6-5. 選挙

 生きるとは呼吸することではない。    

 行動することだ。            

 哲学者 ジャン=ジャック・ルソー



 紙に記載された選挙事務局とやらに行ってみたが、残念ながらある意味当然に、ケイシーの抗議は実らなかった。向こうの言い分はただ一つ。「読み書きのできない者に投票権を与える意味がありません」の一点張りだった。


 それが詭弁に過ぎないことは、同じく字の書けないジョーにも用紙が配られていることから明白である。この言い分は、差別という体を取っていないが、黒人だけをターゲットにしていることも明白だ。奴隷解放後、黒人への不平等な扱いが法律上禁じられた中で、よくとられた手法である。つまり、一見人種で線引きしているようには見えないが、事実上、黒人への不当な扱いを正当化していたのだった。


 この門前払いに、ケイシーは憤ったが、それは想定内のことだった。それでも、何も行動しないというわけにはいかなかったのである。


 それよりもケイシーの癪に障ったのは、選挙事務局の連中が皆、どうもマシューの息のかかった者だということである。根拠はケイシーの勘としか言いようがないが、自身が選挙の不正に関わっていただけあって、それに似た雰囲気を感じ取ったのだ。そもそもこの所の財政を牛耳っているのはマシューなのだから、有り得ないことではない。


 だから、この選挙の結果は、火を見るより明らかであった。数日に亘って、主に演説などの選挙活動が行われたが、その経過を観察する価値はない。予期された通り、大統領の椅子は、マシューの手に収まったからである。おそらく、他の役職を手に入れた連中も、多くがマシューの取り巻きたちなのだろう。票が金で動いた可能性もある。少なくともケイシーにはそう感じられた。


 この結果に対して、五人の怒りはひとしお、と思いきや、ケイシー以外の四人はそれほど憤らなかった。マシューと直接因縁があるのはケイシーだけで、ジョーは選挙自体にさほど興味がなかった。そして、不正を許してはいけないなどという正義感は、クーニーとフリンには薄い。そして四十二番は、おそらく諦めていた。


 そんな様子を高みから見守っていたのは、オズ所長だった。

「選挙、というのは面白い試みだと思ったがね」

 片手にはマシューらが発行した共和国政府新聞、もう一方の手にはリプトンの紅茶を淹れたティーカップ。所長の御用達だった。端からは、所の管理という本来の業務を囚人たちに丸投げして、自分は優雅なティータイム、に見える。がしかし、所長は多忙を極めていた。州行政との様々なやり取りが必要なのは言うまでもないが、何よりこの「自由の実験」に関するメディアの取材や、批判への対応、関係部局や団体との調整、交渉、そして一部の職を失った看守たちへの仕事の斡旋など、多岐に渡った。

「ええ、もしかしたら上手くいくんじゃないかと期待したんですが」

 当然ながら助手のブライアンも、毎朝大量に届く手紙を一綴りずつ読みながら、所長に言葉を返していく。

「『選挙の終わりとは、奴隷制の始まりである』とは、ジョン・アダムズだったか、ジョン・クインシー・アダムズだったか。選挙をするという形に辿り着いたのは素晴らしかったが、不正まみれでは、彼らがまた不自由な奴隷に戻る日も近い、かな」

「不正も問題ですが、あの初代大統領、マシューという男に、かなりの数の囚人がすすんで投票したとか」

 看守や他の職員、そして自分の目や耳から、いくらでも情報は入ってきた。

「無理もない。彼のおかげでより良い食事にありつけるようになったとか、労働が多少楽になったとか、そう思っているのだろうね。そんなのはまさしく独裁者が使う手口なんだがね。ヴァン・ビューレン大統領によれば、『政治は一時的な興奮ではなく、冷静な熟考によって行われるべき』だそうだ。ああ、これからどうなることやら」

「と言いつつ、何か楽しみにされているのでは?」

 流石にブライアンは、オズ所長と机を並べているだけあって、だいぶ彼の思考が理解できるようになってきた。その読みが当たり、オズ所長は口角を上げた。

「その通り。楽しみなのは、やはり、あのケイシー君だろう。彼がこのまま終わることはない。自由でこそ彼の真価が問われる」

「ええ、選挙を含めて、今後が楽しみですね。『自由でいられるかは、自らの自由を守る意識にかかっている』と、リンカーンもおっしゃっていますからね」

 ブライアンは所長を真似て、得意顔をした。

「良い言葉を選択したが、それはウィリアム・ハリソンだよ」

 そんな話をしているうちに、右手の紅茶が冷めていたのだった。

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