第2話 運命論

 それからどうしていいかわからず、しばらく城下に潜伏していた。姫も私も、生活という面ではからっきしだった。どうにか下町に見つけた空き小屋で、風雨をしのぐことはできたが空腹はどうしようもない。しばらくは、私や姫の身に付けていた装身具などを売って食物に代えていた。そんな生活を数ヶ月続けているうちに、政局はますます悪化し、城内でミノス大公が暴虐の限りを尽くしているという噂で町は持ちきりだった。物資はなくなり、治安は悪化し、人々は目の輝きを失っていく。平和や豊かさは目に見えて崩壊していった。そうして、私たちもついに売るものが底をついてしまった。姫はお召し物を売るわけにはいかないし、私も槍を売るわけにはいかない。

 私たちは酒場へ足を運んだ。

 当てがあったわけではない。ただ、酒場では旅に出る仲間を探せるということだった。私たちはもう町では暮らせないことを自覚していた。酒と肉と煙草のにおいが充満し、薄汚い冒険者たちがたむろする店内で、姫と私は肩身を狭くしてチャンスをうかがっていた。賎しい男たちが下卑た言葉を投げかけてきた。私はできるだけ姫にはそんな言葉を聞かせたくなかった。

「いいえ、聞いておいてよかったのです」そんな私の心配をよそに、姫は言った。「お城のレースのとばりの向こうにいる頃、私は知りませんでした。民のことを知らずに君主になろうとしていたのです。アリアドネ、私は知るべきでした」

 ああ、真珠姫のことをただの愛らしい18の娘だと考えている全ての人に、この言葉を聞かせてやりたかった! 私は、だからこのかたを、ただ一心にお守りすることだけが私の人生だと考えればよかったのだ。

 酒場へ通い始めて数週間、白魔道士ヒーラー騎士ナイトのコンビである私たちに対して、純粋に旅の仲間にと誘ってくれる冒険者もいたけれど、どうしてこうして決め手に欠けていた。そんなとき出会ったのが、ランドーとファウストだった。

 ランドーは赤髪の大男、私より少し年上の30歳前後の戦士ウォリアーだった。黒髪黒瞳の青年ファウストは黒魔道士ウィザードだったから、この二人の職能と私たちの相性はぴったりだった。

 そして、彼らは――脱走兵だった。


「いやけが差したのさ。俺が仕えてたのは姫さんのオヤジさん、だったのにさ」と、ランドーは不敬な表現で言いながら寝転ぶ。今夜は天気がいいから月光を浴びながら眠れるのがいい。

 野営はいつの間にか昔語りになっていた。旅に出て半年、四人ともそんな気分だったのかもしれない。

「いつの間にかミノスのおっさんになるってんだから。もう軍の規律はめちゃめちゃよ。上が下を虐待するわ、下は上に反抗するわ、俺はあんたがたと違って庶民階級出身なもんでね。忠誠心なんざ持ち合わせちゃいねえのよ。だからついに逃げたんだ、あの日」

 豪快な物言いに私は微笑む。私はランドーが嫌いではない。それも、真珠姫が酒場に居続けて、庶民の世界へと我が目をひらいてくださったからこそ思えることだ。

「貴殿も同じか、ファウスト?」私は黒魔道士ウィザードに話を振る。彼は唇の端を上げるだけで肯定も否定もせず、ただこう言った。

「たぶん、私の人生は王位の証レガリアを姫に伝えるように設定されていたんだろう」

「運命論か」とランドー。

「というか、先王にされていたということだな」

 ファウストが口にした王位の証レガリアとは、先王が生前、国境の最果ての森の洞窟に密かに隠したという錫杖ロッドである。それは白い宝玉がちりばめられた白銀の錫杖ロッドで、ガリア王国の初代王がそれによって国を成したという。以来、王権の象徴としてあがめられている。しかしそれは伝説でこそ知られていたものの、実在を信じている者はほとんどいなかった。それらの者は全てミノス大公によって粛清されたからである。なんの因果か、それともこの事態を予測していたのか、先王は軍や貴族の少数の精鋭たちに錫杖ロッドの在処を知らせていた。

 その精鋭の生き残りがランドーとファウストだったのだ。

 私は恐ろしいほどの運命に、身が震える。

「本当に、錫杖ロッドを手にすれば、王位は揺るぎないものになると?」私は誰にともなく訊く。

「だろうな」とランドー。「民にとっちゃ最高の説得力だろ。それに、そのもの自体がものすごい魔力を秘めてるらしい」

「ミノス親子に対抗できるほど?」

「おそらく」ファウストが答えた。

 たき火がはぜる。冷たい風が吹き抜けた。少しの沈黙のあと、私は重ねて尋ねた。

「貴殿の物語を訊いていなかったな、ファウスト」

「つまらないさ。中流貴族の次男で……独り立ちする必要があったから、魔道学を専攻したら案外才能があって」と、悪戯っぽく笑う。「黒魔道士ウィザード軍に入ったってところ。あなたは、アリアドネ?」

「私は……私は、姫に人生を捧げた身」

 月が雲に隠れた。星もない夜だから、辺りは急に黒に塗りつぶされた。

 風のせいか、背後の茂みがガサリと音を立てた。

「寝よう」

 私は言って、木の根元に背を預けて目を閉じた。絹ずれの音がして、真珠姫がそばに来るのがわかる。震えるようなささやきが耳元を泳ぐ。

「あなたがいてよかった……アリアドネ。あなたがいてどんなに心強いか、言葉には表せないほどです。でも、ときどきどうしようもなく不安なのです。私は見つけられるかしら、王位の証レガリアを?」

 私は目を閉じたまま、自分より一回り小さい真珠姫の背に手をまわした。華奢で、柔らかく、この世のものとも思えない甘美な触感。

「もちろんです、我が主君」

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