第8話 地獄の三日間と、聖女様の「特訓」

「フ、フハハハハ! 楽しみだ! 三日後が、実に楽しみだぞ、アリア様! 『無能』!」

第3演習場に、ゼノン・ダレスの高笑いが響き渡る。

彼は、僕が負け、アリア様が自分のものになる未来を確信し、取り巻きを引き連れて意気揚々と去っていった。

演習場には、僕と、アリア様と、そしてアリア様が叩き割った高級ティーカップの残骸(弁償するのは僕)だけが残された。

「……あの、アリア様」

僕は、震える声で、目の前の聖女様に話しかけた。

「な、なんで、あんな無茶な賭けを……! 僕が負けたら、アリア様が、ゼノンの……」

「言ったでしょう?」

アリア様は、僕の言葉を遮った。

夕陽を背にした彼女の横顔は、なぜか、絶対の確信に満ちていた。

「あなたは、勝つわ」

「……」

「だから、私が彼のものになることなんて、万が一にも、億が一にも、あり得ない」

(あああああ! その根拠のない信頼が! 僕の首を絞めているんですよ!)

僕は、心の底からそう叫びたかったが、声にはならなかった。

負けられない。

僕の平穏な生活のためだけなら、全力で負けを演じるところだ。

だが、僕が負ければ、アリア様がゼノンの「所有物」にされてしまう。

ダンジョンで、S級ミノタウロスから僕(のフリ)を守ってくれた彼女を、見捨てることなど、できるはずがない。

かといって、勝つわけにもいかない。

【戦闘値ゼロ】の僕が、【A級エリート】のゼノンに勝つ?

学園中、いや、国中の大騒ぎになる。

『無能を装い、聖女をたぶらかした謎の最強魔術師』

そんな最悪の二つ名がつき、王宮だの騎士団だのが僕を調査しに来るだろう。平穏な生活は、完全に終わる。

(勝っても地獄、負けても地獄……!)

僕は、完全に詰んでいた。

***

翌日。

学園は、この話題で持ちきりだった。

「聞いたか!? あの『戦闘値ゼロ』の荷物持ちカイトが、ゼノン様と決闘だって!」

「マジかよ! しかも、アリア様を賭けてるらしいぞ!」

「は? 聖女様を? なんだその不敬な賭けは!」

「いや、賭けを提案したのはゼノン様らしいが、アリア様が『カイトが勝つ』方に乗ったとかで……」

「意味が分からん! 聖女様は、あの無能に何を期待してるんだ?」

どこを歩いても、好奇と侮蔑と、ほんの少しの同情の視線が突き刺さる。

僕の「壁と一体化する作戦」は、開始早々、完全に破綻した。

そして、放課後。

僕は、なぜか、人里離れた第7演習場に引きずり出されていた。

「いいこと、カイト。決闘まであと二日しかないわ」

僕の目の前には、なぜかジャージ姿の聖女アリア様。

その手には、木剣が握られていた。

「あなたは、まだ自分の『本当の力』に目覚めていないだけよ」

「は、はあ……」

(だから、その悲劇のヒーロー設定はどこから来たんですか……)

「まずは、基礎体力からね。その辺を100周!」

「ひゃっ!?」

「その後、素振り1000回。魔力放出訓練を2時間。さあ、早く!」

アリア様の、有無を言わさぬ「特訓」が始まった。

もちろん、僕は最強だ。S級の身体能力を持つ僕にとって、100周など準備運動にもならない。

だが、そんなことを知られたら、この「特訓ごっこ」が終わってしまう。

「はあっ、はあっ……! ぜえ……! む、無理です、アリア様……! もう、3周で死にそうです……!」

僕は、完璧なまでの運動不足生徒を演じ、その場に倒れ込んだ。

「……」

アリア様は、僕を冷たく見下ろした。

(まずい、演技がバレたか……?)

「……そう」

アリア様は、なぜか、深く頷いた。

「あなたの心の傷(トラウマ)は、それほどまでに根深く、あなたの肉体を蝕んでいるのね……」

「(そっち!?)」

僕の「体力がないフリ」は、アリア様の脳内で「過去のトラウマによる肉体の衰弱」に変換されたらしい。

「なら、体力訓練は後回しよ。次は、魔力放出訓練」

アリア様は、的に向かって手をかざした。

「私に続いて。【ファイアボール】」

(よりにもよって、攻撃魔法!)

僕は、おそるおそる、的(ただの木の人形だ)に手を向けた。

「……【ファイアボール】」

僕は、全神経を集中し、魔力を「これ以上ないくらい弱く」練り上げた。

僕の手のひらに、ポンッ、と小さな音がして、火花が散った。

……消えた。

「「……」」

完璧な不発。

聖女アリア様の目の前で、僕は、ライターの着火に失敗したレベルの魔力しか見せられなかった。

「……」

アリア様は、僕の不発を、じっと見つめていた。

(ああ、終わった……。さすがに、これには失望しただろう……)

「……すごいわ、カイト」

「はい!?」

アリア様は、僕の肩を掴み、その目を興奮で輝かせていた。

「な、なにがですか!?」

「今のよ! あなた、自分の魔力を、完璧に『ゼロ』に抑え込んだわ!」

「(抑え込んだんじゃなくて、それしか出してないんです!)」

「あれほどのS級魔術を行使できるあなたが、私の前では『戦闘値ゼロ』を装うために、あそこまで完璧な魔力コントロールを……!」

アリア様は、僕の演技(のつもりだった)を、「最強の魔術師が、あえて最弱を演じている高度な技術」だと、盛大に勘違いしてくれた。

(……助かった)

「もういいわ。小手先の訓練は不要ね」

アリア様は、木剣を捨てた。

「あなたは、実戦(・・・)で全てを思い出すしかない」

「(だから、なんでそうなるんですか!)」

僕の地獄の特訓(という名の勘違いコント)は、決闘前日まで、みっちりと続いた。

***

そして、決闘当日。

僕は、自分の部屋のベッドで、死んだ魚のような目をしていた。

一睡もできなかった。

(どうする……。どうすればいいんだ……)

この三日間、僕は、アリア様の地獄の特訓(勘違い)から逃れつつ、必死に「第三の道」を探し続けた。

* 案1:負ける

→ 論外。アリア様がゼノンのものになる。

* 案2:勝つ

→ 最悪。僕の最強がバレて、平穏な生活が完全終了する。

* 案3:引き分け

→ 賭けが不成立になる? いや、ゼノンが納得するはずがない。

(勝つしかない。だが、『僕が勝った』と、誰にも知られてはいけない)

(ゼノンの『慢心』を利用するんだ)

僕は、この三日間で集めた、ゼノン・ダレスの戦闘データを脳内で再生した。

彼はA級エリート。プライドが高く、派手な大技を好む。

特に、観客が多いほど、強力な魔法を連発する傾向がある。

(ゼノンの最強の攻撃を、僕が『ギリギリで避けた』結果、その攻撃が『何か』に当たって、ゼノンが戦闘不能になる……)

(それしかない。ゼノンの攻撃を『誘導』し、自爆させる)

(『事故』に見せかけて、ゼノンを倒すんだ!)

コンコン。

「カイト、時間よ」

無情にも、部屋のドアがノックされ、アリア様の声が聞こえた。

僕は、学園指定のポーター服(戦闘服ではない)の埃を払い、立ち上がった。

学園のメインアリーナは、創立以来ではないかというほどの観客で埋め尽くされていた。

数千人の生徒、教師、さらには学園長までが、VIP席からこの「世紀の茶番劇」を見下ろしている。

「さあさあ! ついにこの時が来た! 『S級討伐の英雄』ゼノン・ダレス選手と!」

「対するは! なぜか聖女アリア様に(一方的に)推薦された男! 『戦闘値ゼロ』! カイト・シズク選手だ!」

審判の教師が、不必要に声を張り上げる。

ウオオオオオ!という地鳴りのような歓声が、ゼノンに送られる。

対する僕には、冷ややかな失笑と、「さっさと負けろ」というヤジだけが飛んできた。

アリーナの対角。

最新鋭のミスリル合金の鎧に身を包み、魔剣を構えるゼノン。

対する僕は、ただの布の服に、貸し出されたボロボロの木剣(アリア様の特訓で使ったやつだ)。

「遺言は済んだか? 『無能』」

ゼノンが、マイク(魔力増幅)を通して、アリーナ全体に響く声で僕を嘲笑する。

VIP席のアリア様が、僕を見つめている。

その瞳は、やはり、絶対の信頼に満ちていた。

(平穏な生活と、アリア様の尊厳。どっちも守るしか、ない!)

「——両者、構え!」

審判が、手を振り上げた。

「——始め!!」

決闘の開始を告げる、無情なベルが鳴り響いた。

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