第9話 ファン
「うちなぁデビュー作から先生のファンなんですぅ、お会いできてほんま光栄やわぁ」
白々しく彼女はそう言ってきた。こんなところで鉢合わせてしまったのは天使の悪戯か、悪魔の罠か。
「先生、月見里先生。どないしはるん?」
この笑顔、間違えない。彼女は俺がこの大学の卒業生と調べたうえで美郷に近づき、先日接触してきたのだ。
「兄貴さぁ、都さんが美人だからって緊張しすぎだって。早くサインしてあげなよ」
呑気に背中を叩く美郷を睨む。お前はこの女がどういう目的があってお前に近づいてきたのか分かっているのか、わざわざ落ち目のラノベ作家の俺に近づく理由は、おそらくあの時の復讐、あるいは惨めな俺を嘲笑しにきたのだろう。俺の作家人生を語る上でラスボスみたいなやつが自分からやってきたようなもので、身構えるのは当たり前である。
「……ここでよろしいですか?」
相手の目的が予測できる以上仲良くする義理なんてない。だがしかし、美郷の手前こちらも知らぬ存ぜぬを演じなければ、軽やかにサインを書く右手が震えだす。そもそもサインなんてデビューのときのサイン本を作成するために書いた以来でうろ覚えである。美郷は俺が美人の手前緊張しているものと解釈してにやにやしている。なんだか肩透かしを食ったようで腹が立ってきた。サインを書き終えた俺は腕を組み、胸を張って若槻都を眺めた。
「あっそうだった私これから授業があるんだった。それじゃあお二人とも九十分後に会いましょう。ごゆっくり」
「おい美郷」
風のように去っていく妹の背中を眺める。なにがごゆっくりだ、余計なおせっかいだ。
「先生あんな可愛らしい妹さんおったんやなぁ」
「……目的はなんですか?」
「目的もなんもうちは先生のファンとしてお会いしたかっただけですよぉ」
「うそだ、俺のファンなんてもういるはずがない。あんたあの日の……授賞式で泣かせ恥をかかせた俺に復讐しに来たんだろ? 妹の前で俺に恥をかかせるために」
「はて、なんのことやろ?」
「とぼけんじゃないよ、確かに俺は大人げなくあんたに宣戦布告した挙句、まだ中学生だったあんたを泣かせて恥をかかせた。だけど、今じゃあんたは売れっ子作家で、しかも、現役大学生で、たまに可愛すぎるラノベ作家とか言われている。でも俺はどうだ、二年も売れてない半分無職の落ち目のラノベ作家。ステージが番うんだ……だ、だからファンとか偽って美郷に近づいてこんな回りくどい方法で落ち目の作家の心を弄ぶようなことをするなよぉ」
声を震わせながらつい敗北宣言をしてしまった自分に腹が立ち唇を噛みしめる。本当はお前なんかに負けたつもりはないが、残念ながら数字上では彼女に逆立ちしたって敵わないのだ。
「相変わらず卑屈やわぁ、初めて会った時からなんも変わらへん」
自虐を嬉しそうに笑う高槻都は自分の前髪を触りのぞき込むように見ていた。
「ねえ先生。うちまた重版するんやけど推薦帯書いてくれへん?」
「い、いやだね、お、俺はつまらない作家の推薦はしない主義だ」
どうだ! 面と向かってつまらないと言ってやったぞ。
「つまらへんの?」
「あぁつまらんね、読者に媚びるようなストーリーばかりで……おっと今度は泣かないでくれよ。俺は同じ作家として意見を言ったまでさ」
すっかり批評家の気分だが、俺は若槻都のデビュー作を読んでからしっかり読んでいない。なぜかって? 自分以外の作家の本が面白かったら悔しいだろう。
「もう泣かへんよ、あの時はほんまにご迷惑かけてしもたねぇ」
「うぐぅ……ほ、ほんとだよ、まったく、あの後いろんな大人に怒られたんだ」
嫌な顔の一つくらいするかと思って嫌味を言ってみたものの、軽くいなされてしまった。
「この際やから教えてくれやす? どの辺がダメでしたかぁ」
「そ、それは全部だよ」
「もしかしてしっかり読んでへんとちがいます?」
正解。あらすじをネットで調べて憶測でつまらないことにしているのだ。
「先生どうなん? うちの作品読んでへんのやろ」
実際に俺が読まなくても彼女の本は重版し、シリーズ物も多くで出版されている。世間が面白いと認めているものをわざわざ読むに値しないのだ。
「そ、そうだよ、本当に面白かったら悔しいだろ」
図星を言われてうつむき気味になった俺の歪んだ顔を覗き込むように彼女の顔が迫ってきた。
「やっぱなぁ、先生しょげとったんやぁ」
「しょ、しょげてねぇし」
「嘘やん、うち先生の嘘分かるでぇ、口とんがらしてぼそぼそ言うやろ。あの時と一緒やぁ、なんややっぱり全然変わってへんやん」
勝手に盛り上がって、勝手に喜んでいるこの女に殺意がわく。この国が女性優遇で、かつ民主主義でなかったら、いますぐしばき倒しているであろう。
「もういいでしょ、俺帰ります」
この場にいると、本当に彼女を泣かせてしまいそうで、そうなったら作家人生だけでなく人生そのものが終わってしまう気がした。
「行かんといて」
そう言って立ちさろうとする俺の背中にしがみついてきた。
「はぁぁぁん」
俺は思わず情けない声を出していた。久しく感じたことのない柔らかい胸の感触を背中に感じ、俺の背中はその感触を身体全身に共有させ、瞬時に脳内に高槻都のおっぱいの形と柔らかさを立体化させる。イメージの世界で目の前にあらわれた彼女(現役女子大生のおっぱい)はロケットのように突き出していて、雪肌のてっぺんにピンクの輪が桜の様に咲いていた。
「先生どないしたん?」
前かがみになった俺の耳元に高槻都のささやきが突き刺さる。今さら気がついたが美郷からは感じたことのない甘ったるい香りが彼女からするのだ。これが俗にいうメスの香りというのかは分からないが、今のところ、彼女から発せられるなにかしらのフォロモンが俺の遺伝子的な何かにぶっ刺さっている。
「やば……じゃない、そ、そのぉ、は、離れろ」
勇気を出して、彼女の両手を振り払う。ズボンの盛り上がりが高槻市にバレないようにスンっと元いた椅子に座り直した。
「先生、うちのこと嫌いなん? うち先生になんも意地悪してへんのにえげつないわぁ、うちはただ先生に褒めてほしいだけやのに」
「そ、そ、そ、そぉんな声で言っても俺は惑わされないぞ」
取っつきにくさはないけれど、これはこれで対応にこまる。普段から会話する相手が限られている上に年頃の異性とあっては気恥ずかしい。強がってはいるが今も真っ赤になりそうな顔と胸の高鳴りを隠すのに必死なんだ。
「話は変わるけど美郷にはきみが小説家だと言っていないのか」
「うんそやで、言うてへん。聞かれてもないしなぁ」
「それであの妹はべらべらと俺のことを先生に話したのか。はぁ~」
「美郷ちゃん先生のこと尊敬しとるんやなぁ、ステキやん、兄妹仲睦まじいなんて羨ましいわぁ」
首を大きく頷かせる。そういえば彼女に兄妹はいなかったような。
「月見里先生、うち本当に先生に会って話がしたかったんですぅ。先生のデビュー作『恋する父ちゃん 二度目の初恋』もそやし、ちょこちょこ書いてる短編小説も本当に面白くて、感動したもん。ほんとよ、本当に先生のことお慕いしてるんですぅ」
目を輝かせ早口でそう言葉を並べる高槻都におされながらも、俺の視線は彼女の胸にくぎ付けになっていた。
「みゃこ先生、そそそそそそそのち、近い、近いって」
「あっ、すんまへん、うちったらつい……」
今度は彼女の耳たぶが赤くなる。さっきまでの盛り上がりが嘘のように黙り込む。こういう時気の利いたことを言えたらいいのだろうが、生憎俺にそこまでの技術はない。がしかし、
「あ、あの」
何か言おうとした時に彼女のスマートフォンからアラームがなる。威風堂々のメロディーは周辺に漏れるほど大きく流れだしていた。
「もうこんな時間、先生うちこれから打ち合わせがあるさかい今日はこのへんで失礼します。サインおおきに」
「あぁそうですか」
あれなんで俺、ちょっと残念がってんだ?
「ほなねバイバイ」と手を振って、唐突に目の前に現れた彼女は自分勝手に去っていく。
それから、深々とため息。一気に緊張から解き放たれて疲れた。
「あっそうや月見里先生、新天地でのご活躍楽しみにしとぉりますよぉ」
教室から出て行ったと思われた高槻都は戻ってきて拍子抜けするほど気さくに言った。
「んっ、どうしてそんなことをきみが知っているんだ?」
「それは秘密」
その問いに彼女は笑顔で答えた。
「でも先生行き詰ったらいつでもうちを頼ってなぁ」
それ以外の答えを持ち合わせてはいない素振りで今度こそ俺の前から姿を消した。
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