6-3. BからはじまるABC
生きるとは呼吸することではない。
行動することだ。
哲学者 ジャン=ジャック・ルソー
「まずはABCから覚えなきゃなあ」
「といっても、話す聞くはできるんだから、すぐに覚えられるさ」
クーニーとフリンがそんな会話をする間、ケイシーは木の棒を使って地面にアルファベットを書き連ねた。
「よし、覚えるのはこの26種類だけだ」
「大文字小文字があるから、数に直すと52文字だな」
そう言うクーニーがなんだか活き活きしている。家族が増えたような気持ち、と言って、あながち間違いはないだろう。
「あ、あのー」
「ん? なんだ、ジョー」
普段の活発さに似合わず、余りにもおずおずと発言するものだから、一瞬誰だか分からなかった。
「えーっと、文字を教えるなら……、俺も混ぜてほしいっていうか……」
「なんだ、いいぜ」
本人にとっては重大な告白だったのだろう。しかし、ジョーとケイシーの生い立ちを考えれば、文字が読めないのはある意味当然のことだった。むしろ、仕事の都合上文字を学んだケイシーの方が、特異な例である。
「んで、終わったら皆で野球ね」
ジョーはアルファベットを眺めながら、うきうきしているのが隠せていなかった。
「お前はそっちが本命だろ。まあいいけど」
すると、四十二番が首を傾げた。
「はて、野球……? 野球とは、何でしょう」
こちらもおずおずとした疑問だ。確かに、野球をするとはまだ伝えていなかった。だが、四十二番は野球そのものを知らないようだ。同じく、生い立ちを考えれば無理もないことだろう。
「そうか、ちょうどいいな。野球のルールと文字を一緒に覚えてしまえばいい」
「Base-Ballは、こうやって書くんだ」
フリンが地面に書きつけた。
「
「なるほど……」
「早速やってみよう」
と言いながらケイシーは、またシャツを脱いでボールにした。
「ほら」
「お、おっと」
いきなりそのボールを投げ渡された四十二番は、困惑していた。
「ほら、こっちに投げてみろ」
クーニーが胸の前で手を叩いた。腰を落として一丁前に構えているが、さっきの情けない空振りを思い起こすと滑稽である。四十二番の手前、出来る風に振舞っているのだ。
四十二番はそれに応えて、ぎこちないながらも投げてみた。
「こ、こんな感じですか……」
そのボールがしっかりとクーニーの構えた手に収まったのだから、皆感嘆の声を上げた。
「おお、やるじゃないか」
クーニーが驚きつつ、投げ返してやる。
その様子を見ていたジョーは、初めてケイシーとキャッチボールをした日を思い出した。友達ができて嬉しい、それしかなかった。
今だって、相手が黒人の四十二番だとしても、同じ気持ちを抱けるはずだ。ジョーは自分の弱みを振り払うように、声を上げた。
「よし、今度はこっちだ!」
四十二番がそんなジョーに投げ込んだのを横目に、フリンが地面に綴った。
「これがキャッチボール。キャッチもボールも知ってるだろう。C-A-T-C-H-B-A-L-Lと書くんだ」
その文字列とボールとの間で、四十二番の目が行ったり来たりしていた。
「これが、キャッチボール……、えー、C、A、あいたっ」
クーニーの投げたボールが四十二番の脳天に当たった。幸い、シャツを丸めただけのボールだから、全然痛くない。
「ああ、悪い悪い。よく見てなかった」
「大丈夫ですよ、クーニーさん」
「流石にキャッチボールしながらはむずいな」
そんな様子を見ながら、ケイシーは微笑んでいた。頭の中にどこかで聞いた陽気な音楽が流れてくるくらい、夢みたいな状況だ。
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