第39話 カール家の血
ヴァルが変身した大鷲は、力強い翼で風を捉え、モニカを乗せて帝都アイゼンブルクの郊外まで、一気に飛んだ。
広大な黄金平原を越えると、やがて、眼下に目的の建物が見えてくる。2人は、少し離れた平原に音もなく降り立った。
「ここが⋯⋯」
モニカは、目の前の光景に息を呑んだ。
帝都の街の影すら見えない、広大な平原。人々が通ることも稀なのか、街道は荒れ果てている。そんな何もない場所に、大きいが恐ろしく簡素な教会が、ぽつんと建っていた。
帝都にある、サンクト派の天を突くような大聖堂はおろか、故郷ローゼンブルクの領都グレンツェンの教会にさえ見劣りする、飾り気の全くない石造りの建物だった。
「ありがとう、ヴァル。私はここで任務を果たしてくるわ」
モニカは、ヴァルの背から降りると、その大きな鷲の首を優しく撫でた。「――皆で迎えに来て。必ずよ」
大鷲が、賢い瞳でこくりと頷いた。
「じゃあ、行ってくるわ」
モニカは、一度だけ振り返ると、決然とした足取りで、教会へと向かった。
古びた、しかし堅固な木材で作られた重厚な扉を、モニカは全身の力で押し開け、中央教会の中へと入った。
静まり返った聖堂で彼女を出迎えたのは、1人の年老いた執事だった。
「私、ローゼンブルク領主の命で参りました、モニカ=ヴァレンティと申します」
モニカは、丁寧だが、切迫した口調で言った。
「突然お伺いして、誠に恐れ入りますが、このリューネリア大陸の平和のため、総主教様に至急お目にかかりたいのです。こちらに、ローゼンブルク騎士団、セキレイ総隊長と、ユイナフ王国騎士団、エティエンヌ団長の書簡を持参いたしております」
モニカのただならぬ様子を察して、執事はすぐに奥へと姿を消し、司祭を呼びに行った。
ほどなくして、厳格な顔つきの司祭が現れた。
「――ヴァレンティ殿とおっしゃいましたな。その書簡、お見せ願えませんか」
「はい」
モニカは、ヴァルが偽造した2通の書簡を恭しく手渡した。
司祭は、訝しげに封蝋を解き、その内容に目を通す。次の瞬間、彼の顔色が変わった。
「⋯⋯! 何と。ルドルフ4世は、そのような――」
司祭は、モニカの顔を改めて見つめた。
「総主教の部屋にご案内しましょう。どうぞ、こちらへ」
(さあ、いよいよ、私の戦いだわ)
モニカは、固く拳を握りしめ、司祭の後ろを静かに歩いていった。
モニカと別れた大鷲の姿のヴァルは、まっすぐ帝都アイゼンブルクには向かわず、セキレイ達が通っているであろう街道のそばを、一度ローゼンブルク側へと引き返すように飛んだ。
ほどなくして、帝都に向けて猛然と馬を飛ばす、セキレイ、ゼノ、シュウ、ダン、リオの5人の姿を発見した。相当な速度だが、このペースだと帝都までは2、3時間はかかるだろう。
合流しようかと思ったが、ヴァルは、自分が先にアイゼンブルクに入っていれば何かできることがあるかもしれないと考え、セキレイの指示通り街で待つことに決めた。
それから3時間近くが経ち、夕闇が迫る頃、セキレイ達はようやく帝都の入り口まで到達した。
有名人であるセキレイは、安易に街をうろつくわけにもいかず、帝都を囲む高い市壁の下で馬を止め、今日の天候ならばどのルートで北上するのが最速か、地図を広げて確認をしていた。
しかし、一行には重大な問題があった。
ローゼンブルクから、ほぼ休みなく馬を飛ばし続けてきたため、どの馬も限界を迎え、口から泡を吹いている。
どうにかして、この街で新しい馬を調達する必要があった。
その時、立派な馬にまたがった一団が、彼らに近づき声をかけてきた。
「――セキレイ殿」
声の主は、帝城サンクト・カールに軟禁されているはずの、皇子ジギスムントだった。
(⋯⋯ヴァルか?)
何らかの思惑があって、ヴァルが化けている可能性もある。どう返事をすべきか。セキレイが一瞬様子を見ていると、ジギスムントの背後にいた騎士の鞍の後ろから、ひょっこりとヴァル本人が顔を覗かせた。
「おれも、ちゃんといるよ」
「殿下、そしてヴァル。なぜご一緒に。殿下は、帝城から出られなくなっていると⋯⋯」
「ええ、事実上の軟禁状態でした。先の戦いの記憶も、だんだんと現実感がなくなっていたところだったので、部屋の窓に舞い込んできた小鳥がヴァル君になった時は、腰を抜かすほど驚きましたよ」
ジギスムントは、興奮した様子で語った。
「おかげで、外で何が起きようとしているのか、そして父が何をしようとしているのか、全て教えてもらうことができました。ヴァル君が、執政官のヴィルヘルムに化けたかと思えば、近衛騎士団長のライナーに化け⋯⋯。あの手この手で、こうして城を出てきたわけです」
「そうでしたか。⋯⋯それで、殿下は、これからどのように動かれるおつもりで」
「父を止めるのは、カール家の血が流れる私の責任だと思っています。ですが、どうやら儀式そのものには間に合わない。それでも、私も現地に行って何かしなければと⋯⋯!」
「そういうことでしたら」
それまで黙っていたゼノが、馬を進めて割って入った。
「殿下、お目にかかれて光栄でございます。私、ユイナフ王立研究所副所長の、エリアス=ゼノと申す者です。このリューネリア大陸全土の平和のため、先日からローゼンブルクと行動を共にいたしております」
「何ですって!? ユイナフ王国の幹部が、なぜここに⋯⋯」
驚愕したジギスムントは、セキレイを見る。
セキレイは、静かに頷いて見せた。
「殿下。我々は、この未曾有の脅威を前に、国家の枠にとらわれない立場で、共に対処することとしたのです」
「――素晴らしい考えですね」
ジギスムントは、すぐに状況を理解した。
「私も、帝国や領邦といった、古い枠組みにとらわれないセキレイ殿に共鳴した者です。巨人討伐だけでなく、それが今後の大陸の平和の礎となるのであれば、私も大いに支持します」
「ありがとうございます。つきましては、我々は、カリタス派に属するという形をとろうとしております。カリタス派として、巨人ウルガンドを倒すのです」
「――なるほど。外形的にも、中立の第三勢力であると、両国にはっきりと示すわけですね」
「お見込みの通りでございます。そこで、現在、セキレイ殿の右腕であるモニカ殿が、カリタス派入りを総主教に掛け合っていますので、ぜひ、彼女のお力になっていただけないでしょうか」
「確かに、今の私がお役に立てそうなのは、そちらの方ですね。総主教は、私が子供の頃から存じていますので、援護射撃をしてまいりましょう」
「――恐れ入ります」
「そうそう、それともうひとつ、お手伝いさせていただきたいことがあったのです」
ジギスムントは、にこやかに言った。「馬を4頭連れて来ていますから、皆さん、ここで乗り換えて、先を急がれよ」
「殿下。そのお心遣い、心から感謝申し上げます」
セキレイが、深く頭を下げた。
「では、私は早速、教会へ行ってきます。その後で、私も必ずグレンツマルクに向かいます。皆さんのご武運を心からお祈りします」
そう言うと、ジギスムントは馬の腹を蹴り、一路、カリタス派中央教会に向けて、力強く走り出した。
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