第10話 陽の下にあるもの

 陽が完全に昇ると同時に、海莉と駿は街の人々を集め、自警団の全滅を伝えた。

 ざわめきと泣き声が入り混じる。

 誰もが不安に駆られていたが、話さないわけにはいかない。


「……悪い。助けるとか言って、このザマだ」


 海莉は深く頭を下げた。

 救うために来たはずが、誰も救えなかった。

 その事実が胸を締めつける。

 言葉を吐くたびに喉が痛んだ。


「海莉のせいじゃない。そうだろ、駿さん」


 ざわめきの中から、ひとりの青年が前へ出る。

 燃えるような赤髪に、襟付きの黒いジャケット。

 瞳はまっすぐで、息を呑むほどの強さを宿していた。


「もちろんだ。ほら、海莉。頭上げろ」


 駿が背を軽く叩く。

 その手の感触は、どこか冷たい。

 顔を上げた海莉の表情は、それでもまだ沈んでいた。


「医療班所属の灰戸蓮だ」


 青年、蓮が一歩前に出る。

 低く、よく通る声が静寂を切り裂いた。


「今は謝るより、やるべきことがあるだろ」


 その一言が、海莉の胸に深く刺さった。

 痛みと同時に、確かな現実感が戻ってくる。

 悲しみに沈む暇も立ち止まる余裕もこの街にはもうない。


 海莉は拳を握りしめ、短く息を吐いた。

 それでも、あの倉庫で見た灰の残骸が頭を離れなかった。

 あれを忘れることが、どれほど難しいかを痛感していた。


「自警団が壊滅的なら見回りも減ったろ。今日から俺もそっちに行く」


 その言葉に、周囲がざわめく。

 それが波のように広がり、誰もが言葉を失う。


 その中で、透子が盛大にため息を吐き、次の瞬間、蓮の後頭部を勢いよく平手打ちした。


「いってぇ!」


 頭を押さえて振り返る蓮に、透子は目を細める。


「あんたは医療班でしょ。どこも人が足りないの」


「でも、だからって……こんな状態、どうすりゃいいんだよ」


 言葉の端に焦りが滲む。

 透子も反論しようと口を開きかけて、息を呑んだ。


「……どうすりゃ、ね」


 その沈黙を破ったのは、海莉だった。

 彼は腕を組み、低く言葉を落とす。


「誰かがやるしかねぇだろ。もう担当とか言ってる場合じゃねぇ。生き残るためなら、役割の線引きも関係ねぇ」


 静かな声だったが、住人全体の心に響いた。

 蓮は何も言えず、透子も視線を逸らす。


 駿が壁にもたれたまま、ぼそりと呟いた。


「……なら、まずは明日を迎えることからだな。減ってく一方の中で、冷静さまで失ったら本当に終わりだ」


 その言葉に、誰も返さなかった。

 ただ、どこからともなく吹き込む風が、空気を揺らした。


「線引きしないなら、リーダー決めないとな。纏める人いないと、バラけるだけだ。な、駿さん」


 蓮が言葉を継ぎ、どこか羨望にも似た眼差しで駿を見る。

 駿はしばらく無言のまま周囲を見渡し、静かな声で頷いた。


「そうだな。……じゃ、頼んだ。海莉」


「は……?」


 一瞬、時間が止まった。

 誰もが海莉の方を見た。

 透子でさえ、驚いたまま目を丸くして動かない。


「いや、ちょ、待て。何で俺なんだよ」


 海莉の声が掠れる。

 駿はいつもの調子で笑ったが、その笑みの奥には微かに疲労の影が見えた。


「お前なら、迷わねぇだろ。今この街に必要なのは、そういう奴だ」


 言い切られた言葉が、やけに重く響いた。

 海莉は拳を握りしめたまま、何も言えずに立ち尽くす。


「つーか、俺はみんなが纏まってんのを笑う位置がいいんだよ。だとしたら、お前しかいないだろ」


 崩れた建物の隙間から白い光が差し込み、その冷たい光が、彼の頬を照らす。


「え、でも……駿さんの方が」


 もごもごと反論しようとした蓮の背後から、鈍い音が響いた。


「ぐえっ!?」


 蓮の身体が前のめりになる。

 見れば、ブーツを履いた足が彼の背中を蹴り飛ばしていた。


「駿が好きなだけでしょ。今は生き残るのに必死なんだから、私情挟むなら黙れ」


 低い声で言い放ちながら、銀髪のセミロングの女が前に出る。

 黒のジャージにショートパンツ。

 動きやすさと戦場慣れを感じさせる服装だった。


「名ばかりの情報班。居住区の警護もしてる卯月静音よ」


 腕を組んだまま、静音は海莉を見上げるように一歩踏み出す。

 その目は鋭く、どこか挑発的だった。


「いかにも“ひとりで戦ってます”って顔。それで勝手に落ち込んで……悔しいの、あんただけじゃないんだからね!?」


 吐き出すような叫び。

 その奥にあるのは怒りじゃなく、焦燥だった。


 海莉は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 それでも、静音の目をまっすぐに見返す。


「……分かってるよ。だからこそ、立ち止まってられねぇんだ」


 短く答えた声が、倉庫の空気を一瞬だけ締める。

 静音は鼻を鳴らし、視線を逸らした。


「……ならいいわよ。口だけじゃなきゃね」


 そのやり取りに、蓮が小声でぼやく。


「いやマジで蹴ることないだろ……」


「黙れ、蓮」


「はい」


 小さなやり取りに、空気がわずかに緩む。

 それでも、まだ緊張の残滓が漂っていた。


 海莉は静音を見つめたまま、短く息を吐く。

 彼女の言葉は図星だった。

 自分だけが抱えていると思っていた痛みは、もう皆の中にもある。


「……分かった。俺がやる」


 静かに告げると、周囲の視線が一斉に集まった。

 蓮が息を呑み、透子は一瞬だけ眉を上げる。


「リーダーって……本気?」


「誰かがやらなきゃ、次に消えるのは俺たちだ」


 海莉は言い切った。

 迷いも躊躇も、もうなかった。


 沈黙の中、駿がゆっくりと壁から背を離した。

 その口元には、穏やかな笑み。

 だが、瞳の奥はどこか遠い。


「……よしっ、決まりだな。お前なら、やれる」


 その声は優しかった。

 けれど、海莉の耳には……少しだけ、冷たく聞こえた。


「……何だよ、それ。まるで他人事みてぇに言うな」


 苦笑混じりに返すと、駿はふっと目を細めた。


「他人事じゃねぇよ、仲間だろ」


 その言葉に、誰も続けなかった。

 静音が小さく息をつき、透子が腕を組む。

 蓮は口を閉じ、ただ俯いたまま。


 その場にいた全員が、無言のうちに理解していた。

 この瞬間から、もう昨日とは違う。


 崩れかけた壁の隙間から覗く光の下で海莉は拳を握りしめた。


(守る。これ以上、誰も失わせねぇ)


 その決意だけが、今の彼を立たせていた。


 ふと、地面に目を遣る。

 朝の光が、住人たちの影を地に落としている。

 揺らぐ炎のように、いくつもの影が重なっていた。


 その中で、海莉の視線が止まる。


「……ッ」


 息が喉の奥で締められる。


 駿の足元。

 そこにあるはずの影が、静かに蠢いていた。


 最初は風のせいだと思った。

 だが、影は確かに動いている。

 形を変え、細い鞭のように地を這い、壁をなぞってまた戻ってくる。


 ゆらりゆらりと、音もなく光を踏み潰すように。


(……嘘だろ)


 海莉は、呼吸を忘れたかのように、はくはくと口を開閉させる。

 心臓の鼓動が、喉までせり上がる。


 駿は何も気づかない。

 いつものように、住人たちに声をかけ、笑っている。


「おい、蓮。お前、寝不足の顔してんぞ。昼寝でもしとけ」


 その軽口すら、いつも通り。

 まるで何事もなかったかのように。


(気づいてねぇ……!)


 影はゆっくりと、駿の足に絡みついていく。

 光を喰うように、じわりと。

 だが本人は気づかない。


 海莉の指先が震えた。

 此処で声を上げれば、全員が動揺する。

 けれど、黙っていれば……このまま何かが取り返しのつかないところまで行く。


 息を詰めたまま、海莉は拳を握りしめた。

 掌の中で、衝裂がかすかに鳴る。


(……頼む、気づけ。気づいてくれ、駿……!)


 しかし、駿はただ穏やかに笑っていた。

 光の中で、影だけが冷たく揺れていた。

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