EP.2
教立第五神学院は、アルカディアに七つある最高教育機関のうちの一つである。国を治める枢機卿たちは、全員いずれかの学院出身であるため、学院を卒業すれば晴れて特権階級の仲間入りだ。愚民共の言い方を借りれば「学院に通うという運命を引けたら人生勝ち組」ということになる。
好きなことを好きなだけ学べるのは悪くない。だが、唯一の難点は立地だ。学院は教区の西の端にあり、スロウス家の屋敷は東の果てだ。おおよそ馬車で三時間――
つまり、道中が物凄く暇なのだ。
「……何もすることがないな」
地平線まで続くブドウ畑を眺めながら、俺はあくびを噛み殺した。青々とした葉がどこまでも広がっていて実に長閑な光景だ。
「退屈かい?」
馬の尻尾のような、長い黒髪がふわりと揺れる。手綱を握るシメイは肩越しに顎を向けた。
「少しだけ。ここだと本も読めないから」
正確には、読めるが揺れがひどくて吐いてしまう。学院から屋敷へ帰った際に気づいたが、俺は乗り物酔いがひどいらしい。
「ごめんね」
シメイは顔に暗い影を落とした。
「何を謝る? これは俺の体質の問題だ。シメイの運転はむしろ上手な方だ」
「ありがとう。でも、元はと言えば、おれが神術を使えれば馬車なんか使わずに済んだのに」
そう言ってシメイは左胸に手を当てた。服で隠れているが、そこには白い軌石が埋まっている。
彼が言いたいことを察して、俺は心に靄がかかったような、何とも言えない気持ちになった。
学院に入って学んだことが一つある。
それは「神術とは自身の運命を具現化した力だ」ということだ。だから、人によって使える属性、使えない属性も決まっている。しかし、シメイの場合はなぜか軌石に運命が刻まれていない。そのため神術が一切使えないのだ。
詠唱のやり方すら知らない平民たちと違い、学院の生徒は何かしらの神術を習得している。今は、普段は俺が代わりに神術を使ったり、どうしてもシメイが神術を使わなければならない時は、あの手この手で煙に巻いたりしている。だが、そのうちこの誤魔化しにも限界が来るだろう。シメイもそれを分かっていて、だからこそ負い目に思っているのだ。
俺は気を取り直すように大袈裟に咳払いをした。一呼吸置き、いつもより少し上機嫌に話す。
「だが、俺は馬車の旅も悪くないと思う」
「……そう?」
「こうして街道を走ることで、民の暮らしをこの目で見ることができるからな。執務室で徴税記録や貢納目録を凝視していても良い政策は思いつかない。その地へ赴き、村や都市の空気を肌で感じることが大切なんだ」
「それも未来の君主理論?」
「まあな」
俺は肩より少し伸びた髪をかき上げた。
かつてのシメイとエウレカのように、身分の垣根を超えた交流を求めている民がいるかもしれない。そいつらのために、この第五教区を少しでも暮らしやすい場所に変えてやるのも、暇つぶしとしては悪くないだろう。
「それに、今回に限れば、俺たち以外にも馬車を使う奴らは沢山いると思う。少なくとも、学院まで転移神術を使うバカはいないさ」
転移神術は、空間を跳躍する距離が長くなればなるほど体力を消耗する。学院は第五教区の中一番高い山の上にあるので、神術で登ったら最後、俺でも半日は動けなくなった。
「それもそうだね」
俺の実体験に基づいた教訓を思い出したのだろう。シメイはくすりと笑った。
「ねえマシュー。あの猫のこと、覚えている?」
「猫?」
「ほら、きみが春休み前に飼おうとして、寮長に怒られた子だよ」
「ああ。あいつか」
脳裏に、靴下を履いたように足先だけ真っ黒なはちわれの猫が思い浮かぶ。俺たちの寮の部屋は一階に当てらていたため、よくそいつが部屋に入って来たのだ。餌を与えた人間を引っ掻くという恩知らずな態度が気に入ったので、飼い慣らしてやろうと思った。
だが、名前を付ける前に寮長に見つかってしまい、それきりである。
「学院に戻ればまたいるだろ。あいつはそう簡単にくたばりはしない」
「そうだといいなあ。早く学院へ戻ってもう一度会いたいよ」
シメイは楽しそうに喉を鳴らした。
それから、おれたちは他愛無い思い出話を重ねた。お爺様が校長だという理由で、生徒代表を押し付けられたこと。そのせいで皆から恐れられ、シメイ以外の友達を作り損ねたこと。だが、一人の時間を有効活用したおかげで、神術大会で優勝できたこと。
その全てを語り終える頃には、太陽はすっかり西に傾いていた。
「マシュー、お待たせ。馬はちゃんと預けてきたよ。先生が来るまでここで待ってろってさ」
パタパタと後ろから足音がする。厩舎から帰って来たシメイは、大きく手を振りながら、こちらに駆け寄った。
「それにしても、厩舎の職員さんが山の上から降りてくるなんて不思議だね。荷物も預けろ、なんて言うしさ」
シメイは怪訝そうに空を仰いだ。赤い瞳には、悠々とそびえるパラディ山と、その頂上に鎮座する教会が映っていた。雲を貫く石造りの尖塔、山肌をぐるりと囲む黒い柵、そして、あれほど遠くからでも聞こえる重苦しい鐘の音。スロウス家の屋敷の隣にある大教会と同じくらい大きいそれは、第五神学院の象徴であり、俺たちの学び舎であった。
「不自然なのは馬車が没収されている事だけじゃない。これを見ろ」
そう言って、俺は腕を突き出した。
すると、ある地点で指先がパチッと火花を散らした。手が目に見えない壁に弾き返されたのだ。壁はかなり広範囲に張り巡らされているようで、目の前に学院へと続く道があるのに、どこからへも先へ行くことができない。
シメイは眉をひそめ、俺と壁を交互に見た。
「これは結界だね。マシューの神術で解除はできないの?」
「もう試したが、やるだけ無駄だった。まったく、こんなところで足止めしても、混乱の原因になるだけだというのに」
俺は辺りを見渡した。
俺と同様に、多くの生徒は結界の存在に気付いたようで、皆困惑していた。なかには結界の破壊を試みる者もいたが、蹴っても殴っても、炎の神術を噴射してみても、やはり攻撃は跳ね返されるだけだった。
「
方々から生徒たちの不服そうな声が聞こえてくる。
俺は胸まで伸びた横髪を弄んだ。エウレカの形見である赤い十字架が、夕陽に反射してキラキラと輝く。
「おかしいな。お爺様がこんな暴動が起こりそうなことを指示するとは思えないんだが……」
お爺様は事なかれ主義と揶揄されるスロウス家の中でも、特に慎重を期すお方だ。家督を父上に譲り、第五神学院の校長の座に就いてからも、その方針は変わらないと聞いていたが。
「先生方が何かを画策しているのか?」
その問いの答え合わせは、思わぬ形で行われた。
突如、ピシリと音がした。何事かと息を呑んだのも束の間。
次の瞬間、結界の中央に亀裂が走った。亀裂はみるみるうちに全体へ広がっていき、やがて壁は硝子のように砕け散った。崩れた神術の残滓が夕日に照らされて、虹色の輝きを放つ。
そんな中、崩れ落ちた結界の向こうから、ひとりの女が踵を鳴らして悠然と歩み出てきた。
「ひい、ふう、みい。揃いも揃って間抜け面ばかりだな。今年の二年はハズレか」
赤い十字架と真っ黒なローブが翻る。女は、まるで俺たちを品定めするみたいに、深緑色の隻眼をスッと細めた。
「ひれ伏せ、無能なヒヨッ子ども。私はヴァレリア・ノエル。貴様らに神術を叩きこむ師であり、クラス・ヴェルタスの担任だ。そして――これから貴様らをふるいにかける者でもある」
にやりと。女は鋭い牙をのぞかせて不敵に笑った。その昂然とした態度に、生徒たちの喧騒がピタリとやんだ。
逆神のアルカディア 唯野木めい@低浮上 @Mei_tadanogi
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