第8話 青薔薇の騎士
誰かがいる――皆が身構えた、次の瞬間。
森の闇から、一人の騎士が姿を現した。
その男は、精緻な彫刻が施された白銀の鎧を身に纏い、腰には優美な装飾の長剣を帯びていた。長髪で顔立ちは彫りが深く、静かな自信に満ちている。
バルガスのような荒々しい殺気はない。
だが、底の知れない、湖のように静かで深いプレッシャーが、セキレイを除く全員を圧倒した。
「ユイナフの騎士⋯⋯! しかも、ただ者じゃない」
モニカが緊張した声で呟く。男の鎧には、ユイナフ王家に仕える騎士の中でも、特に高位の者にしか許されない「青薔薇」の紋章が刻まれていた。
「見事な腕前だった、少年たち」
騎士は、シュウとダンに穏やかな声で語りかけた。
「だが、大人の仕事の邪魔はしないでもらいたい」
次の瞬間、騎士の姿が消えた。
シュウとダンは、咄嗟に防御姿勢をとる。ガキン!という衝撃と共に、2人が同時に弾き飛ばされた。
何が起きたのか分からない。
ただ、目の前に現れた騎士が、抜き放った剣を静かに構えていた。
「速い⋯⋯!」
シュウは戦慄した。一歩目の速さはセキレイに劣らなかった。
ダンが黒い炎を放とうとする。だが、騎士の動きの方が速い。彼は炎の軌道を見切り、ダンの懐に潜り込むと、剣の柄でその鳩尾を打ち据える。
「ぐっ!」
崩れ落ちるダン。
シュウが必死に斬りかかるが、まるで大人が子供をあしらうように、その剣はことごとく、いなされてしまう。
「良い剣だが、まだ原石だな」
騎士の剣が、シュウの肩を浅く切り裂いた。
これが本気の一撃なら、首が飛んでいただろう。
絶体絶命。
これが、本物の王国の騎士の力なのか――バルガス戦で得たばかりの自信は、粉々に砕け散った。
シュウの喉元に、騎士の冷たい剣先が突きつけられた、その時だった。
キィン、という澄んだ金属音と共に、騎士の剣が弾かれた。
2人の間に、いつの間にかセキレイが立っていた。
「帝国領に何の用だ。ユイナフの騎士殿」
セキレイの登場に、騎士は初めて表情を変えた。驚きと、それ以上の歓喜。
「貴女がセキレイか。神足の二つ名に偽りはありませんな。その速さ、まさに神の域だ」
騎士は、優雅に一礼した。
「私は、ユイナフ王国騎士団のエティエンヌ。バルガス殿に案内を頼み、レーゲンスブルク領内の地理を調べていた。そして、噂の真偽も」
「噂だと?」
「いかにも。貴女が国境地帯の守護に乗り出したという噂は、ユイナフにとっても無視できませんからな。その確認のついでに、噂が真実であったなら神速の剣技を一目見たいと、東部方面軍指揮官である私自ら、はるばるレーゲンスブルクに参った次第」
エティエンヌが剣を構え直した「よろしければ、もう少しお見せいただきたい」
瞬間、2人の姿が再びかき消えた。シュウとダンの目には、もはやそう見えた。
森の中に、無数の剣戟の音と、火花だけが散っていた。それは、先ほどの自分たちの戦いとは、全く次元の違う戦いだった。一つ一つの音が、空間そのものを震わせるかのように重い。
2人が元の場所で動きを止めた時には、セキレイの剣がエティエンヌの喉元にあった。勝負は明らかだった。エティエンヌの額には、玉の汗が浮かんでいた。
「1対1ではとても敵わない、か」
エティエンヌは潔く剣を収めた。その顔に悔しさはなく、むしろ満足げですらあった。
「真実は噂以上のものだった。これほどの傑物が、帝国にまだ残っていたとは」
彼は不敵に笑い、セキレイに告げた。
「だが覚えておかれよ、神足のセキレイ殿。個人の武勇と、国家の総力戦は別物だ。貴女一人がどれほど強くとも、勝つのは我らユイナフ王国だ」
それは、騎士個人の言葉ではなかった。ユイナフという国家そのものの、自信と矜持を示す言葉だった。
それに対し、セキレイは静かに、しかし、その場の空気を凍らせるほどの冷たい声で言い放った。
「それはこちらの言葉だ、ユイナフの騎士エティエンヌ」
セキレイの全身から、これまでシュウたちが見たこともないほどの、凄まじい気迫が立ち上った。
「我々は、その気になれば貴国の王城であろうと宰相の寝室であろうと、どこにでも現れるぞ。そして、ご承知いただいたと思うが、私のこの剣は誰にも止めることはできない。決してだ。――過ぎた野心を抱きそうになった時は、私のこの言葉を思い出せ。老獪な宰相にも伝えることだ」
その言葉に、エティエンヌは初めて息を呑んだ。彼女なら本当にやる。実行できる。そう確信させるだけの力が彼女にはあり、その言葉と瞳に宿っていた。
エティエンヌは、複雑な表情でセキレイを一瞥すると、音もなく闇の中へと消えていった。
後に残されたシュウとダンは、ただ身震いしていた。
自分たちの戦いのスケールを、まざまざと見せつけられた。彼らが足を踏み入れた世界が、単なる領地争いなどではなく、大陸の覇権を巡る巨大で冷徹なゲームの一部であることを、初めて実感した。
そして、セキレイの背中が、遥か、遥か遠くに見えた。
エティエンヌが去った後、森には重い沈黙が流れた。モニカは、ユイナフの高位の騎士がこんな所にまで入り込んでいたことについて、必死で頭を整理していた。
シュウとダンは、セキレイとエティエンヌが繰り広げた、次元の違う戦いの残滓を肌で感じ、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「脅しになればいいが、あの青薔薇はそんなタマでもなさそうだったな。さあ、ローゼンブルクに戻ろう」
セキレイの一言で、一行は我に返り、ローゼンブルク領への帰還の途につく。
たいまつに火を灯し、暗い森を歩きながら、ダンがリオに話しかけた。
「それにしても、リオ。お前いつの間に触ってもないものを、しかも人間を動かせるようになったんだよ」
「は、初めてやってみた。前、隊長ができるはずって言ってたのを思い出して⋯⋯。でも、単に動かすのは難しくて、小さなものでいいから何かと入れ替えないと」
「ぶっつけ本番かよ、今さら怖くなってきたぜ。だけど入れ替えって、そっちの方が難しそうな気もするけどな」
「動かす先の目印があるのとないのでは、なんだか全然違うんだよ」
「目印は、小石でも落ち葉でも何でもいいのか?」
「うん。さっきは落ちてた枯れ枝とバルガスを入れ替えた」
「すげえな。森の中で戦えば制限なしじゃねーか。仲間同士を入れ替えたり、敵と仲間を入れ替えたりもできるよな」
「た、たぶん⋯⋯」
「はーっ、この先、戦場でお前を連れてたら無敵なんじゃねーか?」
セキレイが口を挟む。
「確かに、今後リオの能力と上手く連携できれば、この隊は世界中のどの部隊にもそうそう負けはしないだろうな。私抜きでもな」
セキレイのその一言は、皆の心に響いた。
「だが、リオ。さっきは誰も何が起こったか理解していなかった。位置を変える能力は確実に敵の虚をつく利点があるが、十分な打ち合わせがないと、仲間がついてこれず、逆に危険なこともある。今回の場合は、バルガスを動かさずに奴の斧だけを動かすのが最も安全だった。今後気をつけろ」
こんなちびっ子にえらく高度な要求をする、とダンは内心思う一方で、セキレイの指摘ににじみ出る豊富な戦闘経験に感心していた。
セキレイの指導は続く。
「お前の能力は、特にシュウの戦闘スタイルと相性がいい。2人での訓練を増やして、シュウをその能力に慣れさせろ」
「はあい」
「リオの能力を戦いに組み込んだら、シュウにも『神足』みたいな二つ名がつくかも知れないわね。伝説の消える剣士シュウ――その最初の戦いは、レーゲンスブルクの誇る傭兵部隊への単身斬り込みであった、とか」
モニカの芝居がかった大げさな口調に、シュウは恥ずかしがった。「やめてくれよ。俺の力じゃないし」
“銀狼のバルガス”率いる熟練の傭兵部隊を、たった2人の少年が撃退した――この戦いは、モニカが言う通り、いずれ大陸中にその名が鳴り響くことになるシュウとダンの、最初の伝説となるのだった。
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