第7話 森の狼

 領邦巡りは、最後の一箇所になった。ユイナフに寝返ったとされるレーゲンスブルクだ。


 一行は、レーゲンスブルク領に北西から入った。

 政情が非常に微妙なため領主への挨拶を避けることとし、領都には近寄らない。

 いくつかの宿場町を通り抜けながら、領内を斜めに突っ切る形で南東の森を目指す。その森の向こうがローゼンブルクだ。

 出発地点のローゼンブルク領都グレンツェンから、帝都アイゼンブルクを経由して大きく楕円を描くようなルートの旅だった。


 通りががる宿場町では、例によって噂のばら撒きと情報収集を行なっていたところ、モニカがある町の酒場で、武装した偵察部隊が南東の森に展開しているとの情報を得てきた。

 ローゼンブルク領西端の「鷲ノ巣の森」に通じる森だ。

 偵察部隊の兵力は、およそ20。指揮しているのは“銀狼のバルガス”という名の、腕利きの傭兵隊長だという。


 深夜――その森に最も近い宿場町にある宿屋で、セキレイは地図を前にして指示を出していた。


「バルガス隊は有名な部隊だ。主にバルガスの強さによるものだが」

「何で、こんな森に――」

「ローゼンブルクへのルートを開くつもりだろう。この深い森を通ってローゼンブルクに行く者は誰もいないからな。潜入にはうってつけだ」


 レーゲンスブルクが、ユイナフの前線基地としてローゼンブルクを狙っている――その可能性が急に現実味を帯びてきたようで、皆の顔に緊張が走った。


「出発は2時間後だ。ヴァル、1時間経ったら夜目のきくフクロウに変身して上空から敵部隊の正確な位置を見てこい」

「わかった」

 

 セキレイの視線が、シュウとダンに移った。

「――そして、シュウとダン。お前達2人でバルガス隊を無力化しろ」

「えっ!?」

 2人は、思わず声を上げた。

「俺たちだけで、ですか?」

 シュウが問い返すと、セキレイは静かに頷いた。

「そうだ。お前達もローゼンブルクに戻れば立派な『魔獣殺し』だ。私はグライフ戦では手を出したが、今回は介入しない。2人で何とかしろ。万が一、死にそうになったら助けてやる。――不合格を意味するがな」


 相手は歴戦の傭兵部隊20人。

 対するこちらは、命がけの実戦を初めて経験したばかりの少年2人。無茶な指令だったが、セキレイの緑の瞳は、お前たちならできる、と語っていた。シュウとダンの胸に、恐怖と同時に熱いものがこみ上げてきた。

「わかりました。やります」

 シュウが答えると、ダンも「ふん、面白え」と不敵に笑った。


「ただし、敵の命は奪うな。そこの店で木剣を調達したから、シュウはこれに持ち替えろ」

「戦闘不能にするだけですか?」

「そうだ。レーゲンスブルクは、まだマール帝国の一部だからな。同胞同士で殺し合うわけにはいかない」

「おいおい、隊長。向こうは命のやり取りのつもりで来るぜ」

「そうだろうな。だが殺すな。お前も炎の使い方に気をつけろ」

「高度な注文だなあ」


 闇に紛れて、彼らは森へと向かった。フクロウに変身したヴァルの報告で、敵の位置は完全に把握できている。


 森の中の開けた場所で、焚き火を囲む傭兵たち。見張りは4人。

「どうするよ、シュウ」ダンが囁いた。

「まず、見張りを片付けよう」

 2人は息を殺して闇に溶け込み、見張りの死角へと回り込む。そして、同時に動いた。


 シュウが音もなく駆け、見張りの1人の首筋に木剣を叩き込む。別の見張りの視界は黒い炎に遮られ、何が起こっているかわからない。シュウが素早くひとりずつ無力化する。


 問題は、焚き火の周りにいるバルガスと残りの15人だ。

「俺が正面から突っ込む。お前は奴らの背後に回り込んで、魔法で混乱させろ」

 シュウの作戦に、ダンは頷いた。

「うおおおおっ!」

 シュウは雄叫びを上げ、単身、傭兵たちの輪の中に躍り込んだ。

「何だ、ガキ1人か!?」

 突然の襲撃に驚きながらも、傭兵たちは嘲笑を浮かべて剣を抜く。だが、次の瞬間、彼らの背後で巨大な火柱が上がった。

「なっ!?」

 ダンの黒い炎が、傭兵たちの退路を断つように燃え盛る。それは熱気よりも、人の闘争心を吸い取るような不気味な冷気すら感じさせた。傭兵たちが一瞬怯んだその隙を、シュウは見逃さない。


 彼の剣が、嵐のように吹き荒れた。

 訓練とは違う。手加減はない。生きるか死ぬか。その極限状態が、シュウの戦闘本能を覚醒させた。相手の剣筋、呼吸、重心の移動。その全てが、彼の目にはスローモーションのように見えた。どんな軌道、どんな角度で剣を通せばよいか、シュウの頭の中にはっきりとイメージがあった。

 敵の剣をかいくぐり、鎧の隙間である脇腹を突き、返す刀で別の傭兵の首を打つ。彼の動きには一切の無駄がなかった。

 すげえ⋯⋯ダンは思わず呟いていた。


「このガキ、ただもんじゃねえぞ!囲め!」


 敵は体勢の立て直しを図るが、彼らが陣形を組もうとするたびにダンの黒い炎が妨害する。地面に炎の蛇が走ったかと思えば、壁のように炎が立ち上り、彼らの動きを止める。


 セキレイはダンの技を見て驚いていた。(グライフ戦以降、形態変化を使いこなし始めている。思った以上に早い)


 ダンの炎が敵の注意を引き、シュウが死角から襲う。戦いの中で、2人の連携は研ぎ澄まされていった。


「何やってる、こんな小僧どもに!」

 ついに傭兵隊長“銀狼のバルガス”が動いた。


「お前ら、どこのもんだ? こんな所で俺達に絡んでくるのは、ローゼンブルクか? 騎士には見えないがな」

「⋯⋯」二人は答えない。

「とっ捕まえればわかることだ!」

 バルガスは銀色の髪を振り乱し、巨大な戦斧を振りかぶってシュウに襲いかかる。


「おらぁっ!!」

 その一撃は、大地を揺るがすほどに重い。シュウはかろうじて受け流すが、腕が痺れ、体勢を崩した。


「木剣じゃねえか、なめやがって。もう一発だ!」

 追撃の斧が振り下ろされる。


 シュウが直撃を覚悟した、その次の瞬間――。

 バルガスは今いた場所から少し離れた誰もいない場所の地面に斧をめり込ませていた。


 誰もが、何が起こったか分からなかった。


 最初に気づいたのはダンだった。「リオだな! よくやった!」

 リオの能力でバルガスの位置を動かしたのだ。


 まだ状況が呑み込めていないバルガスの足元の影が、不自然に揺らめいた。黒い炎でできた手が伸び、彼の足首を掴んで動きを封じた。

「なっ!? 熱い!」

 バルガスの動きが止まる。


 その好機をシュウは逃さなかった。

「はあっ!」

 全身全霊の力を込めた突きが、バルガスの喉元の手前で正確に止まった。

「俺達の勝ちだ」


「ちっ、まいった」

 隊長が降参し、傭兵たちも戦意を喪失した。名の知られたレーゲンスブルクのバルガス隊は無力化された。


 少年達の背後の闇から、音もなくセキレイが姿を現した。その姿を見てバルガスは驚愕する。「あ、あんたは!」


「ローゼンブルクのセキレイだ。バルガス、こんな場所で何をしていた」

「仕事だよ。レーゲンスブルクならではのな。あんたこそ、何でこんなとこに入ってきてるんだ」

 微妙な言い回しだったが、暗に、ユイナフの依頼で動いていると言っていた。


「私は皇帝の許しを得て国境地帯の守護をしている。このレーゲンスブルクも例外ではない。バルガス、そなたの任務は失敗だ。戻って、このセキレイに阻まれたと言え」

「実際は、真剣も持ってねえガキどもに邪魔されたがな。あんたの部下か?」

「そうだ。次は真剣を持たせるし、私も出るぞ。このルートは諦めろ」

「今日のところはな」そう言い残し、バルガス隊は去って行った。バルガスは、何度も後ろを振り返っていた。


 静寂が戻った森の中、2人は肩で息をしながら、互いの顔を見合わせた。

「やった⋯⋯よな?」

「どうにかな⋯⋯」

 疲労困憊だったが、それ以上に強烈な達成感が、2人の心を震わせていた。


 セキレイが声をかける。

「合格だ、と言いたいところだが、リオの助太刀がなければ負けていたな」


「返す言葉もない。奴の攻撃を受け切れなかった」シュウがうなだれて言った。


「でも、不合格ってほどでもねーんじゃねえの」

「まあ、そうだな」ダンの言葉に、セキレイは素直に頷く。「グライフ討伐も、バルガス隊撃退も、どの領邦でも騎士団を挙げて対応するレベルの任務だ。初の実戦でよくやったぞ」

 

 安堵した2人の呼吸が整った頃、ふいに枯れ枝を踏み折る音がした。

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