第17話 魔力酔いの聖女と、朝焼けの誓い

「……狭いわね」

離れのコテージは、ダブルベッドが一つ置かれただけの、こじんまりとした空間だった。

窓の外には、静寂を取り戻したルナリア湖が月明かりに照らされている。

「でも、今の私たちにはちょうどいいわ」

アリア様が、僕の背中におぶさったまま、耳元でクスクスと笑った。

先ほどの戦闘で、僕のS級魔力を大量に注ぎ込まれた影響だろうか。

アリア様の様子が、少しおかしい。

頬は上気し、瞳はトロンと潤み、吐息には甘い熱が混じっている。

いわゆる「魔力酔い」の状態だ。

「アリア様、着替えましょう。汗と湖の水で濡れています」

「ん……手伝って?」

アリア様は、ベッドの端に腰掛けると、両手を広げて子供のようにねだった。

汚れたキャミソールの肩紐が、ずり落ちそうになっている。

(……これは『介護』だ。邪な気持ちはない)

僕は自分に言い聞かせ、アリア様の着替えを手伝った。

備え付けのバスローブに袖を通させる間も、アリア様は僕の首筋に顔を埋め、クンクンと匂いを嗅いでくる。

「カイトの匂い……落ち着く……♡」

「くすぐったいです、アリア様」

ようやく着替えを終え、僕も濡れた服を乾かして(こっそり生活魔法で)、ベッドの横に立った。

今日はソファで寝よう。そう思った矢先。

「どこへ行くの?」

アリア様が、僕のバスローブの裾を掴んだ。

「ソファで寝ます。ベッドはお一人で広々と……」

「ダメ」

グイッ、と強い力で引かれる。

油断していた僕は、バランスを崩してベッドのアリア様の上に倒れ込んだ。

「うわっ!」

「捕まえた……♡」

柔らかい感触。

石鹸と、アリア様自身の甘い香りが爆発的に広がる。

気づけば、僕はアリア様を押し倒す形になっていた。

アリア様の腕が、逃がさないとばかりに僕の背中に回される。

「ア、アリア様!?」

「離さないわ。……寒いもの」

嘘だ。アリア様の身体は、魔力の影響でカッカと火照っている。

バスローブ越しに伝わる体温は、むしろ熱いくらいだ。

「カイトの魔力が……まだ私の中で暴れてるの」

アリア様が、恍惚とした表情で呟く。

「熱くて、痺れて……あなたがそばにいないと、私、どうにかなりそうなの……」

「それは……副作用的な……」

「責任、取ってくれるわよね?」

アリア様が、僕の首を引き寄せ、唇の距離をゼロにする。

触れ合う鼻先。絡み合う視線。

アリア様の瞳には、聖女としての理性は微塵もなく、ただ「雄(オス)」を求める「雌(メス)」の本能だけが揺らめいていた。

「カイト……好き……」

「っ……!」

理性が、音を立てて砕け散る寸前だった。

もう、いいんじゃないか?

平穏な生活なんて捨てて、このまま聖女様に溺れてしまえば――。

僕が、アリア様の唇に触れようとした、その時。

「……すぅ……」

「え?」

「……すぅ……くー……」

アリア様の力が、ふっと抜けた。

閉じた瞳。規則正しい寝息。

「……寝た?」

張り詰めていた糸が切れ、僕はガクッと肩を落とした。

どうやら、S級魔力による身体強化と、魔力酔いの興奮が限界を超え、強制的なシャットダウン(睡眠)に入ったらしい。

「……ははっ。敵わないな、本当に」

僕は苦笑し、アリア様の上に覆いかぶさったままの体勢を解いた。

隣に転がり、天井を見上げる。

「ん……カイト……行かないで……」

寝言と共に、アリア様が無意識に僕の腕を抱きしめてくる。

その顔は、起きている時の妖艶さとは違う、無防備で愛らしい少女のものだった。

(……まあ、こういう夜も悪くないか)

僕は、アリア様の髪を優しく撫で、その温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

結局、手出しはできなかったが、この「重み」だけは、心地よかった。

***

翌朝。

「……ん」

小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。

左腕が重い。痺れている。

見ると、アリア様が僕の腕を枕にして、幸せそうに眠っていた。

そして、ベッドの足元には。

「……おはようございます。ご両人」

「「!!??」」

僕とアリア様(飛び起きた)は、同時に悲鳴を上げた。

そこには、仁王立ちで腕を組む、鉄仮面のメイド長・マーガレットさんの姿があった。

「マ、マーガレット!? なぜここに!?」

アリア様が、バスローブがはだけるのも構わず叫ぶ。

「魔物討伐の報告を受け、急ぎ救援に参りましたが……」

マーガレットさんの眼鏡が、キラーンと光る。

その視線は、乱れたベッド、バスローブ姿の二人、そしてコテージに充満する「事後」のような空気を冷徹にスキャンしていく。

「どうやら、救援が必要だったのは魔物の方だったようですね」

「ご、誤解です! 何もしてません! 寝てただけです!」

「ええ。何も(・・・)してないわ! 残念なことにね!」

アリア様の余計な一言が、再び僕の首を絞める。

「……まあ、よいでしょう」

マーガレットさんは、意外にも追求を止めた。

「湖の浄化は見事でした。王宮からも、正式に任務達成の認定が降りています」

「ほ、本当ですか!」

「ええ。これでカイト、貴様の『前科』は帳消しです」

助かった。

僕は安堵のため息をついた。これでまた、平穏な(?)学園生活に戻れる。

「ただし」

マーガレットさんが、一枚の封筒を差し出した。

「王宮からの、新たな辞令です」

「……辞令?」

嫌な予感しかしない。

僕は恐る恐る、封筒の中身を確認した。

『聖女アリア・ミストラル及び、その専属守護騎士カイト・シズクへ。

来月開催される、近隣三国との合同式典「星降る夜会」における、親善大使としての出席を命ずる』

「……親善大使?」

「そうです。他国の王族や貴族が集まる、極めて重要な社交界です」

マーガレットさんが、ニヤリと笑った。

「カイト。貴様には、そこでアリア様のエスコート役を務めてもらいます。ダンス、テーブルマナー、社交術……。今日から地獄の特訓ですよ?」

「ええええええええええええ!?」

社交界。

それは、「目立ちたくない」僕にとって、最も行ってはいけない場所。

しかも、他国の要人が集まる場所で、聖女様のエスコート?

失敗すれば国際問題。目立てば正体バレの危機。

「楽しみね、カイト! 私、ドレス新調しなくちゃ!」

アリア様だけが、ウキウキと手を叩いている。

湖畔の朝。

僕の絶叫は、爽やかな風に乗って虚しく消えていった。

【第2章・完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る