「わたしの天使」

鈴切

第1話

──これは、なんだろうか。わたしの前にある、これは。


わたしは自分の顔の前に手を伸ばし、それに触れようとした。


まず初めに、大きな突起に触れた。

両手でそれをつかみ、しっかりと形を確認する。

突起をなぞりながら奥へと手を進めていくと、柔らかい、壁に阻まれる。

文字通り、手探りで壁を進んでいく。

両手を横に広げていくと、次にぶつかったのは、グニグニとした感触の三角形であった。

三角を触りながら、わたしは考える。

両端にある三角とその中心にある大きな突起…もしかしたら、これは、顔ではないか?


わたしは手を顔──と、思しきもの──の中心に戻し、突起の少し上へと伸ばす。

──そこには柔らかい、球体が二つあった。やはり、これは顔だった。

そしてそれと同時に、わたしは強い恐怖を覚えた。

わたしの前にいたのは、人だったんだと、気づいてしまった。

謝らなくては、と考えているのに、恐怖で息が乱れ、声がうまく出ない。

生まれて初めて、体の芯から冷えていく感覚、というものを味わった。


──それからしばらく、二人の間には沈黙が流れた。

少しずつ安静を取り戻し、呼吸も落ち着いてきた。

すぅ、と息を吸うと同時に「なぁ」と声をかけられた。

心臓が飛び跳ねた気がした。

はっ、はっ、と、細かく息を刻みながら、わたしは、彼の次の言葉を待つことしかできなかった。


「おまえ、おれにふれたな」

彼はどこか嬉しそうな声色で、そう言った。「そうこわがるな」

「おれは、おまえとはなしがしたい」

──思いもよらない言葉が続いた。

わたしはてっきり、彼は怒っているものだと勘違いしていた。

彼はもしかしたら、怖い人ではなく、普通の、良い人なのかもしれない。

その時わたしは本気でそう考えていた。

もっとも、わたしの部屋はいつも鍵がかかっているので、部屋に入っている彼は普通であるはずがないのだが。


「はなしって、なあに?」

「そうだなぁ。」

「あなたは、だあれ?」

「そうだなぁ。なんというべきかな。」

ううん、とうなりながら、彼は考え事をしているようだった。

「──おまえには、ほしいものがあるか。」

少し間を置き、彼はまた、思いもよらないことを言った。

「ほしいもの?」

「そうだ。おまえのほしいものはなんでもくれてやる。」

「どうして?」

「どうして…か。それは、なにかのぞみをいえばおしえてやる。」

「じゃあ、眼がほしい。わたし、目が見えなくなっちゃったの。」

「そうか。おまえはめがみえないのか。」

「じゃあ、めをくれてやろう。」

しかし、と彼は続けた。

「おまえのおやとこうかんだ。」

「いいよ。」

迷わず、わたしはそう言った。

彼は、ほぉ、と息を漏らした。

「そうか。ではおまえにめをくれてやる。」


───部屋の下から、ぐちゃ、という音がしたけど、聞こえないふりをしました。

そんなことよりも、わたしは自分の目が見えるようになったことに夢中だったんです。

そして、わたしの目の前には、大きな鼻と大きな角、そして大きな羽の生えている、“彼”がいました。


そこで漸く、わたしは気づきました。

彼が天使だったんだと、気づきました。

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「わたしの天使」 鈴切 @pony0117

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