変わりゆく日常、揺れ動く心(葵と静香)

まだお昼前だというのに、今日も汗ばむような陽気だ。

河川敷を歩いている葵と静香は、早くも上着を脱いで薄着になっていた。

時より川面から吹いてくる涼しい風が、2人の頰を撫でて暑さを落ち着かせている。


「あーあ、楽しかったなぁ」

葵は、お泊まり会の余韻に浸りながら歩いていた。

快晴の空を見上げ、その空に楽しかった出来事を描くように思い浮かべている。

「そうね。何だか、こういう帰り道ってやたら寂しく感じるわね」

静香は葵を見ながら微笑んでいた。

しかし、彼女はこのまま余韻に浸っていられる気分ではなかった。

口には出さないが、昨晩の出来事が頭から離れないのだ。

(タカヤからは本国に連絡したって聞いたけど、まだ返事はないみたいね。結局、今朝は何も進展しなかった)

突然目の前に姿を現したセリスという女は、蘭子とタカヤの故郷、エルトリアの敵対国であるシェイドリアの王女だった。

彼女が何の目的で接触してきたのか、蘭子と葵をどうするつもりなのか、なぜ、私たちの前だけに姿を現したのか。

考えれば考えるほど、理由がわからない。

(そうやって相手を混乱させる戦略……とも考えられるけど……)

ただ、タカヤの言う通り、今は変に動かない方がいいのかもしれない。

セリスの能力は諜報目的に長けている。

目的がわからない以上、迂闊に動いてこちらの状況を掌握されてしまうのはごめんだ。

『待つ』という戦略はあまり性に合わないが、ここは我慢するしかないだろう。

「――――でな、そのノートには蘭子の……ん?静香、どうかした?」

うっかりしていた。今は隣に葵も居るのだ。

そして、葵の話が聞こえないほど考え込んでしまった。

「う、ううん。何でもないわ。慣れない夜更かしをしたから少し疲れたみたい」

静香は葵を心配させないように取り繕う。

「そっか。あんまり無理するなよ。……で、そっちはどうだったんだ?昨日の夜の事、聞かせてくれよ」

しかし、葵から不意に昨晩の話をされてドキッとしてしまった。

一瞬、セリスの事を知られたのかとも思ったが、葵のさっきの話から考えると、お互い別々のことをやっていた夜の事を話そうということなのだろう。

(いけない。私があの子に惑わされてる。しっかりしなきゃ)

静香は心を落ち着かせながら自分に言い聞かせると、昨晩の模擬戦を振り返って答えた。

「あいつ、強くなってたわよ」

きっと、葵が知りたいのはタカヤの事なのだろう。

そう思って、自分の事は語らなかった。

「おっ?じゃあ苦戦しちゃったとか?」

しかし、葵はちょっと意地悪そうに聞き返してくる。

「ふふ、それはないわ。でも、剣筋は変わってた」

だが、静香の表情は余裕そうだ。

本当に負けない自信があったのだろう。

「へぇー。どんな風に?」

でも、気になるのはタカヤの変化だ。

一体、タカヤの戦い方はどのように変わったのだろうか?

「前にここで戦った時は、とにかく相手を攻めるだけの剣だったの。使命感から力で押し通す感じかしら?でも、昨日は違った。剣に心を感じたの。誰かを守りたいって、自分の心で決めた太刀筋だった」

恐らく、感覚で感じたことであって、言葉にするのは難しいことだったのだろう。

それでも静香は、葵の為に言葉を選んで話してくれた。

「剣で会話しちゃうタイプなんだね」

ちょっと引き気味の葵だったが、静香の説明はわかりやすかった。

だから、葵も何となく感じたことで返してみた。

すると、静香はクスッと笑って答える。

「私の家は剣術を教えてるのよ?それぐらいわからないと」

サラッと凄いことを言っているな。マジか。

「なるほどな。だから昨日、あんなスッキリした顔してたのか。でも、ちょっと安心したよ。アイツ、最近いい所なかったけどさ、陰で努力してるんだなってわかった」

昨晩、お風呂に入りながらタカヤと話した時、『何か掴んだ』ようなそんな話をしていたのを思い出した。

「そうね。努力は感じたわ。だから、私も真剣に教えたことがあるの。それが身につけば、きっと、もっと強くなるわよ」

笑顔で語る静香の話を聞いて、葵は『タカヤが掴んだ何か』とは『物理的』な物ではなく『感覚的』な事だと理解した。

そんな、強くなっていくタカヤの話を聞いて、少しだけ心配した葵が苦笑いで言う。

「そのうち静香が負けちゃったりして?」

「それは絶対ないわ。私だって、もっと強くなりたくて日々努力してるのよ。黙って胡座をかいているわけにはいかないわ」

静香の目つきが変わった。

それは彼女らしい一言だった。

これが、彼女の信念なのだ。

だから葵も、しっかりとした芯を持っている姉のような幼馴染を頼りにしてまう。

わかってはいたけど、余計な心配だった。

「静香のそういうとこ、本当に尊敬するよ。でも……、見たかったなぁ2人の模擬戦」

しかし、葵はやっぱり気になっていた。

木刀といえど、どうやら本気でやり合っていたようなのだ。

以前、本物の剣と刀でぶつかったあの戦いを思い出し、人間離れした打ち合いを興味本位で見てみたかった。

だが、隣の芝生は青いとはこういうことを言うのだろう。

「私だって、蘭子ちゃんのノート見たかったわよ」

少し拗ねたように静香は答える。

本当は、静香も戦いのことを忘れて葵達と過ごしたかったのだ。

「……」

「……」

不意に、会話が途切れた。

河川敷の野球場から、少年野球の声が響いてくる。

「ねぇ、静香?」

「なに?」

葵の声のトーンが変わった。

静香は返事を返しながら葵の表情も読み取る。

何か考え事があるような感じだ。

「あのオーナーってさ、やっぱり、何か秘密とかあるのかな?タカヤは監視者って言ってたし……。静香から見てどうだった?」

そうだった。

静香は、セリスの事で頭がいっぱいだったので考えることを後回しにしていたが、オーナーの存在も気になっていたのだ。

「そうね……、いくつか引っかかる所があったけど、一緒に朝食を作っていて感じたのは、悪い人ではない……と思ったわ。素性はわからないけれど、信頼はできるんじゃないかしら?」

静香は人に言えない仕事で暗躍している。所謂、裏社会というものだ。

日々そこで出会う『本物の危険』には独特の気配がある。

普通に過ごしている人達とは感じる気配が違うのだ。

だけど、あのオーナーにはそういった気配は全く感じなかった。

しかし、風術のことを知っていたりと腑に落ちない点もあるのは確かだ。

「よかった。俺もそう思ってた。風術の事を知ってたし、あの様子だと異世界から来てることも知ってそうだよね。やっぱり、あの人が監視者なのかな」

その点は葵も同じように感じているようだ。

「監視者なのかはわからないけど、違ったとしても、葵みたいに理解力がある人なのかもね」

静香は笑って返事をしているが、内心は違うことを思っていた。

オーナーのことではない。葵のことだ。

「そうなのかなぁ?ただ、なんとなく普通の人じゃないっていうか、何か、特別な感じがしたんだよね」

この一言で静香は確信した。

葵の感覚が鋭くなっていることに。

しかも、その感覚は常人が気が付かないような所まで踏み込んで来ている。

(やっぱり、私達みたいな人間といると、自然と感覚が身に付いてしまうようね)

オーナーの事は、監視者の可能性が高いと判断はできた。

違ったとしても、信頼できる人なのは確かだ。

だから葵に危険が及ぶ事はないだろう。

しかし、問題はこの感覚だ。

これは、下手をするとセリスの存在に気が付いてしまう可能性がある危険な感覚だ。

セリスがどう動くかわからない以上、4人の間に誤解を生むリスクも抱えてしまった。

「葵。ひとつお願いがあるの」

だから、静香は先手を打つことにした。

「ん?どうしたの急に」

葵は、急に様子が変わった静香に怪訝な顔で聞き返す。

「うん。あのね、この先、何があっても、葵だけは蘭子ちゃんとタカヤの味方でいて欲しいの」

静香は珍しく歯切れの悪い言い方をしている。

「……なんだよそれ。当たり前だろ。っていうか、それじゃあ静香が裏切るみたいな感じになっちゃうじゃん」

「……うん。でも、私は裏の人間よ。それに、あの2人はこの世界の人間ではない。だから、この先、私も間違っちゃう可能性だって十分あり得るわ」

どこか必死な静香の姿に、葵は困ったような表情を浮かべる。

セリスが動いた時に考えられることは、4人をバラバラにしようとすることだ。

これはタカヤから聞いたシェイドリアの戦略や、今までのセリスの行動から推測すると、十分に考えられることだと思った。

だから、そうなってしまった場合は自分を犠牲にしてでも、葵と、異世界の2人だけは守りたいと思った。

葵が2人を信じていれば、全員がバラバラになることはない。

だが、それは静香の勝手な想像だ。

葵ならどうするか?なんて答えるか?静香はわかっていた。

「そんなこと言うなよ。俺は何があっても静香の味方だ。静香だけじゃない、あの2人もだ。だから、また戦うようなことがあったら俺が止めてやる」

葵は真剣な顔で答えてくれた。

やっぱりそうだ。

優しい葵には、友達を見捨てる事なんてできない。

彼の方こそ、自分のことなんか考えずに仲間を助けようとする善人なのだ。

「葵……。ありがとう」

幼い頃、泣き虫でいつも慰めてたあの葵はもう居ない。

そして、いつの間にか自分と肩を並べて励ましてくれる存在になっていた。

静香は寂しいような嬉しいような、少し複雑な気持ちだった。

だけど、優しいのは昔から変わらない。

胸に込み上げてくる想いを堪えて、少し恥ずかしくなった静香は目線を川面に向けた。

大学生だろうか?レガッタの練習をしているようだ。

多数のオールが川面に波を立てている。

自分の心配が杞憂に終われば、それに越したことはない。

だけど、万が一、想像している事態が起こったら……。

もしかしたら、葵なら笑って解決してしまうかもしれない。

今はただ、葵の気持ちを確かめられただけでも心が落ち着いた気がする。

葵とセリス。

この正反対の2人が出会ってしまった時、一体何が起きるのだろうか?

今は考えてもわからないことばかりだ。

 

「そうだ!たこ焼き食べて帰ろうよ」

急に葵が大きな声を出した。

ふと、中学生の頃によく通った『たこ焼き屋』を思い出したのだ。

お腹が空いた塾の帰り道、静香とヒロシの3人でよく食べたあの味を久しぶりに食べたいと思っていた。

「いいわね!私、ポン酢のやつ食べたい」

そうそう。静香が好きだったのは和風の味付けだった。

「俺は聖子スペシャル、いっちゃおうかな?」

一方、葵は謎のメニュー名を挙げている。

だが、それは常連さんにだけ通じる名物メニューだ。

「あの大盛りキャベツとチリソースのあれね。あれ、そんな名前だったのね」

静香はヒロシがよく食べていたその名物を思い出して笑っている。

「今度、あの異世界コンビも連れていってあげよう!」

「そうね。あの2人、食の事には目がないものね」

名案だ。みんなで食べるあの味は、きっと忘れられない青春になると思う。

静香は余計なことを考えるのはやめた。

答えが出ないことを今考えても仕方がないと思ったのだ。

だから、今のこの時間を楽しもうと思った。

もちろん警戒は欠かさない。

セリスがまた現れても、今できることの準備はできているつもりだ。

だけど、それよりも、かけがえのない時間をもっと大切にしないと。

そう思っていた。

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