第2話

スライムを倒し、俺は小さな魔核と、溶けて骨組みだけになった無惨なビニール傘を手に一息ついた。




ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打っている。 恐怖と安堵がないまぜになった、生々しい感覚。




(助かった……本当に偶然だ。次は、絶対に偶然に頼っちゃいけない)




俺はまず、現状を把握するためにステータスウィンドウを開いた。

HPが50から24に激減している。あの落下時の衝撃で、半分を持っていかれた。 MPは20/20で満タンだ。




その時、スキルリストに並ぶ『独り言』『根性論』『検索』『偁□□?□偁□』の文字を見た瞬間、奇妙な感覚が襲った。




まるで手足の動かし方を思い出すように、それらの力の「使い方」が脳にインストールされたのだ。




ただし、あの文字化けしたバグスキルを除いて。




(バグ以外のスキルの使い方が分かる……? 試してみるか)




俺はまず、一番意味不明な『独り言』を発動してみる。




「独り言」




意識してスキルを起動し、低い声で呟いた。


「田中裕太、今の状況を整理しろ。まだ、生きている」




MPは減らない。

しかし、パニックで散り散りになっていた思考のノイズが、スイッチを切ったように消え失せた。 脳内がクリアになり、今の状況だけが鮮明に浮かび上がる。




(MP消費なし。なるほど……引きこもって誰とも話さず、ぶつぶつ独り言で思考を整理していた俺の癖が、そのままスキルに昇華されたのか。地味だが、この極限状態では精神安定剤より使える)




次に『根性論』。HPが減っている今が試し時だ。




(根性論!)




念じると、身体の奥底から微かな熱が湧き上がった。

MP消費はなし。劇的な変化はない。


だが、全身を苛んでいた鈍い痛みが、「無視できるノイズ」へと変わった気がした。




(痛みが消えたわけじゃない。痛みを「気合」でねじ伏せている感覚だ……。

ステータス上の回復速度も……あぁ、誤差レベルだが上がっている)




(ニートの根性が生存時間を伸ばすスキルになったってことかよ。笑えねぇ)




最後に『検索』だ。俺は周囲の壁や床に視線を向ける。




(検索!)




ウィンドウに表示されるのは「石壁」「松明」など、見たままの情報ばかり。

俺は、床に落ちていた小さな魔核に視線を移し、再度発動する。




【検索結果:スライム・コア。モンスターの生命の核。換金可能。】




(クソッ、Lv. 1だとこんなものか。もっと詳細な弱点とか……いや、待てよ)




俺はふと思いつき、自分のスキルリストそのものを睨みつけた。 自分の能力を『検索』する。




【検索結果:スキル『独り言(N)』Lv.1:MP非消費。発話することで思考を整理し、集中力を飛躍的に向上させる。】




(やはり集中力バフか! 次は、根性論!)




【検索結果:スキル『根性論(C)』Lv.1:MP非消費。疲労や空腹、苦痛を精神論で一時的に忘却させ、HP/MPの自然回復速度をわずかに上昇させる。】




(苦痛の忘却……! ブラック企業も真っ青なスキルだな)




そして、一番気になるバグった文字列。




【検索結果:スキル『偁□□?□偁□(EX)』Lv.-:ノ?????グ??????ホ????ル???? ヲ??シ???テ??ル ユ?????ウ????ン????メ?????イ??)




(ダメだ……文字化けして読み取れねぇ)




実験を終え、俺は溶け残った傘の残骸を拾い上げる。先端の金属パーツだけが頼りだ。


これを仮の武器とするしかない。




(根性論が効いている間に進むぞ)




『独り言』で強制的に冷静さを保ち、右側の壁に沿って探索を開始した。




通路の分岐やトラップがないか警戒しつつ進むと、再びあの音が聞こえた。

湿った床を這いずる、粘着質な音。




(スライム……! 勝機はある。コアを狙え。武器は傘だ)




俺はLv. 1の貧弱な身体能力を『独り言』の集中力で補い、傘の先端で正確にスライムのコアを貫いた。




ジュッ、と音を立ててスライムが崩れ落ちる。 さらに奥から現れたもう一匹も、同様に処理した。




【経験値:10を獲得しました】

【レベルが上がりました!】




身体が一瞬軽く熱くなり、力が湧いてくるのを感じた。


ステータスを確認すると、レベルが2に上がっていた。




(よし、上がった! スライム2匹(20EXP)でレベルアップか。

これならサクサク強くなれるかもしれない)




少し希望が見えた気がした。俺は勢いづいて探索を続ける。 さらに現れたスライムを狩り進める。




1匹、2匹……そして3匹目を倒した。




(……おかしい。レベル3に上がらない)




さっきは2匹倒しただけで上がったのに、今回は3匹倒しても音沙汰がない。


レベルアップのファンファーレが鳴らないことに、じわりと冷や汗が滲む。




(まさか……)




嫌な予感がして、俺は『検索』をシステムそのものへ向けた。




(検索! 経験値テーブル!)




【検索結果:レベルアップに必要な経験値は前レベルに比べ、倍(2倍)に上昇します。


Lv. 2→3には40EXPが必要です。】




「は……? 倍!?」




Lv. 1→2には20EXP

Lv. 2→3には40EXP

Lv. 3→4には80EXP

Lv. 4→5には160EXP




計算すると、Lv. 5にするだけでも、累計で300EXPが必要になる。


スライム1匹10EXPだから……30匹!?




(ふざけんな……! 倍々ゲームかよ!)




今の俺じゃスケルトンやゴブリンみたいな人型には勝てない。出会ったら即死だ。


安全マージンを取るなら、ここでスライムを狩り尽くして、最低でもLv. 5までは上げておきたい。




(やるしかない……。30匹、狩り続けるんだ)




覚悟を決めた俺は、そこから第1層での「作業」に没頭した。




それは地獄のような時間だった。


言葉にすれば「スライム狩り」だが、武器は壊れかけの傘、防具は普段着だ。

一瞬の油断が、大怪我や死に繋がる。




喉が焼け付くように乾き始めた頃、倒したスライムの跡に、キラリと光るガラス瓶が落ちていた。




(なんだ、これ? 魔核じゃない……ドロップアイテムか?)




【検索結果:弱ポーション。HPを微量回復させる水薬。毒ではない。】




(ポーション……! しかも毒じゃない!)




飲みものがない俺にとって、それは砂漠で見つけたオアシスに等しかった。

俺は迷わず栓を抜き、一気に飲み干す。




甘ったるい薬液が乾いた喉を潤し、体内に温かい力が広がる。

HPがわずかに回復するのを視覚的に確認し、俺は安堵の息を吐いた。




(生き返った……。『根性論』で誤魔化していた疲労も、これで少しはマシになる)




だが、現実は甘くない。




スライムを追って通路を進む際、足元のヌメリに足を取られた。

転倒は免れたが、体勢を崩した隙に酸の飛沫を浴びる。




「ぐっ……!」




左腕の皮膚が焼け爛れるような激痛。

だが、俺は『根性論』を重ね掛けし、脳に「痛くない」と命令を送る。




痛みを無視し、傘を突き出す。 心を殺し、淡々と作業を続ける。




【レベルが上がりました!】

【レベルが上がりました!】




何度目かのファンファーレが頭の中に響いた。 目標としていた到達点だ。




俺は震える手でステータスウィンドウを開いた。




名前:田中 裕太


レベル:5


HP:80/80 MP:40/40


力(STR):15

耐久(VIT):10

器用(DEX):12

魔力(INT):10

敏捷(AGI):10

運(LUC):1




(Lv. 1の時とは比べ物にならない……力が漲っているのが分かる)




全ステータスが上昇している。


これなら、人型の魔物が相手でも反応できるかもしれない。 いや、やるしかないんだ。




俺は通路の岩陰で座り込み、『根性論』で回復を促進しながらHPとMPが満タンになるのをじっと待った。




数十分後。 全快した俺は探索を再開し、間もなく広間の隅に下へと続く石造りの階段を発見した。




底知れない暗闇が口を開けている。 吹き上げてくる空気は、第1層よりも一段と冷たく、生臭い。




(恐らく第2層への階段だ。準備は整った)




俺は傘の柄を強く握りしめ、慎重に第2層へと足を踏み入れた。




そこで俺を待ち受けていたのは、スライムなど比較にならない「殺意」だった――。

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