第17話 できれば褒めてくれ
着席からすでに五分。高槻都と向かい合ったまま俺は沈黙、沈黙の上に沈黙を重ねて、ついには声帯をどこかに無くしてしまったかのようにしゃべり方を忘れてしまった。
「フフっ、ハハハ!」
目の前の彼女の表情が和らいだと思ったら甲高く笑い始めた。
いきなりのことで唖然とし、ポカンと口を開ける。
「先生、おもろいなぁ着席してからなんも喋らへんねんもん。そのくせたっくさんお水飲みはるからコップ空っぽなっとるし、すぐトイレ行くしおっかしくてかなわんわぁ」
「まぁうん」
俺は彼女が手を叩いて笑っている理由を理解することができないわけで、どうしていいか悩んでいると彼女は一瞬だけしまったみたいな顔をして、コホンと軽く咳ばらいをした。
「そんな顔を歪ませんとってよぉ、まずはレッスンワン、楽しく会話をする。やね」
彼女は店員を呼び止めてオーダーする。
ブレンドコーヒーを二つ。店員はおすすめに当店自慢のチーズケーキをススメてきたが、彼女は俺に目配せしたあと、首を横に振った。
「はぁい、じゃあリハビリを始めますよぉ、月見里先生、女の子と楽しく簡単に会話するにはどうすれば良いかなぁ」
「えっ、それは」
「あかん、発言は挙手で」
「えっ、あ、じゃあ……はい」
「はい。月見里先生」
「……あのぉ」
「ぶぶー、時間切れ」
「えぇ」
「判断が遅いよぉ、なんでわからへんのに手ぇ上げたん?」
――いやそれはあなたが挙手制にしたからじゃ。
「そういう時はねぇお互いの共通点を見つけてお話しするとええよ」
「共通点?」
「お互い小説家、やろ」
頬杖をついて笑う。あぁそういえばそうだった。と言うか俺と彼女の共通点なんてそこしか思い浮かばない。美郷と彼女が所属している文藝サークルは、別に女子だけというわけではなく、それなりに男もいる。「都ちゃんはサークル男子のマドンナだからねぇ」なんて、我が妹も言っていた通り、本来なら俺みたいな男とこうやって話をする世界線に生きてはいないのだ。
「……じゃ、じゃあみゃこ先生に聴きますが、先生は可愛い女の子についてどう思う?」
「あら、目の前にいてはりますよ」
「あぁいやぁ……」
迷うことなく言い切った自己への評価に呆れてしまった半面、その通りだなと納得もしてしまった。高槻都はすぐに顔を赤らめて水を口に運んだ。
「もうつっこんでよぉ、自分で言ってって恥ずかしいわぁ」
「は、はぁ」
そう思うならそんなこと言うなよ。合わせ鏡のように座り合ったこの構図では下を向く以外相手の表情が丸見えになって逃げ道がない。それにしても大学の近くにこんなおしゃれな喫茶店があったなんて初めて知った。
「そういえば先生、お昼食べはりました?」
「いえ、最近は昼抜いてるんです」
「なんで? ダイエット?」
「……金なくて」
彼女の表情が固まる。俺はあぁやっちまったって心でつぶやいた。いつもの癖でよく考えずに心に思ったことを口に出してしまった。世間一般的に見れば男女二人で喫茶店にいるというのはいわゆるデートに見えるのだろうか。だとしたら、女の子を前に「金なくて」はあまりにカッコ悪すぎるし、なにより奢ってもらう気満々みたいでだせぇ。
「じょ、冗談ですよ、冗談。ハハハ」
「冗談言うてる場合ですか、そやったらなおさらなんか食べないとあかんよぉ」
「いや、でも先生を前にして一人で昼飯食うのも……」
「あら、うちもまだお昼まだやし、一緒に食べましょ。ここのねぇ、ナポリタンおいしいって評判ですよ」
彼女の提案に頷いて俺はメニューに書いてあるおすすめのナポリタンをチョイスした。
「先生がナポリタンならうちはカルボナーラにしよ……さっき頼んだコーヒーは食後に変更してくれます?」
彼女は店員さんに言伝して、再び俺に視線を向けた。そこから彼女は日々の大学生活の話をしてくれた。一方的だが楽し気にお喋りする高槻都に俺は下手くそな相槌をとるだけで、そこからどうやって会話を展開していこうとか、考える余裕はなかった。だから料理が届いたとき、至極安心したのだが、彼女のお喋りは止まることはなかった。
一人暮らしが長かったために誰かと楽しくご飯を食べる方法がよくわからない、咀嚼しながら会話なんてできないし、なんの話題を振っていいのかも知らないのだ。だから突拍子のないタイミングで増渕さんの言葉だけが降りてきた。
「反応してくれます?」
「いやぁ、うん、プロットのこと考えてて……」
「もう小説ですかぁ、ライトポルノって言うてもアダルトノベルやろ、展開もそんな難しないと違う? 冴えない男の子がたくさんの可愛い娘とエッチするテンプレートがはっきりしてはるのに」
確かにそのとおり。テンプレートはそんな感じ。
「うん、だけどそんなこと現実にはありえないというか」
「だってお話しやもん。フィクションってわかってはりますか?」
ちょっと小ばかにする感じののぺっとした言い方に俺は思わず腕を組んだ。
「で、でも、俺の人生でそんな美味しい話はなくて、かといってNTR(寝取られ)やBSS(僕が先に好きだったのに)は、なんかしんどくて」
自分で言っていて情けなくなる。世間ではそう言った悲壮的なジャンルに興奮する人がいるのは心得ているが、俺はヒロインのことが好きだった主人公が可哀そうな結末を迎える系の物語は苦手だった。
「ハハハ……先生、それはちょっとピュアすぎ」
「は、はぁ」
「じゃあ月見里先生はどういうジャンルが好きなん?」
「……純愛ですかね、お互いに愛し愛されて至るみたいな」
「アハハハハハ、本物やぁ」
遠慮なく笑う彼女に嫌気がさしてくる。
「本物って……でも現実的にあり得ない瞳の色と個性を突き抜けたカラフルな髪色で、俺のような非モテ男性に優しくておっぱいが大きい女の子なんてお目にかかったことはないから」
「お目にかかったことないから書けへんの?」
「そういうわけじゃないですけど、なんて言うんだろ」
上手く言葉にできない。これまでもライトノベルの人気作品を読み漁ったり、新人作家のデビュー作に目を通してきたりしていたが、やはり自分を納得させる可愛い女子たちがひしめき合い、それでいて物語の筋が通っている作品はなかった。とどのつまり俺はライトノベル作家として向いていない。まぁだから戦力外なったわけだが。
「それに可愛い女の子と言ったら黒髪です。それに勝るものはないです」
「じゃあ、そういう女の子とそういう風に至る経験があれば先生は傑作書けはるの?」
「まぁ、はい」
「エッチ」
その言葉に不覚にも身体が火照った。そして体の穴と言う穴から冷却するための汗が湧き出し、脳みそが冷え切ったら一生のライバルにこんなくだらないことを尋ねてしまったことに激しく後悔する。
「そんなこと言われても、俺は先生のように天才じゃない。そう簡単にキャラクターを増やせないよ」
「でも、それせえへんと次でほんまにおしまいなんやろ」
グサッっと言葉のナイフが突き刺さる。誤魔化すように水を飲みこむがその通り過ぎて最後の一滴まで口に含んでも喉は潤わない。
「でもあんまり読者に媚びるのも」
そうつぶやいたところで高槻都の顔が歪んだ。半分ほど残してあった水を飲み干して前かがみに俺を見定める。
「読者に媚びることがそんなに悪いことですか?」
「だって露骨すぎやしないか、いきなりそんなことしたら」
「露骨でも売れるならええやないですか。先生はプロやろ」
「きみはそうなのかい?」
「じゃないと食べていけまへんから」
正論過ぎてぐうの音もでない。でも何も言い返せないのは悔しいから言い返してみようと思う。
「それじゃあ、編集者の言いなりだろ。先生が書きたい物語はないのか?」
「それで本が売れれば異論はありまへん、でもあまりに見当違いやったら無視します」
「器用なんですね」
「先生が不器用なだけやないの」
不器用か。どうせならこだわりが強いとか感性が尖っているとか、聞く人にとって誉め言葉にもなるようなことを言ってほしいものだ。
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