第6話 チョウサ・シュウリョウ

 日が昇る、日が沈む。日が昇る、日が沈む。

 騒がしかった依頼受諾から既に数日が経過して、事務所は実に落ち着いている。

 近隣第四都市のニュースを垂れ流すラジオ。キーボードの打鍵音。アルラがホワイトボードにメモを書く。キュ、キュ、とインクが擦れる音は嫌いじゃない。

 ここ数十年、どころか百年近く前から電子黒板が主流ではあるけど、モニターはうっかり割れる事もあるから結局ホワイトボードに落ち着いてしまう。


 ああ、音で言えば、欠かせないのが一つ。

 アゾットの戯言……じゃない、重要情報の読み上げだ。普段はくだらない悪巧みばかり喋るエセお嬢様系アンドロイド・アゾットだが、これでも優秀な超高級品じゅうぎょういんである。


『第八都市で個人の巻き戻しが一件。巻き戻し理由は”精神への多大なる損傷が確認されたため”ですわね。これまでに確認した事例と一致していますわ』


 とまあ、このように、アンドロイド不思議パワーで色々情報を持ってきてくれるというのが、アゾットの主な雇用理由である。

 僕らの立場であれば、資料請求さえすれば「いつ」「どこで」「何を理由に」巻き戻しが行われたのかを知るのは難しくない。人間が資料を読むにはいちいち印刷するか、何らかの個人用端末スマートフォン等とにらめっこする必要があるけれど、アンドロイドならデータを直接ダウンロードしてハイ、おしまい。

 一分毎に資料請求を行っても脳や容量がパンクしないし、全国の状況を知って当たりを付ける作業じゃ最強のお助けキャラだ。


「……アルラ、どうだい? 手掛かりは纏まったかな。ちなみに僕は収穫ナシ。幾つかのルートで探りはしたけど……骨折り損のくたびれ儲け、と言ったところだ」


「微妙だよ。第八都市が怪しいけど、見た目は依然分からないし、現地へ足を運んでも無駄に終わるかな」


 最強のお助けキャラが居たところで、簡単に解決する仕事ばかりじゃないけども。


 今回のターゲット、混合物アマルガム悪霊塊。

 ソフィー氏と『センパイ』さんに頭を下げて聞き出した情報によると、一つの肉体に無数の精神を詰め込んで生まれた実在隠秘存在リアリティフォークロア、らしい。

 厄介な事に、ソイツは今でも人の精神を奪って自分に混ぜてるんだとか。 


 本来、一つの肉体に入れられる、というか入れていい精神は一個までだ。

 僕という肉体に、僕という精神こころ。アルラにはアルラの肉体と精神こころ

 アンドロイドであるアゾットでさえも、鋼の肉体と大事な精神きのうが一対一、根幹たるAIシステムを複数乗っけたら破綻する。


 そして、だ。多くの場合、精神が破綻したら肉体にまで影響が出る。

 表情筋がイカれたり、夢遊病とか多重人格とか、既存科学の範囲内で収まるのならばマシな方。最悪の場合、精神の形に合わせた肉体に生まれ変わってしまう。

 だなんて呼ばれる怪物の正体は、大抵精神がイカれた人間だ。


 ……なのにさあ! ぜんっぜん出てこないんだ、異形の目撃情報!

 仕方なく「人の精神を奪って自分に混ぜる」の部分に着目、精神的事由で巻き戻された人間を探しているけど、ありふれすぎて絞り込めない!

 参ったな。

 依頼に時間制限は無いけど、場所の特定で手間取りすぎても愛想を尽かされる可能性がある。報酬がちゃんと出る程度の働きはしないとね。


 ◇


 捜査が終わったのは、それから二日後の事だった。

 行き当たりばったりの実地調査というのは柄じゃないから、事務所内でひたすらやれる事を探す作業。現地に赴くのは計画の最後、つまり、死んでも良い時だけだ。命の使い道はしっかり考えないと駄目だろう?


 精神を奪うってのが殺害に当たるかは知らないけど、便宜上殺しと呼んでおこう。

 どうやら、一箇所で連続して殺しを行っていたら流石に怪しまれる、という事をソイツは理解しているらしく、どうにも人を襲いながら徒歩で移動しているらしい。

 当然ながら実在隠秘存在リアリティフォークロアは日本国民ではなく、何の免許もカードも個人用端末も持っていない、というか入手する方法がない。

 となれば、一般人のフリをしていても公共交通機関は使えない。


 人の噂ってのは中々どうして恐ろしいもので、調べる対象をに絞りさえすれば、結構色々出てくるもんだ。

 大企業なら揉み消すくらい訳ないが、ゴミ山同然のインターネットの更に最奥、ダークウェブだとか呼ばれる場所の、更に場末の掲示板まで行けば話は違う。

 

 オライン社が極秘で保有する実在隠秘存在リアリティフォークロアの研究所。そこで起こった事故、壊滅する研究所。逃げ出す数多の実在隠秘存在リアリティフォークロア。それらしい話が丁度引っかかったのだ。

 すごい、悪い噂は全部本当だった、やっぱりいつかゾンビパンデミックが起きるんじゃないか?


 ってな訳で件の研究所事故が約一ヶ月前、そこから時系列順で精神崩壊による巻き戻し事例をピックアップ、ひたすら地図に点を打っては移動ルートの考察。

 可能性がありそうなルートを見つけては、ルート沿いの監視カメラの閲覧権限を申請して、確認して、また次地点を申請しての繰り返し。

 先に僕の気が狂うかと思ったよ。


 ちなみに。僕らが申請次第で情報へのアクセス権を貰えるのは、政府からちょっとした資格を貰っているから。不逮捕特権を除けば、警察組織の捜査と同程度の事が出来る便利な資格だ。

 代わりに……率先して面倒な案件に突っ込み、死によって情報を持ち帰る羽目になるのだが、それはそれ、これはこれ。むしろ政府からの依頼でお小遣いが溜まるし、悪い事はあんまりない。


「タカヤ先生。第二都市への移動申請、終わったよ」


「OK。一眠りしたら適当に武器持って行こう」


「了解了解。ご飯、何か作るよ」


「僕は栄養食でいい。確か箱で貰ったのが残っていた筈だ。ほら、一年半くらい前の。……カッティーボ社め、報酬と別に十箱も送り付ける必要はなかっただろうに。というか、廃棄品を押し付けただけだよな、あれ」


「……それなら昔の先生が食べたよ。十箱全部、一日で」


「ええ? それは流石に夢だ、アルラ。僕の胃がそんなに大きく見えるかい?」


「本当だよ。……で、メニュー、何がいい?」


 二階、リビング。赤いソファーにうつ伏せで寝転がりながら、明日の仕事へ思いを馳せる。死なずに済んだら一番なのに、なんて夢を描きながら。

 時刻は夜の十一時、良い子であれば眠る時間だ。

 我が家のリビングは広々としたキッチンと繋がっており、こうしてリビングで寝転がっていても、小気味良く肉が焼ける音と匂いは届く。


 余談だが、広々とというのが少々曲者で、六人くらいまでなら使える広さのキッチンは、二人暮らしだと持て余す。元が最大十世帯のシェアハウス物件なのだから、さもありなん。

 無駄に広いキッチンとか、リビングとか、三階の空き部屋を見るたびに、何とも言えない寂しさを覚えてしまうのが最近の悩みである。事務所として使っている都合上、新しく入居者を増やすことは難しいし。


 そういや、アルラはいつから僕と共に居るのだろう。

 自宅ここで目覚めた時から居たけれど、幼少期の記憶にはないから幼馴染とか、ましてや家族とかではない。妹か姉みたいだけど、苗字も違うし流石にね。

 そういえば。何故か、これまで一度も調べた事がなかったな。

 左手首をなぞり、指先にかけて出現した薄いウィンドウを震える手で操作する。

 

 日本国民、根室アルラの情報閲覧を申請。

 職権乱用ってヤツだ。プライバシーの侵害も一緒にドン。犯罪犯罪。

 あまり乱用するなと他ならぬアルラ本人に釘を差されていたけど、気になってしまったのならば仕方がないのだ。

 本人が直ぐ側で僕の分の夕食まで作ってくれているってのに、何と恩知らずなんだろうね、僕ってヤツは。


 ◇


【番号】3090286751906500

【本籍】第四都市 中央部 真刹市 □□□□ □□□□

【氏名】根室アルラ

【性別】女

【生年月日】西暦2080年□月□□日


【身分事項:婚姻】

【婚姻日】西暦2099年□月□□日

【配偶者氏名】灰吹タカヤ


【身分事項:帰化】

【帰化日】西暦2099年□月□□日

【届出日】西暦2099年□月□□日

【従前の国籍】ドイツ連邦共和国

【従前の氏名】Alraune Gehlen


 ◇


 ちょっと待て。いや、待ってほしい。本当に待ってほしい。

 目を擦る。深呼吸する。一回チラッと見て、また目を擦って、瞬きして、深呼吸。

 駄目だ現実だった。待ってくれないか、驚きすぎて声も出ないというか、最初に発するべき音が分からないというか。空気だけが肺から抜ける感覚だ。

 一旦悲鳴でも上げながら倒れてみたって悪くない。今の僕の喉が悲鳴を上げられるのなら、だけれども。


 僕は知らない間に結婚していて? 同居人は婚姻相手で? ついでに日本じゃなくドイツ生まれと、しっかし今の御時世に帰化とは随分珍しい。日本は住んでたら気が狂うで有名らしいのに。

 いや、流石にこれは、見なかったことには出来ないというか。

 僕に一切の記憶がない事を除けば悪くないけど、流石に記憶も伝えられた事もないのは事件性を疑うというか。参った、思考が纏まらない。


「────アルラ、ちょっと、すまない、話、を……」


 この時、自分がどんな顔をしていたのか、どんな声をしていたのか、鏡があるなら見てみたかった。左手周辺にはホログラムウィンドウが輝いて、個人情報が見えたまま。何を話したいかなんて、誰から見ても丸わかりだっただろう。

 

 どうせ覚えられない教訓が一つ。

 記憶が沢山抜け落ちている人間がやっていなかった事には、必ず理由があるものだ。例えば、それについて記憶していられない、とかね。


「ごめん、先生。それは……まだ、知らなくていいよ」


 申し訳なさそうに微笑みながら、アルラは包丁を軽く振った。

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