辰鼓楼

 国道四二六号はお約束の峠もあったけど、これまたお約束のトンネルもあって、まずまず快走できたかな。トンネルが長いのに驚いたけど、あれがなかったら、さぞって思ったぐらい。山道だし、カントリーロードだったけど思ったより交通量が多い感じ。


「福知山辺りから出石に行く道で良さそうです」


 バイクも多かったものね。これなら走りに来てもおかしくないだろうし、ゴールには出石もあるものね。国道四二六号は国道四八二号にぶち当たるのだけど、こっちも悪くない。出石川のリバーサイドロードだもの。


「あの信号を右に入ります」


 なんか一階建てのお城の櫓みたいなものがあって、その先の信号みたいだ。ここは出石市街の南の端ぐらいだそうだけど、ここを上がって行くとそのまま出石市街に入れるんだって。あるある、出石蕎麦の店があるよ。


 出石と言えば皿そばだけど、なんと四十軒ぐらいあるんだとか。これだけお蕎麦屋さんが集まってるって珍しいのじゃないのかな。信州とかだったらあるのかな。市街に入って来たのだけど、


「あの信号のところ、五万石って看板があるところを右に入ります」


 ここだな。いかにも城下町って雰囲気の道だよ。今日はどこに行くのかな。出石の皿そばも久しぶりだから、楽しみ、楽しみ。へぇ、ここにお店の駐車場があるのか。バイクを停めさせてもらって、この店か。


 民芸風と言うか、いかにもお蕎麦屋さん風の店だ。入るとテーブルに案内されたけど、メニューはシンプルだ。だって皿そばしかないんだもの。出石の皿そばの注文の仕方は知ってるぞ。


 あれって一人前が五皿で、蕎麦つゆとか、薬味とかがセットになってるはず。そこに後は食べたいだけの蕎麦を皿数で追加注文する感じ。この店の追加は五枚単位みたいだから、鈴音は十皿追加で頼んでみた。


 鈴音はお蕎麦も好きなんだけど個人的に出石の皿そばが一番好き。だって腹いっぱいお蕎麦が食べられるもの。今日頼んだの十五皿だけど、これだけで普通の蕎麦屋の三人前になるはず。そんな事を言ってるうちに蕎麦が来た。


 うん、これこそ皿そばだ。そうだそうだ、店に入る前に出石の象徴の辰鼓楼が見えたけど、これって江戸時代からあるものよね。


「そうじゃなくて明治になって作られたとなっています」


 時計台としては古いものらしくて、札幌の時計台と日本最古を争ったそうだけど、物の見事に返り討ちにされた由緒ある時計台らしい。もっとも時計台になったのはもう少し後だそうで、出来た頃は名前の通りに辰の刻に太鼓を鳴らしていたんだとか。


 それって田舎にあるお昼のサイレンみたいな役割だったのかも。あれも、初めて聞いた時に何事かと思ったけど、千草先輩に教えてもらったんだ。その手のサイレンは工場なんかなら今でもありそうだ。


「大坂城にもドンがありました」


 それ知ってるぞ。お昼に天守閣のところから大砲をぶっ放していたって話だろ。そこから午後半休の事を半ドンって言うようになったんだよね。でもさぁ、でもさぁ、辰鼓楼が出来た頃ってどうやって時刻を知ってたの?


「だから後に時計台になってるはずです」


 時刻なんて時計を見ればって思ったけど、時計もかつては高級品とか、贅沢品だったんだって。その名残みたいなものが時計店と宝飾店が一緒になってるお店だとか。あれって神戸にもあるけど不思議だったんだ。田舎にもあるのを見た事あるけど、それこそ昭和の時代からありそうなお店だった。


 時計だって高価なものがあるのはもちろん知ってるよ。カルチェとか、ブルガリとか、エルメスだとかだけど、あれって時計と言うより宝飾品だと思うんだ。だって時計店に並んでいるのはセイコーとか、シチズンとか、カシオじゃない。


「そうなったのはクォーツショックからになります」


 クォーツぐらいは知ってるぞ。電池式の時計のことだろ。


「今はそういう理解で間違いではないのですが・・・」


 時計に求められるものに精度があるぐらいはわかるよ。今だったら電波式が一番良いはずだ。


「そうなんですが、電波式も大元の時計があります」


 そうなるよね。時計の精度の基本となるのが振動だって。振動ってなにかと聞いたら、柱時計の振り子が一回往復すると考えたら良いんだって。この振動ってやつが時計の刻める時間の最小単位になるのか。


「機械式の限界は十振動で良いはずです」


 これは一秒間の振動数のことで、十振動が可能になってストップウォッチで〇・一秒までタイムを計測する事が可能になったんだって。だから大昔の陸上とか、水泳の記録は〇・一秒が最小単位だったとか。


 振動数は時計の刻める最小単位でもあるけど、この振動数が多いほど時計の精度も高くなる、つまり狂いにくくなるらしい。機械式も延々と改良をしてたそうだけど、その到達点が十振動で、これ以上は無理らしい。


 その機械式の限界を超えたのがクォーツ式らしいのだけど、ショックって言うぐらいだから振動数が劇的に増えたんだろうな。そうだな百振動ぐらい、いくらなんでも千振動はありえないだろ。


「現在の標準的なものは三万二千七百六十八振動です」


 頭の中が一瞬パニックになった。よく格段の能力の差がある時に桁違いって言い方をするけど、三桁違いの三千倍以上だぞ。こんなものモンキーとリッタースポーツの差より大きいじゃないの。


「クォーツショックは精度だけではなく価格も破壊し尽くしています」


 それはわかる。だってさ、百均の時計もクォーツのはずだもの。それだけじゃない、エアコンのリモコンとか、炊飯器にも当たり前のように付いてるし、モンキーのメーターにどうして時計がないのか嘆いたもの。


 クォーツショックは時計王国スイスの深刻な影響をもたらして、今は超高級時計分野に棲み分けて生き残ったとか、なんとか。でも笑っちゃうと言えば笑っちゃうけど、ロレックスより百均の時計の方が精度しては三千倍も良いなんてね。


 だからになるけど、クォーツ登場前の腕時計はとにかく高かったらしい。普及品でも結構なお値段で、それこそ就職祝いの一生物とか、親から譲り受けるなんてのも普通のことだったんだって。それぐらい高額なものだったってことか。


「だから男の価値を値踏みするには腕時計を見ろなんてのがあったのです」


 その話は聞いたことあるけど、あんなもの嫌味な金持ち自慢だと思ってた。だってさぁ、金張りのロレックスを見せびらかされても尊敬なんてする気になれないもの。どうぞご勝手にしか感じないじゃない。


 時刻が知りたいならスマホで十分だし、時計ぐらい壁とかにいくらでもあるじゃない。今ならアップルウォッチをしている人だって珍しくもない。だけど話はクォーツなんてSF小説にも出てこない明治の話になってくる。


 辰鼓楼が時計台になったのは明治十四年だそうだけど、その頃の出石に時計が何台あったかのレベルだったかもしれない。それこそお金持ちの贅沢品時代も良いところのはず。それでも時刻を知るのが文明開化みたいになって時計台になったのだろうな。


「時計台とか、時計が付いてる古い公共の建物はありますものね」


 時計にも歴史ありだ。ところでさぁ、時計台になる前も辰の刻に太鼓を鳴らして時刻を知らせていたんだよね。そもそもだけど辰の刻って何時で、どうやって知ってたの?


「おそらく不定時法の時代ですから・・・」


 二十四時間を十二支で分けていたのぐらい知ってるぞ。正午ってのは午の刻から来てるんだ。忍たま乱太郎で見た事あるものね。話は午後に絞るって哲也さんが前置きしたけど、正午は固定だけど、卯の刻が日没なんだって。日没時間は変わるから他の時刻も連動するのが不定時法になるのか。


「一刻を良く二時間としますが、これは日没が十八時の時だけです」


 日没の卯の刻の次が辰の刻になるのだけど、時計が無い時代は一番星が見えた時になるんだってさ。なんて牧歌的な。あれかな、良い子はおうちに帰りましょうの合図だったとか。


「当時の生活リズムを考えると違う気がします」


 陽が落ちれば暗くなって照明が必要になるのだけど、出石に電気と言うか電灯が家庭に広がったのはいつかって話になって来るレベルなのか。電灯が無ければ行燈ぐらいになるけど、行燈のための油代が高かったそうなんだ。


 その節約のために、日があるうちに食事を済ませ寝るのが当時の人は多かったんじゃないかって。なるほど、そうだったら残業なんてないから、そこだけは良さそうな気がする。でもさぁ、でもさぁ、暗くなれば自然に誰もがそうするのなら、わざわざ太鼓を鳴らして報せる必要なんてあったのか。


「それについては調べてもわかりませんでした・・・」


 哲也さんも想像としてたけど、お殿様がいてお城があった時代も太鼓を鳴らしていたのかもだって。


「たとえば城門を閉じる合図です」


 なんかそれありそう。それこそ工場の仕事終了のサイレンみたいなものだ。出石の人はずっと辰の刻に鳴らされる太鼓の音を生活リズムの中に取り入れていたのかも。


「大人の夜の時刻の始まりだったのかもしれません」


 なんかありそう。子どもが寝てくれないと大人の夜の時間を楽しめないよね。とにかく出石にいれば誰でもわかる時刻の節目だから生活とか、仕事にも溶け込み切っていたのかも。これがお殿様もお城もなくなって不便に感じたから辰鼓楼を建て復活させたぐらい。


「つまらないお話ですみません」


 そんなことない。面白かったし、タメにもなったもの。だってさ、何にも知らずに辰鼓楼を見たってタダの古い櫓じゃない。それも江戸時代からの物じゃなくて明治のものだよ。そんなもの見たって、あっ、そうぐらいしか感じないじゃない。


 でもこうやって歴史とか由緒を知ったら、当時の人が辰鼓楼をどういう思いで建て、どういう気持ちで見ていたかがわかってくる気がする。時計台になった時なんて、オレらの街には誰でも見る事が出来る時計があるんだと誇りにしていた気さえするんだ。


 こういうものは時代が過ぎ去ってしまうと本当にわからなくなってしまう事は多い気がする。神戸の新開地が、かつては神戸随一の繁華街として栄えていたと言われたって、見ただけでわかるものか。聞いたってピンと来ないぐらいだもの。


「時刻なんてスマホで済んでしまう時代ですものね」


 電話もね。鈴音はそれが当たり前の時代に生きてるけど、スマホとかガラケーが登場するまでは街中に公衆電話が普通にあったって言うもの。


「古い映画で公衆電話を探すシーンはありますよね」


 昔のスーパーマンは電話ボックスで着替えをしてたって親父に聞いたことがあるかな。これも今の電話ボックスなら全面ガラス張りだけど、大昔のは上半身だけしか見えなかったとか。そうなるとスーパーマンはかがんで着替えてたのかも。


「今も電話ボックスは残ってはいますが、着替えようと思っても探し出すのが大変過ぎる気がします」


 そうだよね。今ならコンビニのトイレで着替えるにしたかも。スーパーマンの着替えの話はともかく、良い話を聞かせてもらった。

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