第一章 ― 星渡書店の扉 ―

扉の鈴が、からん、と優しく鳴った。

そこは、外の世界よりも少し暗く、少し温かかった。

棚は天井まで届くほど高く、所狭しと本が並んでいる。

どの本の背表紙も、どこか見たことがない言葉や紋章で飾られていた。


「……すごい。おとぎ話みたい」


灯が小さく呟く。

結人は黙って店内を見回した。人の気配はない。

なのに、不思議と怖くはなかった。

空気の奥に、柔らかな「誰かの気配」があるような気がした。


「いらっしゃい。」


声がして、二人は振り向く。

カウンターの奥に、古びた帽子をかぶった老人が立っていた。

白髪まじりの髪に、琥珀色の瞳。まるで長い時間を旅してきたような眼差し。


「ようこそ、《星渡書店》へ。」


老人――店主は、ゆっくりと微笑んだ。

灯がぺこりと頭を下げる。


「えっと……このお店、前からありましたっけ?」

「さあ、どうかな。見つけた者にしか見えないのかもしれないね。」


結人は眉をひそめた。

「見つけた者にしか……?」


「そう。心が、星を探している者だけが辿り着けるんだ。」


意味の分からない言葉だった。けれど、不思議と胸に引っかかった。

店主は一冊の本を手に取って、灯の前に差し出した。


「君には、この本が合いそうだ。」


灯はそっと受け取る。表紙には金の文字で書かれていた。


『星の舟と空の国』


「読んでごらん。」

「……ここで、ですか?」

「どこでもいい。ただし、心を開いて読むんだよ。」


灯は頷いて、隅の椅子に座った。結人は隣で見守る。

ページをめくる音が響く――すると、突然、灯の瞳が淡く光った。


「……お兄ちゃん……見える……!」


その瞬間、世界がひっくり返ったように、視界が白く染まった。


風の匂い。海の音。

結人が目を開けると、そこは広い空の上だった。

空を航行する透明な船の甲板に、二人は立っていた。


「……これ、本の中……?」

灯が嬉しそうに笑う。

「見て、お兄ちゃん! 星が海みたいに広がってる!」


星々の海に浮かぶ船。帆は光でできていて、風は歌うように吹き抜けた。

船の舵には、先ほどの店主によく似た影が立っていた。


「よく来たね。ここは“物語の海”。君たちは今、本の物語の中にいる。」


「……本の中に、入った……?」

結人の声が震える。

店主は静かに頷いた。


「この世界では、君たちの心が物語を紡ぐ。本を読むとは、本に自分を映すこと――。君たちは、心を閉ざしていた。でも、物語はいつでも君たちを待っていたんだ。」


灯は目を輝かせて空を見上げる。

「すごい……! お母さんと見た星みたい……!」


結人の胸に熱いものが込み上げた。

あの日から初めて、灯が心から笑っている。


その笑顔を見て、結人も少しだけ、世界の色が戻ってくるのを感じた。

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