それぞれの実力
軽音楽部の活動が始まって二週間が経った頃、メンバーたちの実力差が徐々に明らかになってきた。
「今日は一人ずつ、どのくらい上達したか見せてもらおうか」
田中先生の提案で、この日は個人の腕前を披露し合うことになった。
「じゃあ、花音から始めてもらおう」
「はい」
花音が緊張した面持ちでマイクの前に立った。選んだ曲は米津玄師の「Lemon」。軽音楽部に入ってから、歌詞の意味を深く考えながら何度も練習していた楽曲だった。
美月がピアノで伴奏を始めると、花音の澄んだ歌声が部室に響いた。
「夢ならばどれほどよかったでしょう 未だにあなたのことを夢にみる……」
翔太は息を呑んだ。花音の歌声は、練習の時よりもさらに美しく響いていた。技術的な完璧さはないかもしれないが、感情がストレートに伝わってくる。
「忘れた記憶を辿る君を 想うほどに透明になっていく……」
歌詞の一言一言に心が込められていて、聞いている者の心に直接語りかけてくるようだった。美月のピアノ伴奏も、花音の歌声を優しく包み込んでいる。
「そんなことないよ」と笑えたなら……」
歌い終わった時、部室には静寂が訪れた。
「花音ちゃん……」
太一が感動したように呟いた。
「すごかった……鳥肌が立った」
蓮も普段の冷静さを失って、率直に感想を述べた。
「天性の才能ですね。正式な音楽教育を受けていないとは思えません」
田中先生も満足そうに頷いた。
「花音、お前の歌声には人の心を動かす力がある」
「ありがとうございます」
花音は照れながら頬を赤らめた。
「でも、まだまだ上手になりたいです」
「向上心があるのはいいことだ」
田中先生が続けた。
「ただ、技術に走りすぎて今の自然さを失わないよう注意しろ」
「はい」
翔太は花音の歌声に圧倒されていた。こんなに上手な人と一緒にバンドを組んでいるなんて、信じられない。
「次は蓮だ」
蓮がベースギターを構えた。選曲はレッド・ホット・チリ・ペッパーズの「Under The Bridge」のベースライン。技術的に高度で、リズム感が要求される楽曲だった。
蓮の指が弦の上を滑るように動き始めた。正確なリズム、安定した音程、そして楽曲全体を支える重厚なベースライン。
「すげー……」
太一が思わず声に出した。
蓮のベース演奏は、まさに「縁の下の力持ち」という言葉がぴったりだった。派手さはないが、確実で安定している。バンド全体の土台となる、なくてはならない存在だということが演奏を聞いただけで分かった。
「完璧だな」
田中先生が感心した。
「理論もしっかり理解しているし、技術も申し分ない」
「ありがとうございます」
蓮は相変わらず冷静だったが、少しだけ嬉しそうな表情を見せた。
「ベースは地味な楽器と思われがちですが、バンドの要です」
「その通りだ」
田中先生が同意した。
「蓮のような正確なベースがあれば、バンド全体が安定する」
翔太は蓮の演奏技術に驚嘆していた。同じ弦楽器なのに、自分とはレベルが違いすぎる。
「次は太一だ」
「よっしゃー!」
太一が元気よくドラムスティックを握った。選んだのはONE OK ROCKの「The Beginning」のドラムパート。パワフルで躍動感あふれる楽曲だった。
「ドン、ドン、パッ! ドン、ドン、パッ!」
太一のドラミングが始まった瞬間、部室の空気が一変した。力強いキックドラム、切れの良いスネア、華やかなシンバルワーク。
「うおおおお!」
太一の掛け声と共に、ドラムスが炸裂する。テクニック的にはまだ粗いかもしれないが、そのパワーとエネルギーは圧倒的だった。
「気持ちいい!」
太一は心の底から楽しそうにドラムを叩いていた。その姿を見ているだけで、こちらも元気になってくる。
演奏が終わった時、太一は汗だくになっていた。
「はー、気持ちよかった!」
「太一、お前のドラムはパワーがあっていいな」
田中先生が褒めた。
「技術的な面ではまだ改善の余地があるが、そのエネルギーは何物にも代えがたい」
「ありがとうございます!」
太一の明るさは、バンド全体のムードメーカーとしての役割を果たしていることが改めて分かった。
「次は美月だ」
美月が電子ピアノの前に座った。選曲はクラシック音楽ではなく、軽音楽のスタイルでアレンジした「糸」だった。
美月の指が鍵盤の上を舞い始めた。クラシック音楽で培った確かな技術をベースに、軽音楽特有のリズム感やコード進行を織り交ぜた演奏。
「すごい……」
翔太は美月の演奏技術に圧倒された。クラシック音楽の基礎がしっかりしているから、軽音楽のスタイルもあっという間に習得してしまった。
美月の演奏は技術的に完璧なだけでなく、どこか温かみがあった。以前のような機械的な正確さではなく、心が込められている。
演奏が終わった時、部室は静寂に包まれた。
「美月……」
花音が感動したように呟いた。
「すごく美しかった」
「ありがとうございます」
美月は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「軽音楽部に入ってから、演奏することの楽しさを改めて感じています」
「美月のピアノがあれば、楽曲の幅が一気に広がるな」
田中先生が満足そうに頷いた。
「クラシックの基礎と軽音楽のセンス、両方を兼ね備えている」
そして、ついに翔太の番がやってきた。
「翔太、緊張するな」
田中先生が励ましてくれたが、翔太の心臓は激しく鼓動していた。
「はい……」
翔太は震える手でギターを構えた。選んだ曲は「翼をください」。練習で何度も合奏した、一番慣れ親しんだ楽曲だった。
深呼吸をして、Cコードを押さえる。まだ指の配置に迷いがあったが、以前よりは確実に上達している。
「ジャーン……」
最初のコードを弾いた瞬間、翔太は安心した。音がちゃんと出ている。
「ジャーン、ジャーン……」
単調なコード進行だったが、翔太は一つ一つの音に集中していた。指の痛みはもうそれほど気にならない。
しかし、Fコードの部分で躓いた。まだ完全には押さえられず、音が濁ってしまう。
「くそ……」
翔太は焦ったが、何とか最後まで弾ききった。
演奏が終わった後、しばらく沈黙が続いた。翔太は恥ずかしくて顔を上げられなかった。
「翔太くん」
美月が優しく声をかけた。
「とても頑張っていることが伝わってきました」
「そうだよ」
花音も同調した。
「二週間でここまで弾けるようになるなんて、すごいじゃない」
「俺も最初はそんなもんだった」
田中先生が慰めてくれた。
「大切なのは技術じゃない。音楽への愛情だ」
しかし、翔太は複雑な気持ちだった。みんな優しく励ましてくれるけれど、実力差は明らかだった。
「みなさん、すごく上手で……僕だけが……」
「翔太くん」
蓮が珍しく感情を込めて話した。
「確かに今は技術的に差があります。でも、あなたの音楽に対する純粋な気持ちは、誰にも負けていない」
「蓮くん……」
「それに」
蓮が続けた。
「バンドは個人の技術を競う場所ではありません。5人が一つになって、一つの音楽を作る場所です」
その言葉に、翔太の心は少し軽くなった。
「そうそう」
太一が明るく割り込んだ。
「俺だってドラム始めたばかりだし、完璧じゃないよ」
「でも太一くんは、すごくかっこよかった……」
「翔太だって頑張ってるじゃん」
太一が翔太の肩を叩いた。
「大丈夫、俺たち仲間だから」
翔太は仲間たちの温かさに感動した。確かに技術的な差はあるけれど、みんな自分を受け入れてくれている。
「ありがとうございます」
翔太は心から感謝の気持ちを込めて言った。
「僕も、もっと頑張ります」
「よし、それじゃあ今度はみんなで合わせてみよう」
田中先生が提案した。
「個人の実力は分かった。次は5人の音がどう重なるかだ」
翔太は緊張と期待が入り混じった気持ちで頷いた。自分の下手な演奏が、みんなの足を引っ張らないだろうか。
でも同時に、5人で一つの音楽を作ることへの憧れもあった。みんなそれぞれ違う個性と実力を持っている。それが合わさった時、どんな音楽が生まれるのだろう。
「きっと素晴らしい音楽になる」
翔太は希望を胸に、次の練習への期待を高めていた。
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