第11話 影を見張る者
崩れかけたビルの影が長く伸び、灰混じりの光が街を薄く照らしている。
海莉は瓦礫の上に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げていた。
倉庫での事件から、眠りは浅い。
失踪した残りのメンバーも見つからなかった。
目を閉じれば、灰と影が溶け合うあの光景が蘇る。
そして、みんなを集めたあの日の――駿の影。
(……駿に直接言うべきなのか。けど、あのままだと)
見上げた空は、まだ青かった。
だが数時間もすれば、茜に染まり、街はまた沈黙に包まれる。
白楼という街が、どれだけ異質かを思い知らされる。
「海莉」
呼ばれて振り返ると、白衣のポケットに手を突っ込んだ透子が立っていた。
「話があるわ。来て」
返事を待たずに、透子は踵を返す。
仕方なくついていくと、狭い通信スペースにたどり着いた。
無線機と配線の束が入り乱れ、壁際には古いパソコンが並ぶ。
パイプ椅子に腰掛けていた静音が、腕を組んでこちらを見た。
「連れてきたわよ」
「ありがと。透子もそのまま聞いといて」
静音が軽く息を吐き、机の上に一枚の地図を広げた。
焦げ跡が残り、いくつかの場所に赤い印がついている。
「リーダー……つまり海莉には、伝えないとと思ってね。……これ、見て」
指先で地図をなぞる。
その指が止まった箇所を、静音は小さく叩いた。
「ここ、行ったらやばい。普通の影喰いじゃない。侵食型の可能性が高い」
「……侵食型?」
海莉が眉をひそめると、静音は頷いた。
「そ。影そのものが生き物みたいに入り込むやつ。自警団が最後に行ったのもこの区域。で、全員……灰になった。多分、身体の中に影が入ったんだと思う」
短い沈黙。
透子は思案するように目を伏せ、やがてゆっくりと頷いた。
「確かに。あの日、自警団のみんなは寒がってた。あの時の空気はまだ暖かかったのに……あの冷えは異常だった」
「待て、それって……」
海莉が顔を上げる。
その表情は、恐怖よりも確かめたいという焦燥だった。
「駿も、同じだったよな。……寒いって、言ってた」
静音が唇を噛む。
透子は目を伏せたまま、無線機のランプを見つめている。
ランプの小さな光が、三人の顔を冷たく照らしていた。
「ええ、同じ反応よ」
透子の声は静かで、どこか震えていた。
海莉の胸の奥が軋む。
誰かに指を突きつけるような現実が、音もなく迫ってくる。
(駿……やっぱり、お前……)
ぐっと拳を握りしめる。
まだ信じたくない気持ちと、現実に見てしまった駿の異変が脳裏を過る。
「……多分、印がついてるのが新たな危険区域。海莉、あんたも行ったんでしょ」
「ああ。でも、衝裂で追い払った」
「……異能には、効かない?」
静音がぽつりと呟く。
その目は、真実を探す眼だった。
海莉は答えを出せず、沈黙する。
衝裂の爆風があの黒い影を吹き飛ばした光景が蘇る。
けれど、確かに残った気配もあった。
それが、爆風で駿の身体に入ったとしたら……。
静音は小さく息を吐き、視線を落とした。
「……ひとまず、その侵食型。身体に入ったら、もう無理」
「……無理って、どういう……」
「影喰いと同じ。削られていく。内側から、少しずつ。駿がまだ無事なのは、奇跡みたいなもん。他の奴らが、全滅してたことを考えるとね」
空気が凍る。
透子が無意識に両腕を抱く。白衣の袖が小さく震えた。
「駿の反応、やっぱり一致してるわね」
「待て……! 駿は、そうだって決まったわけじゃ」
海莉の声が荒くなる。
しかし透子も静音も、その言葉を否定しない。
その沈黙が、何より雄弁だった。
静音が、絞り出すように呟く。
「……影は、あったのよね。あの日、駿の足元に」
海莉は何も言えなかった。
返す言葉を探しても、喉が動かない。
透子が小さく息をついた。
「まだ、完全に喰われたわけじゃない。症状が進む前に……何とかできるなら」
その言葉に、海莉はわずかに顔を上げる。
希望というより、それは“救いの残りかす”のようだった。
(……駿を、失うわけにはいかねぇ)
その想いだけが、冷たい空気の中で確かに燃えていた。
「とにかく、あたし達ですらショックな出来事。駿と蓮には、絶対言っちゃダメ」
静音の声には、鋭い刃のような響きがあった。
その冷たさの裏に、焦りと恐怖が滲む。
海莉は眉をひそめる。
「駿にはっていうのは、まだ分かる。でも……蓮も?」
「あいつ、駿に憧れてる。こんなこと知ったら、真っ先に動揺する」
「……本人よりも、か」
「そう。リーダーが冷静じゃなきゃ、下は壊れる。あんた、それが分からないほどバカじゃないでしょ?」
その言葉に、海莉の呼吸が一瞬止まった。
静音は目を逸らさず、まっすぐに彼を見据える。
「誰が上に立つかなんてどうでもいい。けど、あんたが知らなきゃいけない側に立ったのよ」
海莉はゆっくりと視線を落とした。
重みを持つ沈黙が、狭い通信室を満たす。
無線機のノイズが、遠くでかすかに鳴る。
透子が口を開いた。
「……観察は私が続けるわ。体温、脈、皮膚反応。もし駿の状態が進行するようなら、早めに判断して」
その言葉に、海莉の拳がわずかに震えた。
「判断って……どこまでの話だ」
透子は答えなかった。
ただ、その沈黙が何よりも答えだった。
静音が椅子を蹴るように立ち上がる。
その瞳には一切の迷いがなかった。
「生き延びるために、残酷になることも必要。その役目、今は……あんたに任せるしかない」
扉を開けた瞬間、灰色の光が差し込む。
静音は振り返らずに言い放った。
「……言葉じゃなく、行動で示して」
その背が消えるまで、海莉は何も言えなかった。
扉が閉まる音が響き、再び静寂が戻る。
透子が、そっと声を落とした。
「……本当の意味で上に立つって、そういうことよ。誰にも言えないことを抱えて、平然としてなきゃいけない」
海莉は俯いたまま、指先を握り込む。
爪が掌に食い込むほどに。
「……分かってる」
「じゃあ、信じなさい。彼を、そして自分を」
透子の声が柔らかく落ち、部屋を出ていく。
残された海莉は、ひとり無線機の前に立った。
小さなランプが点滅し、機械音が静かに鳴っていた。
***
外に出ると、白楼の空は薄い灰に染まっていた。
まだ朝なのに、どこか夕方のような光。
街全体が息を潜めているようだった。
海莉は瓦礫の上を歩きながら、無意識に空を仰ぐ。
雲の切れ間から、わずかな陽が漏れている。
あの光が届く場所だけが、まだ人間のいる世界に思えた。
(言えねぇ……でも、見てなきゃいけねぇ)
胸の奥がずっとざらついている。
駿の笑みを思い出すたび、あの影が浮かぶ。
あのとき見たものが幻覚であってほしいと願っても、
皮膚の下に残る寒気が、それを否定した。
「……俺が見張る。誰にも気づかれねぇように……俺なら、出来る」
呟きながら、海莉は拳を握る。
爪が掌に食い込む痛みが、意識を現実に戻す。
遠くで透子が誰かに指示を出している声がした。
静音の足音が瓦礫を踏む。
海莉は息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
(信じたい。駿が駿のままであることを。……でも、もし……)
思考がそこで途切れた。
続ける言葉が見つからない。
灰混じりの光が風に流れ、髪を揺らす。
「……行くか。リーダーの仕事、山積みだ」
海莉は短く息を吐いて立ち上がる。
その横顔は、静かに火を灯したように固かった。
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