第1話 魔獣狩りの夜

 その日の夕食は、魔獣のぶつ切りスープになった。野営のたき火で鉄鍋を沸かし、町で調達した塩漬けの野菜をぶち込んで味付けする。これに、森で採れた木いちごを付け合わせれば立派なディナーだ。

 闇夜の森に、パチパチと火の粉のはぜる音がする。

「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・ウィンディーネ――癒やせ、水よ」

 白魔道士ヒーラーである真珠姫がほっそりした両手をかざし、戦いで負った私たちの傷を癒やしてくださる。こんなむさ苦しい場所にいてさえ、姫の慈愛はいっそう光り輝いていらっしゃる。

「俺たち四人、息ぴったりのパーティだねえ。とても半年前に組んだとは思えねえな」

 赤髪のランドーが肉にかぶりつきながら笑う。彼の言葉に、頬が紅潮するのを感じる。実際、私もそう思っていたからだ。

「いったいこれで何頭の魔獣を倒した? 数十じゃきかねえだろう」

「少なくとも三桁だろう」

 漆黒のローブを身にまとったファウストが、控えめに賛同する。硬木の両手杖スタッフの手入れをしている。まだまだ戦う余力があるというところか。

「アリアドネ、あんたはどう思う?」とランドー。

 私は肩をすくめる。「魔獣を倒すのにもやっと慣れてきたというところかな」

 ランドーは豪快に笑った。まったく、彼の底抜けの明るさこそが、このパーティの要と言っていい。

「あんたは魔獣となんかやり合ったことはねえんだろう。お堅い上流社会のお上品な悪戯をそっとたしなめるようなのが仕事だったんじゃねえのか?」

 ランドーはこちらにウィンクを送ってみせた。皮肉なのかもしれないが、そんな仕草をされるものだから妙に憎めない。それに、実際事実だった。これまでの私の職務は、姫の食事に仕込まれる毒を防いだり、興奮しすぎて姫に直接触れようとする庶民を撃退したりといったことで占められていたのだから。もちろん槍の素養は必要十分に持っていると自負しているけれど。

 ファウストが口を挟む。「どっちが大変かは、見方によるさ」

 違いない、と言ってランドーはうなずく。

 魔獣肉の味にもいつしか慣れた。今日の獲物はなかなか脂が乗っている。これにワインでもあれば……ああ、今はもう宮廷でのことは遠い夢のようだ。真珠姫が目を固く閉じておられるのが見える。

 夜も更けていく。


 エーデルワイス・エトワール・ペルレリヒト・ドゥ=ガリア殿下――その美しさと慈愛に賛美を込めて、人々は真珠姫と呼ぶ。ガリア王国唯一の直系王位継承者である。

 王国歴751年。小国ながら国土は豊かな森や水源に恵まれ、城下町は活気に満ち、民は幸福に暮らしていた――あのときまでは。

 姫の敬愛してやまない父王の、突然の崩御。ほどなくして勃発した王位継承争い。本来であれば、我が主君、真珠姫が継承するのが正統であった。しかし、亡き王の弟君にして姫の叔父であられるミノス大公が、巧みに軍を掌握し、武力でもって王位に名乗りを上げたのだ。

 当初は真珠姫を支持する声も高かったものの、ミノス大公の暴虐非道が我が方の勢いを失わせていった。あの頃のことは思い出したくもない。姫の騎士隊として共に働いた愛する同僚たち……有能な貴族のかたがた……多くが剣の餌食となった。

 そしてついにあの日がやってきた。

 ミノス大公の私物と化した軍の総大将、アレス将軍が私たちの前に立ちはだかったのだ。そのときにはもう、姫のそばには私ひとりしかいなかった。

 その日、金色の鎧を身にまとった美丈夫が、ずかずかと後宮の渡り廊に乗り込んできた。場違いなその姿を、私はあっけにとられて見ていた。むしろ彫刻のように均整の取れた肉体を、軍神のように美しいとさえ感じていた。しかし、その人こそが将軍アレスだったのだ。そのことに気づいたのは、彼が寝室入り口のレースを乱暴に引き破り、そこにいた姫の華奢な体をとらえようとしたときだ。

 私は部屋に飛び込むと同時に槍を構え、アレスに対抗した。しかしアレスはそれさえ予測していたかのように、いとも簡単に剣でもって我が槍を払いのけ、恐ろしい高笑いを上げた。そのあまりの剣圧に私は思わずよろめく。が、すぐさま姿勢を立て直し、槍を突き立てんとする。次の瞬間、空気を震わす金属音。剣が槍の穂先を押しとどめたことがわかった。互いに力を込めて武器を押し合う。アレスは今までに対抗したこともない力の持ち主だった。骨がきしむ。

「アリアドネ!」姫が叫ぶ。

 その声に深い信頼がにじんでいるのを感じて、私は更に力を込めた。握りしめた手の平が地獄の業火のように熱い。

「姫! どうか今のうち――」

 言おうとした言葉はアレスに遮られる。「アリアドネと言ったか。なかなかの胆力だな。女だてらに我が剣を受けるとは」

 姫、どうかお逃げください――私はそれだけを願っていた。私の命は姫のもの、私の存在意義は姫のもの――私はそのために騎士になったのだから。

「どうだ、我が配下にならないか? 父にも推薦してやろう」

 そのとき気がつく。そうだ、アレスはミノス大公の令息だった。従兄にして姫を手にかけようとは。私は胸の中で怒りの炎が立ち昇るのを感じた。姫、どうか――。

 しかし我が主君は逃げなかった。厳かな詠唱が聞こえた。

「プラエスタト・ミヒ・ヴィレス・トゥアス・ルクス――満ちよ、光芒!」

 まばゆい白光が辺りを満たす。ほんの一瞬、アレスの剣から力が抜ける。私は身を翻して姫の背中に手を添え、一緒に寝室から駆け出した。

「おのれえええ!!」

 薄れゆく光の中で、アレスの無様な怒声が聞こえる。

 それ以来、城には戻っていない。

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