うちのパパは医学生

Kay.Valentine

第1話 うちのパパは医学生

(娘が熱を出したとき 四年生の頃、ゆり二歳)


 玄関のドアを開けて乱暴に靴を脱ぎ、目の前のキッチンのシンクにあったコップを取ると、水道水をグッと飲む。とにかく喉が渇いていた。


するとキッチンの右側にある居間から久美がでてきた。


「お帰りなさい。今日は遅かったのね」と、ボクが乱雑に脱いだ靴を揃える。

「うん、実習が長引いてしまった」


久美は、それには答えなかった。


振り返ると、なにやら深刻そうな表情をしている。


「何かあったの?」と思わず訊いた。


「うん、実はね、ゆりが喉と頭が痛いって言うから、熱を測ってみたら三十八度もあるのよ。ほんのちょっと前なんだけどね。今は市販薬を飲ませたから眠っているけど」


「そりゃすぐに団地前診療所に連れて行かなきゃ」


「でも、もう時間が遅いからやってないわよ。どうしようか?」


 久美は、腕を組み天井を見上げて考える。


「どうしようかって言われても…」


 ボクも腕を組み天井を見上げて考える。


ふたりともキッチンで向き合ったまま腕を組み天井を見上げて思案にふけっている。


久美がいま思い出したというような表情で訊いた。


ボクの目をしっかりと見つめて、

「あなた、医学生よね」

「そうだよ」


 久美はたたみかけるように言った。

「医者になるための勉強をしているのよね」

「だから?」


「あなたがゆりを診察して。そして治してよ」

 やっぱり、そう来たか。


「そんなの無理だよ。まだ、実践的なことは何も知らないんだから。」


 しかし、久美はここに都合よく、医者を見つけた。ラッキー。

とばかりに詰め寄って、目の前まで来て顔を上げてボクの目を睨みつける。


でも、ボクが今どんな勉強をしているかというのは折に触れて話しているんだがなあ。


「あのねえ、いつも話しているから分かっているでしょ。ボクが今、している勉強は、解剖とか病理とか薬理、最近では、病気のメカニズム。そんなことばかりで、実践的なことはまったくやってないんだよ。風邪の診かたなんてまったく知らない。久美も知っているじゃないか」


 すると、久美はやはり、そのことはしっかりと理解しているようで、諦めの表情に戻った。


「そうよねえ、ほんのちょっと期待したんだけどネ。あなたはまだ卵ですものネ」


「なんだか皮肉に聞こえるなあ。でも、こういう時は市の夜間救急外来しかないんじゃないの?」


「そうよね」と久美もあっさりと同意した。ふたりとも結局は夜間外来しかないことは最初から分かっていたのだ。


ただ、もっと他に手っ取り早い方法があるのかないのか。


それを思案していただけなのだった。ボクもその選択肢のひとつになってしまったけれど。

   

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