第6話 神速の守護者
グライフの死骸を呆然と眺めながら、ダンが言う。「初陣の相手がこれって⋯⋯」
シュウが頷きながら返した。「世界初だろうな」
そこへ、セキレイが音もなく歩み寄る。
「よくやった。ヴァルも含め、よく互いの危機を守り合ったな。戦いの中での発想もよかったぞ。攻撃力不足は課題だがな」
彼らの初陣に合格点を与える一言だった。決定的な一撃でセキレイの助けがあったとは言え、自分たちが伝説の魔獣と渡り合い、打ち破ったのだ。その事実は、若き遊撃隊員の胸に、確かな自信と仲間への信頼を刻み付けた。
その時――。
あの咆哮がまた聞こえてきた。
「2頭目だと!?」
一同が驚愕する中、奥から新たなグライフが姿を現した。
2頭はつがいか、親子兄弟か――グライフは片割れを殺されて最初から怒り狂っている。
シュウとダンが構える。
「こいつはさっき以上に危険だ。お前達は下がっていろ」
今度はセキレイがひとり前に出た。
低い唸り声を上げるグライフの口の中から、高音の蒸気が立ちのぼっている。今にも炎を吐きそうだった。
隊員達が固唾をのんで見守る。
次の瞬間、セキレイの姿は怪鳥の背にあった。
1頭目と同じ部位に剣を刺されたグライフは、今度は断末魔の叫び声を上げる間もなく絶命し、その場に倒れた。
「え⋯⋯?」
「何が起こったんだ!?」
「これぞ神足、ね。手品みたい」モニカが安堵のため息をついた。
「本当に人間かよ。でたらめじゃねーか」ダンが、セキレイのあまりの強さに半ば呆れたようにシュウに言うと、シュウは青ざめた顔で「ああ、遠すぎる⋯⋯」と呟いた。
グライフを討伐した後はまた街道を進み、翌日の午後、一向はようやく帝都アイゼンブルクに到着した。
初めて見る帝都の威容に、少年たちは息を呑んだ。
悠久の大河、蒼龍川(ブラウ・ドラッヘン)を中心に整然と区画された美しい街並み、天を突くような白亜の城壁、そして活気あふれる人々。
だが、華やかさだけでなく、どこか弛緩した、平和に慣れきった空気が漂っているのを、彼らは敏感に感じ取っていた。ユイナフの脅威に備えている緊張感は感じられなかった。
皇帝の居城、サンクト・カール城での謁見は、荘厳な雰囲気の中で行われた。
磨き上げられた大理石の床、壁一面に飾られた歴代皇帝の肖像画。その最も奥にある玉座に、皇帝ルドルフ4世は座っていた。年の頃は40代後半。線の細い、神経質そうな顔つきの男だった。
セキレイは恭しく片膝をつき、淀みなく口上を述べた。
「神聖マール帝国皇帝、ルドルフ四世陛下におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます」
「顔を上げよ」
皇帝の声は低く、威厳を保とうとする努力が感じられた。
セキレイは立ち上がり、真っ直ぐに皇帝を見据え、ユイナフの脅威と、自らが帝国の剣となる決意を語った。それは理路整然としており、愛国心に満ちた、非の打ち所のない申し出だった。
だが、皇帝の反応は冷ややかだった。
「神足のセキレイ、その武名は朕の耳にも届いておる。だが、そなたはローゼンブルクの騎士。帝国の守護は、皇帝である朕と、帝国軍が担うべきもの。高名な騎士ゆえ謁見を許しはしたが、一介の騎士としていささか僭越ではないか?」
その言葉には、明確な警戒が滲んでいた。
ルドルフ4世は、自身の権威が揺らいでいることを誰よりも自覚していた。だからこそ、セキレイのような、圧倒的な武力と名声を持つ個人を恐れたのだ。
圧倒的な強さは、時に皇帝の権威すら凌駕する、危険な権力となりうる。彼は、新たな脅威を自らの側に置く気はなかった。
「お言葉ですが、陛下。ユイナフの脅威は、もはや一刻の猶予もありません。私の力、帝国の為にお役立ていただきたく――」
皇帝は、セキレイの言葉を遮った。
「その忠誠心、見事である。だが、事は朕が判断する。そなたはローゼンブルクの守りを固めることに専念せよ。下がってよい」
謁見は、物々しい雰囲気のまま終わった。
セキレイは表情一つ変えず、一礼して玉座の間を後にした。
城を出たセキレイとモニカを少年達が出迎えた。
「なんて了見の狭い皇帝だ! 」経緯を聞いたシュウが悔しそうに言った。
だが、セキレイは静かに微笑んだ。
「いや、これはこれで問題ない」
「え?」
「理想は勅許を得ることだったが、あの皇帝が私の申し出を素直に受け入れるとは思っていなかったさ。私が帝都まで行って申し出た事実だけあれば何とかなる。今からのお前達の働き次第だがな」
ローゼンブルクへの帰途、セキレイたちは往路で通った街道を南へ引き返さず、意図的に遠回りをした。ユイナフと国境を接する各領邦を訪ね歩くのが目的だった。
表向きは、帝都からの帰りに旧知の領主に挨拶をする、という名目だ。
帝都から北西へ半日ほど進んだ先にある、グリューンヴァルト領の酒場でのこと。
セキレイが領主と会っている間、遊撃隊の5人は、一般の旅人を装って食事をとっていた。
「さて、大きな声では言えない遊撃隊の初任務よ」
モニカが配った指示書には、こう書かれていた。『神足セキレイが国境守護に乗り出したという噂を流せ』。
「どうやるんだよ、噂なんて⋯⋯」
ダンが戸惑っていると、モニカがヴァルを見た。「見せてあげて」
ヴァルがそっとテーブルの下に潜り、人の良さそうな行商人に姿を変えた。立ち上がるとそのまま別のテーブルに歩いていき、傭兵たちに話しかける。
「いやあ、聞きましたかい? 神足のセキレイ様が、帝都で皇帝陛下に『ユイナフの脅威ある限り、帝国のどの領地であろうと、私が駆けつけて守護する』と宣言なさったそうですよ!」
ヴァルの巧みな話術と、真実味のある表情に、傭兵たちは「ほう、あの神足がか!」と身を乗り出した。
別のテーブルでは、リオがおどおどした村の少年のふりをしながら、酒場の女主人に話しかけていた。
「ぼく、見ちゃったんです。さっき、ローゼンブルクのセキレイ様がうちの領主様のお城に入っていくのを。きっと、困っているぼくたちのために来てくださったんですね⋯⋯」
シュウとダンは、その様子を呆気にとられて見ていた。
言葉というものは、剣を振るうより、魔法を放つより、遥かに静かで、しかし確実に人々の心に浸透していく。
モニカは、そんな2人を見て笑う。
「わかったかしら、坊やたち。ここも戦場なのよ」
彼らは、次の領地、そのまた次の領地でも、同じように噂を流布していった。
モニカが筋書きを作り、ヴァルが様々な人物に化けて噂を広め、リオが無邪気な子供を装ってその補助をする。シュウとダンは、時にはわざと喧嘩を起こして野次馬を集め、その隙に噂を広めさせるなど、陽動役をこなした。
この遊撃隊の初めての工作活動は、地味ではあったが、絶大な効果を生んだ。
皇帝の権威が失墜していく一方で、「どんな戦場にも、民の危機にも、神足セキレイが駆けつける」という噂は、人々の間に希望として広がっていった。それは、皇帝カール家ではなく、セキレイという個人への、直接的な信頼と期待の芽生えだった。
全てはセキレイとモニカの計算通りだった。いくら皇帝の権威が弱まろうと、今のところ、このマールにあって人々がまず最初に頼るのは、やはり帝国軍だ。その構図を壊し、人々の常識を変える。
ローゼンブルクへの帰路は、大陸の新たな地図を描き始めるための最初の旅路となった。
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