第5話 初任務

 最初の任務――その言葉に、シュウとダンの目が輝く。


「我々は帝都へ向かう」

「帝都?」

「そうだ。帝国の首都、アイゼンブルクへ」


 帝都アイゼンブルク。大陸で最も壮麗な都市と謳われる、神聖マール帝国の心臓部だ。セキレイの口から出た意外な地名に、全員が驚いた。


「目的は、皇帝ルドルフ4世陛下への謁見だ」

「ええっ」


 セキレイは続けた。

「表向きの目的は、こうだ。ローゼンブルクのセキレイが帝国全土の守護を買って出る、と陛下に申し出る。領邦の枠を超え、帝国の剣としてユイナフの脅威に立ち向かう、とな。自慢するつもりはないが、神足のセキレイは大陸全土に知られているから、ユイナフ侵攻に対する牽制になるはずだ」


 この計画は、既にローゼンブルク領主アルフレートと騎士団長も承認している、とセキレイは説明した。ローゼンブルクの、ひいては帝国全体の平和を守るための、大胆な一手。シュウは、その壮大な計画に胸を熱くした。


「だが」とセキレイは言葉を切った。「本当の狙いは別にある」

 彼女の緑の瞳が、鋭い光を帯びる。


「この申し出が受け入れられれば、私は『皇帝陛下の勅命』という大義名分を得て、帝国全土のどの領邦にも自由に立ち入ることができるようになる。そうなれば、各地の諸侯と直接会い、我々の影響力を水面下で広げることができる」


 モニカが面白そうに後を続ける。

「影響力を拡大して、帝国の実権を握りたいわけじゃないのよ。帝国の守護者を演じながら、むしろ逆」


「そうだ。この際言っておく。私は帝国を解体する」

 シュウとダンの両腕に鳥肌が立った。


「私は帝国の守護者でなく、各領邦の守護者だ。このマールを緩やかな連邦制とする。そのために中央集権の野心を持つカール家には退場いただく。今回の謁見はモニカの考えた策だが、その第一歩だ。――そして、帝国政府を失ってもユイナフには手出しさせない。我々の手で全て実現させるんだ」


「モニカって、いつも何してるのかわからなかったけど、そんな仕事してたのかよ」

「私の担当は頭脳労働って言ったでしょ。そんなことより」

 モニカがため息をつく。

「こんな少人数の寄せ集めで、大陸の二大国家を同時に相手取ろうなんて、セキレイ様も思ったより自信家だったわ」

 セキレイは微笑んで言った。「頼りにしているぞ」


 数日後、セキレイと遊撃隊の5人は、帝都アイゼンブルクへと旅立った。


 セキレイはローゼンブルク騎士団総隊長の正装に身を包み、モニカはその従者として付き従う。若過ぎて城にも入れない少年達は、思い思いの格好をしていた。


 歩きながらリオが訊ねる。

「隊長、帝都はどれぐらい遠いの?」

「アルフレート様には、移動に片道2日として暇をもらったが、1日半で着くと思う」

 セキレイの返事に、モニカが付け加える。

「うちは良い方よ。山越えがなくて、ひたすらこの街道を行けばいいんだから。辺境の領邦は大変よ」


 アイゼンブルクはマール帝国の北部に位置する。ローゼンブルクは帝国の南部にあるため、広大な平原に敷かれた街道をひたすら北上する行程だった。

 領都グレンツェンと帝都アイゼンブルクの間に広がる大平原は「黄金平原」と呼ばれ、マールを代表する穀倉地帯だ。その名の通り、見渡す限り黄金色の小麦の穂が風に揺れる。その真ん中を街道が貫き、脇には、大陸最大級の湖「ジルバー湖」が、空の青を映して巨大な銀の鏡のように横たわっている。


「そんなに道がいいのに、何で隊長は馬を使わずに歩いてるんだ?」

 ダンの疑問に、セキレイは口の端だけで笑って答える。

「馬があると、かえって不便な旅なんだ。山はないが、このあと森には迷い込んでみよう」


 マール帝国領は、平原だけでなく広大な森林も広がっている。多くの領邦は、森林の深いところに境界線が引かれていた。


「ちょっとセキレイ様、私正装してるんだけど!」

「私もだ。まあ、少しだけだ」


 早朝に領都グレンツェンを出発して数時間後、青く高く澄んだ空の頂点に太陽が達したところでセキレイが指示を出した。


「街道を外れて、左手の森に入る」

「うえぇ、本当なんだ」モニカが嘆く。


 シュウが振り返って訊く。「どこまで進むんですか」

「しばらく真っ直ぐ進め。暗い森の中で、そこだけ明るい開けた場所がある」


 道なき道を歩きながら、ダンが小声でリオに囁く。

「オレ達、処刑されるんじゃねーか?」

「えっ、ぼくたち何かした?」

「そんなの関係ねーよ。こういうのは理不尽な理由でやるもんだ」

「えええ⋯⋯そろそろ向こうが明るくなってきたよ」


「全員止まれ!」セキレイが鋭く言った。


「⋯⋯獣の臭いだ」シュウが剣を抜く。


「この辺りに、怪鳥グライフの住処がある」

 セキレイも剣を抜いた。


「グライフって、あのグライフ?」モニカは自分より小さなリオの背にしがみついている。

「そうだ。鷲の頭と翼を持ち、獅子の胴体を持つ魔獣だ。たまに飛んで来ることはあっても、これまで帝国領内での生息は確認されていなかったが、最近、ここで1頭見つかった」


「それをどうすんだよ?」

「仕留める。これは騎士団に命じられるべき正規の任務だが、帝都に行くついでに、お前達の手を借りて片付けようと思ってな」


「もう、そんな任務、私も聞いてなかったわよ!先に言ってよね! 知ってたら森の入口で待ってたのに!」

「モニカは下がっていろ。リオはモニカの側にいて、危ない時は能力で身を守れ」


「お、おれは? おれも戦えないんだけど」ヴァルが慌てたように訊く。

「ヴァルは戦わなくていいが、できるだけ前で戦闘を見ていろ」

「え〜⋯⋯」


「来るぞ」

 セキレイが呟いた、その直後。


 甲高い、金属を擦り合わせるような咆哮が、頭上から降り注いだ。見上げると、木々の梢を巨大な影が滑空していく。


「これがグライフ⋯⋯!」

 シュウが驚嘆する。


 鷲の頭と翼、獅子の胴体を持つ、伝説の怪鳥。その姿は絵巻で見たものより遥かに大きく、凶暴な気配を放っていた。


「奴の体毛は剣を弾くほど硬く、鉤爪は鋭い。気をつけろ!」

 セキレイの声が飛ぶ。


「なんで知ってんだよ」ダンが呟きながら掌に黒い炎を生成し、シュウとは反対方向に散開する。


 セキレイは剣を構えてはいるが、前には出ていない。冷静に戦場全体を見渡し、若者たちの動きを観察していた。


 グライフは、獲物を見定めるように一度上空を旋回すると、狙いをダンに定め、急降下してきた。


「なめんな!」

 ダンは咄嗟に、小さな黒い火球を何発も空中に向けて放った。グライフはそれを嘲笑うかのように軽々と回避し、巨大な翼を一振りすると、巻き起こした風圧でダンの体勢を崩した。


「ダメだ、上からじゃヤツ有利だ!」


「舞い降りてきた時が勝負だ。ダン、近距離攻撃に変えろ。奴に距離をとらせるな!」セキレイが指示する。


「攻めさせてカウンター狙いってわけだ」剣を構えたまま、シュウがじりじりとダンの方に寄っていく。


「ちくしょう、じゃあ直接叩き込むやつをお見舞いしてやる」ダンの掌の炎が大きくなった。


 グライフがもう一度咆哮し、ダンに向け急降下する。


 怪鳥の鉤爪がダンに迫るその瞬間、降下地点を読んでいたシュウがグライフの左翼の根元を目がけて斬りつけた。


「硬い!」シュウは翼を斬り落としてグライフの飛行能力を奪うつもりだったが、傷をつけるにとどまった。


 すかさずダンが掌の黒い炎をグライフの脚に押し付ける。

「ギャアアアアッ!」

 グライフは叫び声を上げ、再び空中へ舞い上がり、人間達に向き直った。


「炎を吐くぞ!」


 セキレイが警戒を促した瞬間、戦いを見ていたヴァルがハヤブサに変身し、グライフに向かって舞い上がった。

 俊敏なハヤブサは、グライフの右目に向かって弾丸のように飛んでいく。


 グライフはぎりぎりでハヤブサをかわすが、ハヤブサは執拗にグライフの目を狙う。

 自分より遥かに小さな存在に愚弄されたと感じたのか、グライフは地上の人間を忘れ、ハヤブサへの怒りをあらわにした。


 その瞬間、ダンの放った火球がグライフの翼を貫く。

「こっちに来やがれ!」


 怒り狂ったグライフがダンに向かって口を開き、炎を吐こうとしたその瞬間、グライフの右翼が体を離れて宙に舞った。

 誰も何が起こったかわからなかったが、グライフと同じ高さにセキレイが跳躍しているのを見て、セキレイが翼を斬り落としたと知った。


 凄まじい絶叫と共に、グライフはバランスを崩し、大木を何本もなぎ倒しながら森へと墜落した。


 だが、その闘争心は衰えていない。地上に降りた獅子の体は、むしろ怒りでその凶暴性を増していた。


 墜落の衝撃で土埃が舞う中、グライフは最も近くにいたシュウにその牙を剥いた。身構えるシュウ。セキレイは間に合いそうにない――。


 その時、グライフが動きが止め、叫び声をあげた。

 ダンの手から黒い炎が伸び、まるで大きな腕のようにグライフの脚を掴んでいた。

「隊長に、技が単調だって言われたからな。シュウ!」


 得意そうに言うダンの呼びかけに応え、一瞬の隙をついて、シュウはグライフの背後に回り込んだ。そして全体重を乗せた剣を、グライフの首の付け根、硬い羽毛と筋肉の隙間へと、正確に叩き込んだ。


 確かな手応え。グライフは、声にならない断末魔を上げ、その巨体をゆっくりと大地に横たえた。


 静寂が戻った森の中、遊撃隊の若者たちは、荒い息をつきながら、自分たちが仕留めた伝説の魔獣を見下ろしていた。

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