5

 sideカイル



 かつてのアルマード男爵邸は、リリアが暮らしていた頃と全く変わらず、屋敷の中も庭園も美しく手入れされていた。


  その庭園の一部、鍛錬場で、私は俊敏な動きで剣を振っている。

  この一年かけて、医者も匙を投げた右手のリハビリに励み、ようやく以前のように動かせるようになっていた。


 アルマード男爵邸を売らなかったのは、リリアがもし何かあった時、帰る場所を失わせたくなかったからだ。


  振られた身とはいえ、私はリリアのことを生涯、遠くからでも見守りたいと決めていた。


  譲り受けたアルマード商会は今も変わらず利益を上げ、私の心の中もまた、あの頃と変わらずリリアを想い続けている。


 私にとってリリアは、初恋の相手と言っていい。

  ただひたすら騎士としての高みを目指していた私に、この国の大富豪アルマード男爵がこう告げた――

  「この世で一番大切なものを、君に託したい」と。

  あの時の言葉は、今も鮮明に覚えている。


 剣の腕があり、頭の切れる者――それは当たり前の条件だ。

  本当に問われるのは、自分の命以上にリリアを大切にする覚悟があるか、一生をかけて彼女を守り抜く覚悟があるかどうか。

  その問いに「イエス」と答えられる者だけが、大富豪の一人娘と結婚する資格を得る――そう突きつけられた。


 対面の前に、私は何度かリリアを見に行く機会を与えられた。

 アルマード男爵の招きで屋敷を訪れた日、リリアは広い庭園の一角、噴水のそばで幼い子どもたちに絵本を読み聞かせていた。孤児院の子どもたちを屋敷に招き、ひとときの安らぎを与えていたのだ。


 子どもたちの笑い声に混じって、彼女の柔らかな声が風に乗って届く。

 蜜色の髪が陽光を受けて揺れ、同じ色の瞳が優しく細められた。


 その日を境に、私は何度もリリアに会いに行くようになった。

 庭の花壇で世話をする姿を見つけては、声をかけることもできず、ただ立ち尽くし、遠くから見守る。


  庭師の老人を手伝い、泥のついた手を気にもせず笑う彼女。繊細でありながら、どこかに芯の強さを感じさせる笑顔だった。


  使用人たちに驕ることなく、貧しい者にも分け隔てなく微笑みかける。

  純粋で、穢れを知らぬ存在だった。


 (この人を守りたい)


 その思いが、胸の奥で確かな形を持っていく。


  破格の金額も提示され、私は王太子付き近衛騎士団を自ら辞めた。

  だが、惹かれたのは金ではない。近衛騎士団にいても十分な高給を得ていたし、母や弟のために医療費が必要だったとしても、自分の信念を曲げてまで選ぶことはしなかっただろう。


 リリアという存在――その人を守り抜こうと思ったからこそ。

 心から愛せると確信したからこそ、リリアの婿になる決意を固めたのだ。


 しかし、無様にもリリアには他に好きな男ができた。

 私は彼女の幸せを願うしかなかった。

 あれからもうすぐ一年。右手の後遺症も克服し、ようやく全快した今、どうしても確かめたいことがある。


  最愛のリリア――彼女が幸せに暮らしているかを、この目で見届けたいのだ。

 アルマード男爵との約束を果たすためにも。


  そして何より、自分自身がリリアの幸せを見守り続けると誓ったからこそ、毎年必ずその姿を確かめようと決めていた。


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