***
「真白、何か変わったところはない?」
「大丈夫です。」
目の前の美女に尋ねられて、私は笑顔でそう返した。眩しいくらいの美女だ。彼女はなんというか、女性としてのビジュアルがとても強い。
「名前しか覚えてないなんて、災難だったわね。」
美女──
あの後、私は月の国の首都にある病院に運び込まれた。しっかり目覚めるまで、ニ日程意識を失っていたらしい。そして今、私は病室に軟禁されている。事情聴取やら身辺調査やら、要するに怪しまれているのだ。身の潔白を証明したい私としては願ったり叶ったりだ。
「いえ……、生きていただけ運が良かったです。」
「まだ10歳なのに……。この国の嫌なところね。」
「10歳……?」
目が覚めてからどうやら今の私は18歳ではないということには気がついていたが……、まさか10歳とは。新しい二度目の人生と考えるべきか、時間が巻き戻ったと考えるべきか。とにかく結論として、私は生きている。なぜかは分からないが、やはり運が良かったということにしておこう。
それにしても、なぜそんなに明確な年齢が分かったんだろうか。そんな疑問がすべて声に出ていたらしく、睡蓮さんはすぐに答えをくれた。
「村であなたの出生記録が見つかったのよ。出身地も親御さんの名前も、誕生日もバッチリよ。」
「えっ? 出生記録?」
「そう。八雲たちが国境沿いの村からの救援要請に向かってる道中であなたを保護したじゃない? 名前しか分からないなんて言うもんだから大騒ぎになったんだけど、その村で見つかったのよ。」
手を止めた睡蓮さんはこちらを振り返ると優しく笑った。
「身元の証明はされたし、一安心ね。」
そんな彼女を裏切るようで申し訳ないが、その出生記録は果たして本物なのだろうか。前世ではそういった記録は見つからなかった。むしろ戦争孤児はそれが普通だったのだ。
「村の生き残りって、私の他は……?」
「……あなただけよ。」
睡蓮さんは瞼を伏せると、止めていた作業を再開した。他にも生き残りがいれば話を聞けるかと思ったが、どうやらそれは難しそうだ。
「真白、やっぱり八雲に保護されるより前のことは思い出せそうにない?」
「はい……。」
思い出すも何も、知らないというのが正直なところだ。二周目のスタート地点はあの吹雪の雪原だった。それより前の記憶は当然持ち合わせていない。
一周目の記憶を遡ってみても、あの吹雪の雪原で八雲に保護される場面はない。つまり、既に新しい道を歩んでしまっているということになる。
「……あの、犯人って……。」
「太陽の国の奴らよ。例の如く、村にデカデカと奴らの紋章が残されていたらしいわ。」
太陽の国はたびたび月の国に攻め入っては、自分たちの功績だとでも言うかのように紋章を残して去る。
ということは、敵に変わりはない。例え経緯が異なろうと、たどり着く先が同じならひとまず大丈夫だろう。大切なのは、やはりあの死の場面を避けることだ。
睡蓮さんは重くなってしまった空気を変えるように、笑顔でこちらを振り返って言った。
「体調面は問題ないし、訓練までには退院できそうね。」
「あ、訓練……!」
この月の国では、10歳になると首都の訓練所で一年間訓練を積む決まりがある。その際は親元を離れ、寮で暮らすのだ。そして訓練所を卒業後はそれぞれの進路に進む。
国の成り立ちが元々戦いであることから、国民の全員が最低限戦えるようにとこうした決まりが設けられている。
「訓練は国民の義務だもの。参加できるよう、私の方から言っておくわ。」
「ありがとうございます。」
睡蓮さんには随分お世話になってしまっている。私の担当が彼女だったことは、やはり運が良かった。
*
その人が私を訪ねて来たのは、無事退院と訓練への参加が決まってから数日後だった。
「や。調子はどう?」
そう軽い調子で彼──八雲は、片手をポケットに突っ込み、空いた片手をラフに上げて言った。いつものように睡蓮さんが来たものとばかり思っていた私は、困惑して目を瞬いた。
「あれ……、睡蓮からは元気だって聞いてるんだけど、調子悪い?」
八雲が首を傾げると、首にかけられたドッグタグがチャリッと音を立てた。我に返った私は慌てて首を横に振った。八雲は優しく微笑むとベッド横の椅子に腰掛けた。
八雲だ。本物の八雲だ。生きてる。動いてる。まずい、泣いてしまいそうだ。
「これ、お見舞い。」
八雲は小脇に抱えていたそれを私に差し出した。それは愛らしいピンク色の小さな花束と可愛らしい小包みだった。
「ありがとう、ございます……。」
声が掠れてしまった。戦場で鍛えられた彼は、恐ろしく耳が良い。聞くもの見るもの全てから情報を得る。だからきっと、私が泣きそうなのはバレてしまっただろう。
差し出されたそれらを受け取りながらも、私は八雲から目を逸らせなかった。そしてそれは結局、零れ落ちてしまった。
「八雲、隊長……。」
彼が死ぬのを一度目の当たりにしたのだ。今目の前の現実が、どれ程尊いか。私は花束と小包みを抱え込みながら咽び泣いた。八雲は何も言わず、ただそっと目を閉じていた。
しばらくして私が泣き止んだ後、八雲は首を傾げて言った。
「ところで、俺らどこかで会ったことある?」
私は再び目を瞬いた。
目覚めてから数日。二周目に突入していると結論づけて以降、ずっと疑問だった。死んだ記憶があるのは私だけなんだろうか。もしかしたら、八雲も。けれどその希望は今、打ち砕かれた。
「えっと、その、有名な方なので……。」
「そうなの? なんかピンとこないけど……。まぁまだ隊長どころか班長クラスが精々だけどね。」
そうか。私が10歳ということは、八雲は18歳。隊長に就任するのはもう少し先の話だ。
「あれ、記憶違い……かもです……。」
えへへと笑ってみせると、八雲はただ優しく微笑んだ。ふと、死の間際の言葉を思い出した。
──『俺にとっても、お前は失いたくない奴だよ。だからお前がここにいるってだけで、すごい勇気づけられてる。本当は、絶対にお前を死なせやしないくらい言えたらかっこいいんだけどね。』
帰ったらゆっくり聞かせてくれるって、言ったのに。続きは当分お預けになりそうだ。私は少し嘲笑を漏らした。当分って、何年なんだろう。落胆したのも束の間。
「今更だけど、改めて。月の国守護隊第一部隊所属、八雲です。よろしくね、真白。」
そう笑う顔を見たら、全部どうでもよくなってしまった。また一から全部やり直すだけだ。八雲との関係も、信頼も、思い出も、全部。
「よろしくお願いします、八雲さん。」
笑顔でそう返すと、八雲は笑顔で一つ頷いてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます