初合奏の奇跡

 翔太たちの初めての本格的な合奏は、予想以上に困難な道のりだった。

「それじゃあ、『翼をください』から始めよう」

 田中先生の指示で、5人は各々の楽器の前に位置についた。この曲は比較的シンプルなコード進行で、初心者の翔太にも演奏しやすい楽曲だった。

「テンポは少しゆっくりめでいこう」

 蓮がベースでカウントを刻み始めた。

「ワン、ツー、スリー、フォー」

 しかし、いざ演奏が始まると、5人の音はバラバラだった。

 美月のピアノは正確すぎるほど正確で、太一のドラムは勢いがありすぎて他の楽器と合わない。花音の歌声は美しいが、楽器隊とタイミングが微妙にずれている。

 そして翔太のギターは、コードチェンジが遅れがちで、全体のリズムを乱してしまっていた。

「ちょっと待って」

 蓮が演奏を止めた。

「リズムがバラバラです」

「ごめん……」

 翔太が申し訳なさそうに謝った。自分のせいで合奏が成り立たないことが分かっていた。

「翔太くんのせいじゃないよ」

 花音が優しくフォローした。

「みんなで息を合わせるのって、思ったより難しいのね」

 田中先生が冷静に分析した。

「お前たちはまだ、他人の音を聞きながら演奏することに慣れていない」

「他人の音を聞く?」

 太一が首を傾げた。

「そうだ。バンド演奏では、自分の楽器だけでなく、他のメンバーの音も同時に聞いて、全体の調和を図る必要がある」

「なるほど……」

 美月が納得したように頷いた。

「今まで一人で演奏することばかりだったから、他の人と合わせるのは初めてです」

「俺もドラムばっかり集中してて、他の音が聞こえてなかった」

 太一が率直に認めた。

「もう一度やってみよう」

 田中先生が提案した。

「今度は、自分の楽器を弾きながら、隣の人の音も意識してみろ」

 二度目の挑戦が始まった。翔太は意識的に美月のピアノの音に耳を傾けながら、ギターを弾いた。

 すると不思議なことに、今度は少しだけタイミングが合った気がした。

「お、今の良かったぞ」

 田中先生が励ました。

「翔太のギターとピアノが合っていた」

「本当ですか?」

 翔太は嬉しそうに顔を上げた。

「ああ、その調子だ」

 三度目の挑戦では、さらに改善が見られた。蓮のベースが全体のリズムを支え、太一のドラムがそれに合わせて叩いている。

 美月のピアノは相変わらず正確だが、今度は他の楽器との調和を意識した演奏になっていた。

 花音の歌声も、楽器隊のリズムに合わせて歌い始めた。

「いま 私の願いごとが叶うならば 翼が欲しい」

 5人の音が少しずつ重なり合い始めた。まだ完璧ではないが、確実に「一つの音楽」に近づいている。

「この背中に 鳥のように 白い翼つけてください」

 花音の美しい歌声に導かれるように、他の楽器も自然と調和していく。翔太のギターも、今度はコードチェンジが間に合っている。

「この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいよ」

 曲が進むにつれて、5人の音楽はさらに一体感を増していった。それぞれの楽器が主張しすぎることなく、全体の調和の中で自分の役割を果たしている。

 翔太は感動していた。自分の下手なギターが、みんなの音楽の一部になっている。技術的にはまだまだだけれど、確実に「バンド」として機能している。

「悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ行きたい」

 最後のサビの部分で、奇跡が起きた。5人の音が完全に一つになった瞬間があった。それは一瞬のことだったが、確かに感じられた「調和」だった。

 演奏が終わった時、部室には静寂が訪れた。

「今……」

 美月が小さく呟いた。

「最後の部分、すごく綺麗に合いましたね」

「うん」

 花音も感動していた。

「鳥肌が立った」

「俺も感じた」

 太一が興奮気味に言った。

「なんか、5人の音が一つになった瞬間があった」

 蓮も普段の冷静さを失って、目を輝かせていた。

「これがバンド演奏の醍醐味ですね」

 田中先生が満足そうに笑った。

「お前たち、今のを覚えておけ。あれがバンドの『調和』だ」

 翔太は胸が熱くなった。あの一瞬の感覚は、今まで経験したことのない特別なものだった。

「みんなの音と自分の音が合わさって、一つの大きな音楽になる……」

 翔太が感動したように呟くと、美月が微笑んだ。

「素敵ですね」

「これが音楽をみんなでやる楽しさなのね」

 花音も嬉しそうだった。

「もう一回やってみない?」

 太一が提案すると、みんな即座に同意した。

「はい!」

 二回目の演奏は、最初からかなり調和が取れていた。一度「合った」感覚を覚えると、それを再現するのは思ったより簡単だった。

 特に翔太は、自分の役割が明確に見えてきた。メロディーを奏でる美月のピアノや花音の歌声を支える、リズムギターとしての立ち位置。

 派手ではないけれど、なくてはならない存在。それが今の自分の役割だった。

「この背中に 鳥のように 白い翼つけてください」

 今度は最初から最後まで、5人の音楽が美しく調和していた。技術的な未熟さはまだあるけれど、心が一つになっている。

 演奏が終わった時、5人は顔を見合わせて笑った。

「やったね!」

 花音が嬉しそうに手を叩いた。

「すごく良い演奏でした」

 美月も満足そうだった。

「俺たち、もうバンドだな」

 太一の言葉に、みんなが頷いた。

「ああ、確かにバンドだ」

 蓮も珍しく感情を表に出していた。

「翔太、お前のギターが良いアクセントになっていた」

「本当ですか?」

 翔太は信じられない気持ちだった。

「ああ、リズムギターの基本ができている」

 田中先生も褒めてくれた。

「技術的にはまだまだだが、バンドの一員としての役割は果たしている」

 翔太は涙が出そうになった。ついに、みんなと一緒に音楽を作ることができた。

「もう一曲やってみようか」

 田中先生が提案した。

「今度は少し難しい曲に挑戦してみよう」

「何にしますか?」

 花音が期待を込めて聞いた。

「『糸』はどうだ? 美月がアレンジしたバージョンで」

 美月の顔が明るくなった。

「やってみたいです」

 『糸』は『翼をください』よりもコード進行が複雑で、翔太にとっては挑戦的な楽曲だった。

 しかし、先ほどの成功体験で自信がついていた。

「頑張ります」

 翔太は決意を込めて言った。

 美月が電子ピアノで美しいイントロを奏で始めた。続いて蓮のベース、太一のドラムが加わる。

 翔太は慎重にギターを合わせていく。Fコードの部分は まだ完璧ではないが、音楽全体の流れを止めることはない。

「なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない」

 花音の歌声が、楽器の演奏に優しく溶け込んでいく。

「いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない」

 5人の音楽が再び一つになった。今度は『翼をください』の時よりも、さらに深い調和が生まれていた。

「どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語」

 翔太は演奏しながら、不思議な感覚に包まれていた。自分一人では絶対に作れない音楽が、みんなと一緒だと生まれる。

「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」

 最後のサビで、5人の演奏は最高潮に達した。翔太のギター、美月のピアノ、花音の歌声、蓮のベース、太一のドラム。

 すべてが溶け合って、一つの美しい音楽になっていた。

 演奏が終わった時、部室には感動的な静寂が流れた。

「すごい……」

 美月が小さく呟いた。

「こんなに美しい演奏ができるなんて」

「俺たち、本当にバンドになったんだな」

 太一が感慨深そうに言った。

「ああ」

 蓮も同意した。

「これが5人で奏でる音楽の力か」

 翔太は胸がいっぱいになった。ついに、みんなと一緒に本物の音楽を作ることができた。

「翔太くん」

 美月が振り返った。

「あなたのギターがあったから、こんなに素敵な演奏になったんですよ」

「僕なんて、まだまだ下手で……」

「下手じゃありません」

 美月が首を振った。

「心がこもっているから、音楽に魂が宿るんです」

 その言葉に、翔太は深く感動した。技術的にはまだ未熟だけれど、自分にも音楽に貢献できることがある。

「ありがとうございます、みなさん」

 翔太は心から感謝を込めて言った。

「僕も、みんなと一緒に音楽ができて、本当に幸せです」

「俺たちも同じ気持ちだよ」

 太一が明るく応えた。

「これからも一緒に頑張ろうな」

「はい」

 5人は自然と輪になって、手を合わせた。

「みんな、お疲れさま」

 田中先生が満足そうに見守っていた。

「今日は本当に良い演奏だった。お前たちの成長が目に見えて分かる」

 部室を出る時、翔太は空を見上げた。夕焼けが美しく空を染めていた。

「本当にバンドになれたんだ」

 翔太は心の中で呟いた。みんなと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる気がした。

 家に帰る途中、翔太は今日の演奏を思い返していた。あの一体感、あの感動。一人では絶対に味わえない特別な体験だった。

「明日も練習、頑張ろう」

 翔太の心は、音楽への情熱で満たされていた。これが、本当の音楽の始まりだった。

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