第37話 皇帝の行幸

 ゼノが嵐のように遊撃隊の隊舎を訪れ、そして去ってから、数日が経った。


 彼が去り際に「早まった真似は控えるように」と釘を刺したこともあり、モニカとヴァルによるユイナフ潜入作戦は、一旦見合わせとなっていた。

 だが、それにしても、「近日中に返事をする」と言ったゼノからは、何の音沙汰もない。


 奇妙なことに、動きを見せないのは、神聖マール帝国の皇帝ルドルフ4世も同じだった。

 先の戦いに関わった各領邦が、帝都からの呼び出しへの対応をずるずると引き延ばす中、普段なら必ず来るであろう矢のような催促の使者が、一向に現れないのだ。


 ローゼンブルクは、その使者が来た暁には、あらゆる好条件を提示して召し抱え、二度と帝都に帰さないつもりでいた。すでに豪商バルトロマイの金銭的な協力も取り付け、準備は万端だったが、それも今のところ空振りに終わっている。


 全てが宙ぶらりんのまま、時間だけが過ぎていく。そんなすっきりしない日々の中、遊撃隊員たちの胸の内には、先日セキレイが自らについて語った壮絶な過去が、繰り返し響いていた。


 そして、彼らは思っていた。モニカやシュウだけでなく、ダン、ヴァル、リオもまた、同じ疑問を、静かに心の中で育てていた。

(白い騎士達――神聖騎士団は、実在した。ならば、暗黒の大地の3人の王もまた――)


 そんなある日の午後、事態は誰もが予期せぬ方向から動き始めた。

 帝都アイゼンブルクに放っている密偵から、緊急の報告が入ったのだ。

 皇帝ルドルフ4世が、帝国軍所属の魔法使い部隊と高位の聖職者を数十名引き連れ、城を出て北に向かったという。


 報告を受けたセキレイは、地図を広げ、その進路を追った。

「⋯⋯帝都よりも、さらに北方」

 その方角には、皇帝が罰すべき反抗的な領邦は、1つもないはずだった。


 どこへ行く――?

 一体、何をしようとしている――?

 そして、なぜ、屈強な騎士ではなく、魔法の使い手だけを連れている――?


「北、か」

 セキレイは、広げられた地図の上で指を滑らせながら、ルドルフ4世の不可解な行動について、考えを巡らせていた。「どう思う、モニカ」


「高位の聖職者を大勢連れているってことは、どこかの教会を目指しているのかも知れないわね」

「北方の教会⋯⋯グレンツマルク地方の、北の端か」

 セキレイの指が、一点で止まった。

「あそこは、国境沿いの狭い範囲に、サンクト派、啓示改革派、そしてカリタス派の教会が揃っている、特殊な場所だ」


 彼女は、何かを思い出すように、目を細めた。

「それに、どの宗派かは分からないが、教会とは別に、アストライア正教のものと思われる全く同じ様式の建物が、マール側とユイナフ側の両方に建っていた。⋯⋯10年前の話だがな」


「セキレイ様が、大陸中を放浪してた頃の話ね」とモニカが頷く。「宗派にかかわらず、正教会が妙に力を入れているエリア――。そうだとして、それが今の皇帝の動きとどう関係するのかは分からないけれど。引き連れている顔触れから推察できるのは、何か大規模な『儀式』かしら」

「儀式、か⋯⋯」


「私、そっちの方はあまり詳しくないから。こんな時にゼノがいたら話が早いかも知れないけど」

「ヴァルに変身させるか」

「――それには、及びませんよ」

 声のした方へ全員が振り向くと、そこには、いつの間にかゼノが音もなく立っていた。


「ゼノさん! 貴方、いつもいつも急に来るわね!」

 モニカが、驚きと呆れが混じった声を上げる。


「失礼。まさに、その話をしたくて、急いでやって来ました」


「『急いで』って言うけど、この間の話の返事が、まだ終わってないじゃない」

「ええ。それも、まとめてお話しします」


 ゼノは、遊撃隊の全員を見回すと、きっぱりと言った。

「――モニカさん。結論から言うと、貴女の提案に乗りたい。いや、正確に言うと、他に手がない」


「⋯⋯どういうこと?」

「それには、今回のルドルフ4世の不可解な動きが、深く関係します」


 セキレイが、鋭い視線をゼノに向けた。「説明してくれ。何かわかったのか?」


「ええ。先ほどここに入った時に、あなた方のお話が少し聞こえましたが、皇帝が教会の集まるグレンツマルク地方を目指しているという推察は、正しい。それが何らかの儀式のためであるということも。⋯⋯問題は、その儀式の内容です」


「というと?」

「かつて、セキレイ殿が見たという、両国に同じように建っている、教会とはまた異なるアストライア正教の建物――あの2つの建物は、実は、広大な地下通路でつながっています。そして⋯⋯」

 ゼノは、そこで一旦言葉を切り、恐るべき事実を告げた。


「そのさらに地下には、神話にもしばしば登場する巨人が、一体封印されているのです」

 

「⋯⋯巨人、だと?」

 ダンが、信じられないといった様子で聞き返した。


「そう。遠い昔、世界創造の際に神々が退治し損ねた、最初の巨人の一体。その名をウルガンドと言う」


 ゼノは、淡々と続けた。「はるか昔、世界を滅ぼしかねない力を持つ彼は、かの地の底深くに封印され、アストライア正教会はその上に巨大な監視施設を作った。それが、セキレイ殿が見たという2つの謎の建物です」

「ウルガンドの封印は、250年ごとに著しく弱まると言われています。彼が目覚めようとすると、大地は激しい地震に見舞われる」


「ちょ、ちょっと待って。それ、ただの言い伝えじゃなくて、本当の話なの?」

 モニカが、顔をこわばらせて尋ねた。

「はい。もっとも、アストライア正教の各宗派のトップと、両国の上層部しか知らない機密事項ですがね」


「グレンツマルク地方で、記録に残るほど大きな地震が起こったのは――」

「伝承では、ちょうど250年前です」

 ゼノは、モニカの言葉を引き継いだ。「そして、今年がまさにその封印が解ける年に当たります」


「じゃあ、ルドルフ4世は、その巨人をもう一度封印するための儀式に向かっているっていうこと?」

「⋯⋯なら、良いのですがね」

 ゼノは、首を振った。


「本来、封印の儀式は、年に2度――春と秋に訪れる、昼と夜の長さがほぼ同じになる日のどちらかに執り行います。その日が、最も大気に満ちる精霊力のバランスが良く、封印にはその力も借りる必要があるからです」

「つまり、早くて来月か」

「ええ。ですが、それでも成功は保証されていない。前回――250年前は、儀式の最中にウルガンドが目覚めてしまったようです。もし彼を完全に目覚めさせ、暴れさせれば、世界は崩壊するかも知れない」


「⋯⋯その状況から、どうやって封印したんだ」

 シュウが、固唾をのんで尋ねた。


「アストライア正教会にだけ、極秘に伝わっている記録には、こうある。『エリュシオン大陸からの使者として、海を渡って儀式に参列していたリヒトという名の騎士がたった1人で巨人と戦い、死闘の末これを弱らせたことにより、封印はかろうじて成功した』と」


「!!」

 モニカが、驚愕に口を押さえた。

「リヒト⋯⋯」

 セキレイが、うめくようにその名を呟いた。彼女が探し求めていた弟が、250年も昔のこの大陸で、世界を救っていたというのか。


「英雄リヒトの伝説は、エリュシオン各地に今も色濃く残っています。彼が実在したのなら、おそらく、彼もまた絶対防御の持ち主であったのだと思います。そうでなければ、説明がつかない。⋯⋯いや、仮にセインツであったとしても、1人でウルガンドと渡り合えるなど、常識では考えにくいですがね」

 ゼノは、セキレイの顔を、探るように見つめながら言った。


 セキレイは、弟の新たな伝説に動揺しながらも、思考を現在に戻した。

「――それで、万全の準備をしても成否が分からないほどの儀式を行うには、今はまだ時期が違う。そういうことだな」

「その通りです」


 ゼノは、静かに、そしてはっきりと、恐るべき結論を告げた。

「ここから言えることは、皇帝ルドルフ4世は、巨人の封印を目標とはしていない」

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