第18話 地獄のダンスレッスンと、聖女様の「勝負服」

「背筋が曲がっています! 角度修正、マイナス2度!」

「足の運びが遅い! 貴様の足は飾りですか!」

「笑顔が引きつっています! 死刑台に向かう囚人でも、もう少しマシな顔をしますよ!」

王宮のレッスン室。

そこは現在、僕——カイト・シズクにとっての「処刑場」と化していた。

鬼教官マーガレットさんの怒声が響き渡る中、僕は額に滝のような汗をかきながら、必死にステップを踏んでいた。

相手は、仮想パートナーとしての等身大マネキン(重り付き)。

「ひぃっ……! す、すみません!」

「謝罪する暇があったらステップを踏みなさい! 『星降る夜会』まで、あと一週間しかないのですよ!」

マーガレットさんが、指示棒で床をバンバンと叩く。

この一週間、僕は学校の授業が終わると同時に王宮に連行され、夜中までこの地獄の社交界マナー特訓を受けさせられていた。

「カイト。ダンスは『戦闘』と同じよ」

サロンのソファで優雅に紅茶を飲んでいるアリア様が、のんきに口を挟む。

「相手の動きを読み、呼吸を合わせ、主導権を握る。……あなたのS級の体幹なら、造作もないはずでしょう?」

(それができないから困ってるんです!)

いや、正確には「できる」。

僕のスキル【最適化(オプティマイズ)】を使えば、プロのダンサーの動きをコピーし、完璧に再現することは可能だ。

だが、そんなことをすれば「なんで『無能』な荷物持ちが、王宮流のダンスを完璧に踊れるんだ?」と怪しまれてしまう。

だから僕は、S級の身体能力を駆使して、

「絶妙に下手くそだが、なんとか形にはなっている」

という、高度な『ヘタクソ演技』を続けているのだ。これが一番疲れる!

「……ふん。まあ、最低限の動きは覚えたようですね」

深夜、ようやくマーガレットさんが指示棒を下ろした。

「ですが、本番の相手はマネキンではありません。アリア様です。アリア様のドレスの裾を踏んだりしたら……その足、切り落としますからね?」

「は、はい……(絶対踏まないように【未来予知】使おう)」

「では、休憩を挟んで、次は衣装合わせです」

「衣装……?」

「当然でしょう。アリア様のエスコート役が、そんな薄汚いポーター服でどうしますか」

マーガレットさんがパチンと指を鳴らすと、カーテンで仕切られていた部屋の奥が開いた。

「カイト、待たせたわね」

そこには、試着を終えたアリア様が立っていた。

「っ……!」

僕は、呼吸を忘れた。

普段の清楚な法衣姿ではない。

「星降る夜会」のために新調された、夜空のようなディープブルーのイブニングドレス。

肩と背中が大胆に開いており、白磁のような肌が惜しげもなく晒されている。

胸元も、コルセットによって強調された谷間が、深い青色の布地との対比で眩しいほどに白い。

スカートのスリットからは、歩くたびに長い脚が見え隠れする。

清楚なのに、艶やか。

聖女でありながら、魔性の女。

「……どう? カイト」

アリア様が、少し恥ずかしそうに頬を染めて、スカートの裾を摘んで見せた。

「あなたのために……少し、背伸びしてみたのだけど」

「……似合いすぎです。目のやり場に困ります」

「ふふ。目は逸らしちゃダメよ? 守護騎士なら、主人のすべてを見守らなくちゃ」

アリア様は僕に歩み寄ると、そっと手を取った。

「さあ、カイト。今度は私と踊って?」

「えっ? い、いや、僕はまだ汗だくで……」

「構わないわ。……本番の予行演習(リハーサル)よ」

アリア様の強引なリードで、僕たちは踊り始めた。

音楽はない。衣擦れの音と、互いの吐息だけが響く。

密着する身体。

ドレスの薄い布地越しに伝わる、アリア様の体温と柔らかさ。

背中に回した僕の手が、露わになった彼女の素肌に触れるたび、指先が痺れるようだ。

「……カイト」

アリア様が、僕を見上げて囁く。

「夜会には、他国の王子や貴族もたくさん来るわ。私、きっと色々な人にダンスを申し込まれる」

「……そうでしょうね。アリア様は美しいですから」

「嫉妬、してくれないの?」

アリア様が、少し拗ねたように唇を尖らせる。

「……僕の役目は、アリア様を無事にエスコートすることですから」

「堅物」

アリア様は、僕の首に腕を回し、体重を預けてきた。

「でも、安心して。私は誰に誘われても、カイト以外とは踊らない」

「え? それは外交的にまずいんじゃ……」

「いいの。だってこのドレスは……」

アリア様は、僕の耳元に唇を寄せ、甘い毒のような言葉を吐いた。

「あなたを誘惑するための『勝負服』なんだから……♡」

その瞬間、僕はステップを踏み外しそうになった。

(【体勢制御】発動! 危なかった!)

「あら? 珍しいミスね」

アリア様が楽しそうに笑う。

その時、部屋の空気が変わった。

マーガレットさんが、一枚の羊皮紙を持って戻ってきたのだ。その表情は、いつになく険しい。

「……お楽しみのところ失礼します、アリア様」

「何? マーガレット」

「夜会の出席者名簿(リスト)が届きました。……厄介な名前があります」

マーガレットさんが読み上げた名前は、僕たちの甘い空気を一瞬で凍らせた。

「ガルド帝国、第一皇子。レオハルト・フォン・ガルド」

「……レオハルト?」

アリア様の顔から笑みが消え、嫌悪感が滲み出る。

「あ好色皇子(エロ皇子)……来るの?」

「はい。しかも、事前に『聖女アリアを我が国の妃に迎えるため、直々に口説き落とす』と公言しているそうです」

「……最悪」

僕も、その名前には聞き覚えがあった。

軍事大国ガルド帝国の皇子にして、A級魔術師。そして、手に入れたい女性は権力と力ずくで自分のものにするという、噂の絶えない危険人物。

ゼノン・ダレスが可愛く見えるほどの、本物の「権力者」だ。

「カイト」

アリア様が、僕の腕をギュッと掴んだ。

その手は、少しだけ震えているように見えた。

「私を……守ってね?」

「……もちろんです」

僕は、アリア様の背中を支える手に力を込めた。

地獄の特訓も、甘いドレスの誘惑も、すべてはこの瞬間のためだったのかもしれない。

新たなライバルの出現。

僕の平穏と、アリア様の貞操を賭けた「星降る夜会」が、間もなく幕を開けようとしていた。

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