文化祭出演の決定
初めての合奏から一週間が経った放課後、軽音楽部の部室には今までにない活気が満ちていた。
「みんな、お疲れさま」 田中先生が部室に入ってくると、五人は練習の手を止めて振り返った。この一週間、彼らは毎日のように合奏を重ねていた。最初はぎこちなかった演奏も、日を重ねるごとに確実に上達していた。
「先生、聞いてください」 花音が嬉しそうに立ち上がった。 「今日の『翼をください』、すごく良い感じに演奏できたんです」
「そうか、それは楽しみだな」 田中先生が微笑んだ。 「じゃあ、聞かせてもらおうか」
五人は顔を見合わせて頷いた。翔太もギターを構える時の緊張感が、最初の頃とは全然違っていた。まだ技術的には未熟だが、みんなと一緒に音楽を作ることの喜びが、不安を上回っていた。
美月がピアノでイントロを弾き始めると、他のメンバーも自然と演奏に加わっていく。
「今 私の願いごとが叶うならば 翼が欲しい」
花音の歌声が部室に響く。一週間前と比べて、五人の音楽はずっと調和が取れていた。翔太のギターも、もうリズムを乱すことはない。
「この背中に 鳥のように 白い翼つけてください」
演奏が進むにつれて、翔太は不思議な感覚に包まれていた。自分のギターの音が、他のメンバーの演奏と完全に溶け合っている。技術的にはまだまだだけれど、確実に「バンドの一員」として機能している。
「悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ行きたい」
最後の部分で、五人の音楽が美しく重なり合った。演奏が終わった時、部室には満足感に満ちた静寂が訪れた。
「素晴らしい」 田中先生が手を叩いた。 「一週間でここまで成長するとは思わなかった」
「本当ですか?」 太一が期待を込めて聞いた。
「ああ、確実に上達している」 田中先生が頷いた。 「特に翔太、お前のギターが安定してきた」
「ありがとうございます」 翔太は嬉しさで胸がいっぱいになった。毎晩、血豆だらけの指でも練習を続けてきた甲斐があった。
「みんな」 田中先生が改まった口調で話し始めた。 「お前たちに提案がある」
五人は緊張した面持ちで先生を見つめた。
「秋の文化祭で、軽音楽部として演奏してみないか?」
部室に静寂が訪れた。文化祭。桜丘高校最大のイベントで、多くの生徒や保護者、地域の人々が訪れる一大行事だった。
「文化祭……」 美月が小さく呟いた。音楽科の生徒として、文化祭の音楽系イベントがどれほど重要なものかよく知っている。
「すごい……文化祭のステージに立てるんですか?」 花音の目が輝いた。
「まだ決定ではない」 田中先生が冷静に説明した。 「文化祭の演奏枠は限られている。各部活動から申請を出して、生徒会で審査される」
「審査……」 蓮が眉をひそめた。 「厳しいのでしょうか?」
「正直に言うと、音楽科の生徒たちの演奏レベルは非常に高い」 田中先生が真剣な表情で続けた。 「室内楽アンサンブル、合唱部、吹奏楽部……どれも全国レベルの技術を持っている」
翔太は身が引き締まる思いだった。自分たちのような素人集団が、そんな高いレベルの演奏と並んで評価されるのだろうか。
「でも」 田中先生の声が明るくなった。 「お前たちには他にはない魅力がある」
「魅力?」 太一が首をかしげた。
「心だ」 田中先生が断言した。 「技術は練習すれば身につく。でも、お前たちが演奏する時の純粋な喜び、音楽への愛情は、何年も訓練を積んだ者にも負けない」
その言葉に、翔太は勇気づけられた。確かに技術的にはまだまだだけれど、みんなで音楽を作ることの楽しさは誰にも負けない。
「私は」 美月が静かに口を開いた。 「挑戦してみたいです」
全員が美月を見つめた。音楽科のエースである美月の言葉は、重みが違った。
「音楽科の演奏は確かに技術的に完璧です」 美月が続けた。 「でも、この一週間で私が学んだのは、完璧な演奏よりも大切なものがあるということです」
「美月さん……」 翔太が感動したように見つめた。
「みんなで一つの音楽を作り上げる喜び。それを多くの人に伝えたいです」
美月の言葉に、他のメンバーも決意を固めた。
「俺も賛成」 太一が元気よく手を上げた。 「せっかくここまで上達したんだから、みんなに聞いてもらいたい」
「私も」 花音が頷いた。 「軽音楽部を設立した時からの夢でした」
蓮も冷静に分析した。 「確かにリスクはありますが、挑戦する価値はあると思います」
全員の視線が翔太に集まった。
「僕は……」 翔太が口を開きかけて、一瞬躊躇した。本当に自分なんかが文化祭のステージに立っていいのだろうか。
「翔太くん」 美月が優しく声をかけた。 「あなたのギターがなければ、私たちの音楽は完成しません」
「そうだよ」 花音も同調した。 「翔太くんがいるから、みんなの音がまとまるんだもの」
翔太は仲間たちの温かい視線を感じて、心が熱くなった。
「僕も」 翔太が決意を込めて言った。 「みんなと一緒に文化祭のステージに立ちたいです」
「よし、決まりだな」 田中先生が満足そうに頷いた。 「それじゃあ、申請書を準備しよう」
翔太たちは興奮と不安が入り混じった気持ちで、文化祭への第一歩を踏み出すことになった。
その時、部室のドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、長いウェーブヘアの美しい女子生徒だった。翔太は一瞬、その気品ある雰囲気に圧倒された。
「雨宮詩織です」 彼女は丁寧に自己紹介した。 「音楽科三年A組、生徒会副会長を務めています」
「雨宮先輩……」 美月の表情が硬くなった。詩織は美月と同じヴァイオリン専攻で、全国レベルのライバル関係にある先輩だった。
「軽音楽部の皆さんの演奏、廊下で聞かせていただきました」 詩織の声は丁寧だが、どこか冷たさを感じさせた。
「どのようなご用件でしょうか?」 田中先生が警戒心を込めて聞いた。
「文化祭の件でお話があります」 詩織が改まった口調で言った。 「軽音楽部として文化祭への出演を希望されているようですが」
「はい」 花音が緊張しながら答えた。
「率直に申し上げますと」 詩織の表情が厳しくなった。 「現在の演奏レベルでは、文化祭のステージは厳しいのではないでしょうか」
部室の空気が一瞬で重くなった。
「どういう意味ですか?」 太一が反発した。
「文化祭は桜丘高校の威信をかけた重要な行事です」 詩織が冷静に説明した。 「特に音楽系の演奏は、多くの音楽関係者や保護者の方々が注目されます」
「それで?」 蓮がクールに問い返した。
「申し訳ございませんが」 詩織が美月を見つめて言った。 「星野さんほどの才能をお持ちの方が、なぜこのようなレベルの……」
「待ってください」 美月が立ち上がった。 「雨宮先輩の言い方は失礼です」
詩織は驚いたような表情を見せた。普段は控えめな美月が、こんなにはっきりと反論するのは珍しいことだった。
「確かに私たちは技術的にはまだまだかもしれません」 美月が続けた。 「でも、音楽の価値は技術だけで決まるものではありません」
「それはそうですが……」 詩織が困惑した。
「音楽は心で奏でるものです」 美月の声に熱がこもった。 「この一週間で私が学んだのは、みんなで作る音楽の素晴らしさです」
翔太は美月の姿に感動していた。普段は大人しい美月が、軽音楽部のために堂々と意見を述べている。
「先輩」 翔太が勇気を出して口を開いた。 「僕たちはまだ始めたばかりです。でも、絶対に成長します」
「文化祭まで半年あります」 花音も加わった。 「その間に、きっと納得していただける演奏をお見せします」
詩織は困ったような表情で、五人を見回した。
「分かりました」 詩織がため息をついた。 「申請は受理します。ただし」
詩織の表情が厳しくなった。
「審査は他の音楽系部活動と同じ基準で行われます。甘い評価は期待しないでください」
「もちろんです」 田中先生が代表して答えた。 「正当な評価をお願いします」
詩織は複雑な表情で美月を見つめた後、部室を出て行った。
詩織が去った後、部室には微妙な空気が流れた。
「すごいプレッシャーだったね」 太一が苦笑いした。
「でも」 美月が前向きに言った。 「これで目標が明確になりました」
「そうですね」 蓮が冷静に分析した。 「文化祭まで約五ヶ月。かなり厳しいスケジュールになりそうです」
「でも、やるしかないよね」 花音が明るく言った。
翔太は不安と期待が入り混じった気持ちだった。音楽科の先輩からあんなことを言われて、本当に自分たちに文化祭のステージが務まるのだろうか。
「翔太」 田中先生が声をかけた。 「不安そうな顔をしているな」
「はい……」 翔太が正直に答えた。 「本当に僕たちで大丈夫なのかなって」
「大丈夫だ」 田中先生が断言した。 「お前たちには可能性がある。あとは努力次第だ」
「でも、音楽科の人たちのレベルは……」 翔太がためらった。
「確かに彼らの技術は高い」 田中先生が認めた。 「でも、お前たちにはそれ以上に大切なものがある」
「それって?」
「音楽を心から楽しんでいることだ」 田中先生が微笑んだ。 「技術は後からついてくる。でも、音楽への純粋な愛情は、簡単には身につかない」
その言葉に、翔太の心は少し軽くなった。
「先生の言う通りです」 美月が同調した。 「私も音楽科にいて、技術ばかりを重視する風潮に疑問を感じていました」
「美月さん……」
「でも、軽音楽部に入って分かったんです」 美月が続けた。 「音楽の本当の素晴らしさは、みんなで心を一つにして奏でることなんだって」
翔太は美月の言葉に深く感動した。あの完璧に見える美月さんが、自分たちと同じような悩みを抱えていたなんて。
「じゃあ、明日から本格的な練習を始めよう」 花音が前向きに提案した。
「はい」 みんなが一斉に答えた。
部室を出る時、翔太は夕焼けに染まる校舎を見上げた。文化祭のステージ。まだ想像もつかないが、確実に目標ができた。
「絶対に成功させよう」 翔太は心の中で決意した。
翔太たちの文化祭への挑戦が、今始まろうとしていた。
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