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「真白。」



 優しい声に導かれるように目を開くと、八雲が呆れた、けれど優しい笑顔を浮かべて立っていた。のんびりと起き上がった私の隣に八雲は腰を下ろした。



「こんな所で寝てたら風邪引くでしょ。」

「大丈夫だよ、こんなに気持ち良いんだもん。」



 私は悪びれることなくそう言うと、グッと伸びをした。春の穏やかな陽射しの下、日向ぼっこをしに来たのだが、あまりに気持ち良くてそのまま眠りこけてしまったらしい。

 この丘には大きな木が一本植っている。この国のシンボルである月桂樹だ。その木をぐるりと囲むようにして、無数の殉職者の墓標が建てられている。静かな場所なので、昼寝には丁度良い場所だ。



「まったく。こんな所で昼寝するの、お前くらいだよ。」

「ふふ、いい場所なのに。」



 この丘からは首都が一望できる。私たちの大切な場所。帰る場所のない私たちにとって、唯一残された守りたい場所だ。


 私も八雲も、幼少の頃に親を失った戦争孤児だ。親の顔は覚えていない。この国のトップである総隊長に拾われ、月の国の守護隊見習いとして育てられた。

 そして先に規定の年齢に達した八雲は、明日から晴れて本隊員となる。けれどそれは同時に、戦地に駆り出される機会が増えることを意味していた。



「ねぇ、八雲。」

「ん?」

「これ、あげる。」



 私は八雲に半ば押し付けるようにそれを渡した。八雲は不思議そうにしながら包みを開いた。



「これ…、お守り?」

「うん。」



 乾燥させた月桂樹の葉を布で包んだ簡素な物だが、この国の伝統的なお守りだ。月桂樹には『勝利』や『栄光』といった花言葉がある。このお守りには、無事の帰りを待つという意味が込められているのだ。



「ありがとう、真白。」



 八雲は優しく笑うと、私の頭を撫でた。鼻の奥がツンと痛んだ。私は思わず八雲に飛びついた。



「怪我しないでね。」

「ふふ、しないよ。俺を誰だと思ってるの?」

「八雲は強いよ。でも、心配なの…。」



 八雲は同年代の中で群を抜いて強かった。最近は昔ほど太陽の国との戦いも盛んではないし、大丈夫なんだろうと思うけれど、やはり不安なものは不安なのだ。

 八雲はそんな私の心中を察してか、私を強く抱き締めた。そっと顔を上げると、八雲は相変わらず優しい笑顔だった。



「お前の所に必ず帰って来る。約束。」

「っ…うん。」



 まだ幼い頃の温かくて優しい記憶。好意を伝えるなんて発想はなくて、ただ八雲といられればそれでいい。そんな風に思えた、穏やかな日々だった。



 *



「入隊おめでとう。」



 その声に振り向くと、気怠げに両の手をポケットに突っ込んだ八雲がいた。



「八雲…さん! ありがとうございます。」

「ふっ…。似合わないねぇ。」

「一応先輩だもん、敬意を表さないと。」

「そりゃあいい心がけだ。ほい、入隊祝い。」

「なぁにこれ?」



 首を傾げながら包みを開くと、そこには月桂樹のお守りが入っていた。葉はピンクの花柄の布で包まれていて、キラキラ光る糸まで使われていてとても可愛い。



「ありがとう…! ポーチに縫い付けようかな。でも隊服もいいなぁ。」

「ふふ、俺は隊服に縫ってる。」

「じゃあ私もそうする。」



 大切な宝物が増えた。にこにこする私の頭に手を乗せて、八雲は言った。



「死ぬんじゃないよ。」

「うん。」



 こうして私たちは、いつ終わるとも分からない戦いに身を投じていくことになる。戦いの起源は国の成り立ちにまで遡る。そんな戦いに、もはや意味なんてあるのだろうか。微かにそんな疑問を感じていた。



 *



「罠だ!」


 

 前方にいた誰かがそう叫んだ瞬間だった。総隊長の足元から魔法の炎が立ち上った。あっという間に見たこともない強力な炎の檻が完成し、総隊長は身動きが取れなくなってしまった。


 

「逃げろ!!」


 

 総隊長の声を皮切りに、味方は敗走を始めた。総力を上げて太陽の国に攻め込んだはいいものの、ここに来るまでに戦力を大きく欠いていたし、士気も削がれていた。そこに炎の檻だ。皆は方々散り散りに逃げて行った。ただ一人を除いて。



「八雲隊長! 私たちも逃げなきゃ!」



 八雲は、炎の檻を静かに睨みつけていた。



「お前だけでも早く逃げろ。」

「そんなことできません! 総隊長はすぐには殺されないはずです。一度退いて体制を立て直しましょう!」



 少なくともこのまま突っ込めば待つのは死だ。総隊長に比べて八雲と私には利用価値がない。生かしておく必要がないのだ。

 私は愛しい人を死なせまいと必死だった。けれど、八雲は緊迫した状況には似合わないいつもの優しい顔で笑った。



「もう奪われるのは十分なんだよ。少しでも可能性があるのなら、俺はそれに賭けたい。」

「っ……!」



 一瞬言葉が出てこなかった。八雲だけではない。私たちは皆、沢山のものを失いすぎている。



「じゃあ私にっ、八雲隊長を失わせないで!」



 ずっと大好きだった。幼い頃は兄のように、物心ついてからは一人の異性として、八雲をずっと慕ってきた。きっとそれは八雲にもバレている。けれどその想いを明確に伝えられないまま、ここまできてしまった。

 八雲は目を瞬いた後、視線を逸らして困ったようにこめかみを掻いた。



「それはお前、ずるいでしょ。」

「ずるくても何でもいいです! お願いだから」



 そこで言葉は途切れた。こちらにまで敵の攻撃が飛んできたのだ。私たちは敵の攻撃をかわしながら、背中を合わせて構えた。選択肢が減った。もう二手に別れるのは難しそうだ。



「このまま逃げましょう。それか、あの世までお供させてください。」



 八雲は大きな溜め息を吐いた。



「お前は相変わらず、俺の後をいっつもついてくるんだから。」

「どこまでだって、一緒に行きます。」

「危ないって言ったのに、守護隊にまで入っちゃって…。」

「私たち戦争孤児には、選択肢なんてあってないようなものだったでしょう?」

「そうだけど…。ってゆーか、無事に総隊長を奪還して逃げ仰るって選択肢はないわけ?」

「ふふ、そうですね。」



 奇跡でも起きない限りそれは無理だろう。そんなの八雲が一番分かっているだろうに。でもまぁ、黄泉への道だろうと八雲と共に歩めるのなら、何だっていいか。

 短剣を握る手に力を込めたその時、私の背中に八雲の背中が触れた。



「怖い?」

「…そりゃあ。」



 怖いに決まってる。こんな負け戦は初めてだ。けれど背中に感じる温もりが心強い。



「俺にとっても、お前は失いたくない奴だよ。」

「…!」

「だからお前がここにいるってだけで、すごい勇気づけられてる。本当は、絶対にお前を死なせやしないくらい言えたらかっこいいんだけどね。」



 そう言っていつものように笑うから、つい泣きそうになった。

 八雲が直接的にこんな風に言ってくれたのは初めてだ。気付いていた。きっと私たちは、両想いなのだと。



「八雲隊長こそずるいです。帰ったら、ゆっくり聞かせてくださいね。」

「ふふ。……ありがとう、真白。」



 八雲はそう言うと同時に地面を蹴った。私もそれに続いて地面を蹴った。


 とにかく必死に戦った。剣、暗器、体術、そして魔法。使えるものはすべて使った。何人討ち取ったか分からない。けれど多勢に無勢。

 先に地面に伏せたのは、先陣を切っていた八雲だった。それに気を取られた私が次に地面に伏せた。喉が張り裂けるほど叫んだ。嫌だ、殺さないで、置いて行かないで。八雲隊長。けれどその叫びはもう八雲の耳には届かなくて。それでも私はただ叫んだ。そして私も、程なくして後を追った。



 月の国守護隊第一部隊所属。真白。18歳。


 私はこうして、敵国・太陽の国にて死んだ。……はずだった。

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