第3話 ミノタウロスの迷宮

 太陽が大地を焼いている。

 眼前には、天まで高くそびえ立った崖。魔獣や盗賊どもとの激しい戦闘を幾度となく乗り越え、ついにたどり着いた。崖の足元に、黒々とした穴がぽっかりと空いている。

 森の最深部には、迷宮への入り口が隠されていた。

 先王はなにを思ってこんなところに国の最重要物を置いたのか。それとも、ここに置かなければならない理由があったのか。

 ランドー、ファウスト、それに私はこの旅で明らかにたくましくなったのに違いない。それは薄汚れた服装にも、鋭い眼光にも、余裕のある笑みにも現れている。酒場の冒険者連中を薄汚れているなどと嘲り、敬遠していたのが遠い昔のようだ。

 だが、真珠姫だけは違う。姫だけは――常に清純で、気高く、王位にふさわしいかた。柔和な笑みは成長こそ感じられるが、決して薄汚れなどしない。民を知り、民を守り、民を癒やすかた。

 私もランドーもファウストも、それを信じればこそ、ここまでやって来た。己の信念に基づいて、真珠姫の威光を信じ、彼女の治める国の実現こそ我が進むべき道と、命を賭して旅を続けてきた。

 だが私にとってはもうひとつ――たったひとりの大切なかたのために。

「行くぞ」

「おう!」

 ランドーの音頭に私たちは声を上げて応え、洞穴の中へと足を踏み入れた。


 洞穴はどこまでも暗く、湿っていて、肌寒く、かすかに硫黄のにおいが漂っている。革のブーツの音が狭い岩壁に反響して延々と鳴り続ける。時折水滴が天井から落ちてきて、侵入者を驚かせる。

「いったいどこまで続くんだ、こりゃあ」

 ランドーの声もまたこだまのように響いて、やがて消えていく。武具の擦れ合う金属音と、ブーツの足音がずいぶんと賑やかに聞こえる。あまりの静寂のためか、それとも……。

 道は深く深く果てなく続き、もはや入り口の光は見えない。

 ファウストが静かに詠唱している。「灯火」手の平の上で小さな赤い火が踊る。

「少し見通しがよくなりましたね、ありがとう」真珠姫が、火の光で頬を薄紅色に染めている。私はそのそばにそっと寄り添う。

 どれくらい経っただろうか。私はあることを口にすることにした。いや、そのとき思い立ったことではない。ずっと機会をうかがっていたことだ。

「ところで」と、おもむろに私は言う。「アレス将軍はいったいいつになったら姿を現すおつもりか」

 言い終わらぬうちに、突然背後に殺気が立つ。

 私たち四人は一斉に振り返った。

 ぬめりを帯びた岩肌の中、黒いローブの男たちが臨戦態勢を取っている。手に手に持つ得物は剣や斧、槍。魔道戦士メイジウォリアーか……。透明魔法バニシングを使っていたのもこいつらだろう。

 ファウストの手の平の火の光が、彼らの刃の鈍色を不気味に舐める。

「やっとお出ましか」

 ランドーが男たちに向かい、大剣を構える。

 合図があったかのように、黒い男たちが左右に分かれた。その奥から金色の鎧の美丈夫が現れた。

「アレス将軍」私は両手で槍を構える。「追っていたな。卑怯者」

「泳がせたのはそっちだろう」

 アレスはにやにやと笑う。

「引きつけて、袋叩きにしてやろうと思ってたのさ」ファウストがうそぶく。

 私は威嚇するように槍を振る。「姿を現わさないからおかしいと思っていたのだ。城から逃がした私たちをそのままにするタマではないだろう。錫杖ロッドを横取りするつもりだな」

 背後から真珠姫の穏やかな声がする。「アレス将軍。たどり着いたのは私たちが最初です。そのうえ、王位継承者本人ではなく、来たのは代理のあなたでしょう。無駄な血を流すのはやめて、ここはお引き取りください」

 アレスは形のいい頭をそらし、声を上げて笑う。

「そうしたければ、父ではなく、この私が継承してもいいのだ。そう要求するだけの血筋はあるだろう?」

 どこまでも見下げたやつめ……私は雄叫びを上げ、突進した。

「やれ!」

 将軍が叫ぶと同時に黒い男たちが飛びかかってきた。激しい乱戦が始まる。

 やいばと刃が音を立ててぶつかり合い、魔法の業火が繰り返し立ち昇り、水流が荒れ狂う。鮮血が岩肌に飛び散り、肉塊と化した敵兵が死屍累累と倒れていく。まさに一気呵成の戦いだった。

 やがてランドーとファウストがそれぞれの武器についた血糊を払い、静かに顔を上げた。

 私は姫を背にして、アレスと向き合った。槍と剣の切っ先が触れ合いそうな距離で、互いに間合いを取りながらにらみ合う。アレスが楽しそうに口をひらく。

「強いな」

「貴殿こそ」

 私の左の籠手は叩き割られ、血が地面に滴っていた。ランドーは脇腹を押さえ、ファウストのローブはずたずたに切り裂かれている。三人とも眼光ばかり鋭いが、今にも倒れそうに肩で息をしている状態だったのである。必死に守り抜いたのは真珠姫のみ。

 キン、と音がして私たちは同時に武器を繰り出した。またしても力比べになる。あの後宮での初手合わせのときと同じように。槍と剣とが激しく摩擦し、互いの息もかかりそうなくらい近づき、機をうかがう。アレスが青い切れ長の目を細めてささやく。

「どうだ、アリアドネ、私の女にならないか」

「なにを馬鹿な……」

 私は呆れ、つい力が抜けた。瞬間、敵の剣が鎧の胸部を切り裂いた。肌に真一文字の赤い線が引かれ、強烈な痛みが脳天を駆け上がる。

「だめーっ、アリアドネ!」真珠姫の悲鳴が聞こえる。「プラエスタト・ミヒ――」

 剣が襲いかかる。

「おやめください、姫!」

 詠唱している間に姫が斬られてしまう! 私は死に物狂いで槍を振り回した。

「姫! 姫! 行ってーー! 行って錫杖ロッドをお取りなさい!」

 視界の隅でランドーとファウストが武器を構えるのが見える。今こそ仇に力を合わせて対抗するとき。

 真珠姫が奥に向かって駆け出すのを、私は劣勢の中、満足して見送った。


 もうほんの少しの力も出ない。味方の三人は、硬く冷たい地面に這いつくばっていた。金色の鎧の男が楽しそうに声を上げて笑っている。

 血のにおいが充満している。死を目前にした苦痛の呻き。暗闇だというのに視界は真っ赤だった。

 将軍アレスはあまりに強かった。

「おやおや、もっと楽しませてくれるかと思ったがね、脱走兵諸君。それにアリアドネ、そんなにずたぼろじゃあ、私の寝所には入れられないな」

 私は惨めだった。あれほど力を注いだのに、こんな終わりなど……だが、これが現実なのか。頬を熱いものが伝った。

 そのときだった。

 七色の光の風が、凄まじい勢いで洞窟奥から吹き抜けてきたのだ。どうっと音がするほどの一陣の風は私たちの体を貫いた。

 次の瞬間、私たちは軽やかに跳び上がった。体が軽い、すべての傷が癒されている――!

 いったい何が? と思うと同時に、洞窟奥から輝く少女が姿を現す。少女が現れると、あれほど暗かった洞窟は真昼の輝きを見せた。その光り輝く少女こそ我が主君――真珠姫なのであった。手には、白い宝玉がちりばめられた白銀の錫杖ロッドを握っている。ああ、ついに手にされたのですね!

 最初に覚醒したのはランドーだった。

「うおおおお!!」

 満身の力を込めてアレスに斬りかかる。間髪入れず火の海が辺り一面を焼く。アレスは剣も構えられずにうろたえている。

「なにを……いったいこれは……まさか……お前が王位をおおお!?」

 ランドーの攻撃で、今度はアレスが地面に倒れ伏す。真珠姫がその前に進み出た。目を閉じ、震える錫杖ロッドの先をやつの頭上に突きつける。

「真珠姫、おやめください!」息を飲み、私は叫ぶ。

「いいえ、いいえ、これは私の使命」

「そうではない! 私にお命じください、姫!」

 ふらふらとアレスが立ち上がる。額が割れ、血が滴り落ちている。姫にとどめを刺させるわけにはいかない。そんなことをさせないために、旅の間中ずっと手を汚してきたのだ。

 姫は目をひらき、背筋を正した。

「命じます、アリアドネ。この者に断罪を」

 私は金色の鎧の中心めがけて槍で突いた。

 一瞬ののち、将軍アレスの肉体はゆっくりと背後にくずおれた。

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