なのか。


「先生、何かあった?」


 ニヤリと笑い、足元を指差す。


 そこにあるのは、灰色のラジオカセットレコーダー。通称ラジカセ。

 現代ではそうお目にかかれないアイテムだ、思わず気分が上がってしまう。

 ああ、こんなうっかり蹴りそうな場所に置かれて可哀想に、今助け出してあげるからね。僕は古い全てに優しいんだ、昔は骨董店でバイトしてた程にはね。


 ラジカセを祭壇の上に乗せ、そのまま、

「スイッチ・オン!」

 僕は再生ボタンを押した。


 ────ノイズ。一秒、二秒。音が変わったのは三秒目。


『オン ソヂリシュタ────』


 変わった音が、と気が付いたのは四秒目。

 僕とアルラが同時に拳を振るう。

 二つの拳がめり込み、上から下へ。


『────ソワカ』


 古い物が壊れる音。僅かな寂しさがノイズと共に生まれ、すぐに潰える。

 

 だが、百年掛けてラジカセは使命を果たした。

 信仰の担い手は全員気絶したが、の存在は証明された。


 真言。マントラ。真実の言葉。世俗の言語を借り、宇宙の真理を記したモノ。

 ラジカセから流れた、時間にしてたった二秒の言葉が。

 意味も何も知らない僕からしたら、奇妙な音の連続でしか無いはずなのに。

 耳に、魂に、やけに残って離れない。これはまずい。


「……祈りの対象はラジカセか。ポラリス教団は真言へと祈り、真言が真実であると観測した。……その先にある、の存在もだ」


 口を回す。こうしていれば、多少は冷静になれる気がする。


「……ポラリスこぐま座α星が天の北極に最接近する年なら、一緒に引っ張ってこれる欠片も大きいだろうな。菩薩の顕現すらも手段、本命は肉体、ね」


 冷静になったからと言って、何が出来る訳でもないが。


「次、何が起こる?」


 アルラは至って冷静だ。

 ラジカセを破壊したのは多分、経験に裏打ちされた勘だったのだろう。

 迷っている暇はない。

 今伝えるべきは。


「……神が来る」


 正確には菩薩だろうが、隠秘科学オカルティエンスの定義じゃ仏も菩薩も悪魔さえも等しく「神」と呼ばれるし、別に間違ってはいない。冒涜ではあるかもしれないが。


 壊れたラジカセがノイズを奏で始める。

 もう動く筈も無いのに。

 ジジ、ジジ、ジジ。

 次に起こる事を察した僕はラジカセを掴み、振り被って可能な限り遠くに投げる。

 無駄な足掻きってのは案外楽しい。アドレナリンのせいだろう。


「『端境結界』観測開始っ……!」


 四本の杭を投げ、床に突き刺し、僕らを囲んでアルラが叫ぶ。

 ラジカセの残骸が光り始める。

 僕らの周囲を薄い膜が守る。


 まあ、無意味だ。


 


「すまない、今回ばかりは僕が十割悪かった」


「別に良いよ、普段はタカヤ先生ばかり死んでるし。たまには二人仲良く、なんてのも悪くないね」


「そりゃ良かった。仕事も終わった事だろう、僕らは気楽に逝こうじゃないか」


 祭壇に寄り掛かり、肩肘を付いた状態で、何となくアルラの肩を抱き寄せる。

 ……なんだそれ。そんな表情出来たのか。

 こんな事、死ぬ間際にしか出来ないし。僕は一生記憶できないんだろう。


 爆音が耳を刺した、気がした。


 ◇


第二種隠秘災害報告書 抜粋

発生日時:二一〇二年□□月□□日 十九時五分

被害範囲:第四都市 中央部 真刹市 「□□教会」から半径五キロメートル

被害規模:全壊、生存者無し

措置:死者を含めた五分間の巻き戻し、回収班の派遣


 ◇


「じゃあ、追い剥ぎと推理を始めようか。世界を滅ぼすなんて大言壮語、嘘でも真でも恐ろしい」


 自分の声を聞き安心しながら、僕は吐瀉物塗れの地獄へと向かう。


 アルラは僕より早く歩き出して、そして、三歩先で足を止めた。

 スーツを着た男に肩を叩かれたからだ。


 黒のスラックス、黒のスーツ、黒いシャツに白のネクタイ、オールバックの黒髪。

 何も無い所からスッと現れては、僕らの仕事の終わりを告げる男。

 彼の事は何度も見た気もするけど、あまりに特徴と存在感が無いし、実は別の人物なのかもしれない。本当、心の底からどうでもいいな。


「……?」


「五分。世界は無事だよ、見事な仕事だった」


「やめてくれないか。要するに、また死んだってだけの話を」


「ま、そうだな。何にせよ帰るといい、後は任せてくれ」


 男は僕の方へ振り向きすらせず、そのままアルラの横を通り過ぎて祭壇へ向かった。相変わらず遊びとか面白みが無いな、彼は。

 黙りこくったアルラの手を引いて、教会の入口へと戻る。


 いつも、仕事終わりに気になる事は一つだ。


「僕ら、今回はどう死んだんだろうな」


 死が人生の終わりではなくなって、はや一世紀。

 蘇生、転生、死霊術、巻き戻し、思い付く全ての手段で生き返れてしまう以上、死への恐れなんて誰の心にも残っていない。

 痛みへの恐怖は変わらないけど、そもそも、痛みと恐怖がイコールで結び付けられるのは痛みの先に死があるからで。死と恐怖がイコールじゃない現代だと、激辛ラーメンを食べた時の舌の痛みと、ナイフがザックリ刺さった時の腹の痛みは同種のものだ。


「どうだろうね。五分って事は、サクッと全滅したみたいだけど」


「参ったな、ここからどう壊滅するんだ? 北極星の欠片でも落ちてきたのかな」


「まさか。流石に無いよ。タカヤ先生の冗談は……いつも斜め上だね」


 列強と呼ばれるには条件がある。

 最低一つずつ、世界を破壊する手段と、世界を復興する手段を持つこと。

 僕らの日本も当然条件を満たしていた。


 原理不明の、。それが日本の切り札の一つ。


 寿命以外の死はこの国に存在しない。肉体も精神も巻き戻されるから、精神だけが参ってしまって自殺しました、なんて事件も起こらない。

 もし起こってしまっても、問題のある思想が消されて巻き戻るだけだ。

 あまり言論統制はされていない────ソーシャル・ネットワーキング・サービスが存在した時代のSFはアテにならないな────から言ってしまうが、実にディストピアらしい処置だと思う。


 夜の空気は冷たくて、思いっきり息を吸うと鼻が痛くなる。

 帰りに何か食べて帰ろう。ラーメンか、イタリアンか、寿司はどっかのチェーン店が問題を起こしてた気がするけど、どこだっただろうか。


『本日二一〇二年□□月□□日、十九時、天気は快晴────』

幽霊ゴースト悪竜ドラゴン暴徒バッドアス、その他実在隠秘存在リアリティフォークロアと犯罪に御注意ください』


 式神がアナウンスを垂れ流す。

 

 時に、死ぬ直前の僕よ。

 世界は楽しかっただろうか。

 僕の人生の九割はつまらない時間で構成されているが、残りの一割は、こうした無理難題を押し付けられている実に面倒楽しそうな時間に分類される。

 そして大抵、面倒楽しそうな時間の記憶は、巻き戻しによって残らない。


「タカヤ先生、六得手muerte寿司行こ。違法薬物使用の疑いはあるけど、まだ営業停止にはなってないみたい。行くなら今の内だよ、きっと空いてるしね」


「何故その話の流れで食べに行けるんだい?」


 仕事終わりの飯は美味い。

 仲間と駄弁る瞬間は楽しい。

 どうしてか忘れてしまうけど、記憶に残る日常も、案外悪くはないものだ。



Case1 北極星終末論 Fin

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