靴選び
翌日。
演習用講堂の床に、いつもと違う匂いが漂っていた。
磨かれた樹脂床に、革と金属と、ほんのり油――そして、魔獣脂特有の、かすかな鉄臭さが混じっている。
その匂いに釣られて訓練生たちが顔を上げると――
「おや、にぎやかですねぇ。ようこそ、《移動補給販売班(モバイル・サプライ)》へ!」
迷彩シートを被せた軽ワゴンを改造した台車を押して、陽気な行商人風の男と、《国防省・装備運用局》の腕章を巻いた女性下士官が入ってきた。
台車の中には、濃緑の軍靴、日本製のコンバットブーツ、そして異世界製の冒険者ブーツがぎっしり詰められている。
どれも小さな《国防軍》の検査刻印と、魔素耐性を示す封印札が縫い込まれていた。
「…………自由すぎん?」
ユウの心のツッコミが喉元まで出かかった。
「一応、僕ら軍ですよね……? 支給一択じゃないんだ……」
直人も半ば本気で呟く。
「お前らは“二つの世界”を歩く予定だからな。地球規格だけじゃ足りねえ」
入口の壁にもたれ、グレイが腕を組んだまま言った。
迷彩戦闘服の袖から覗く前腕には、細かな傷跡がいくつも走っている。
「足に合うやつを選べ。――選び間違えれば死ぬがな」
生死を語る顔なのに、そのすぐ横の台車には、金具や装飾が可愛らしいブーツが並んでいる。
そのギャップが、余計にシュールだった。
「うわ、見て見て! これかわいい~!」
美月が、異世界風デザインのショートブーツを手に取る。
砂色のサンドリザード革に、銀色の魔術刻印が入った飾り紐。
冒険者ギルドの街角が似合いそうな一足だ。
「こっちはアーミールック!? やだ、ミリ女子になれる……!」
莉音は、つま先に鉄板が入った迷彩柄っぽいコンバットブーツに目を輝かせる。
「わ、私は……えっと……地味すぎないほうが……その……」
美咲は少し悩みながら、落ち着いた深緑のロングブーツを撫でていた。
膝下まで覆うそれは、魔素灼傷対策の内張りが施された“本物”仕様だ。
女子3人は、完全に“ショッピングモード”に突入していた。
(……軍なのに楽しそうでいいのか? まあ、たしかにこういう時間は、戦場じゃ絶対手に入らないけど)
ユウは棚を眺めながら、異世界の冒険者御用達らしい装飾過多のブーツも、街用を意識したミドルカットも、まとめて視界の端に追いやる。
「……まあ、普通のでいいか」
結局、標準規格のコンバットブーツに手を伸ばす。
黒染めのフルグレインレザー、深いラグソール、踝をがっちり守るパッド。
必要最小限で、丈夫で、どんな地形でも“歩ける”ことだけに特化した靴。
“冒険者になる気もないしな”と心の中でぼやきながら、箱を抱えた。
「ユウさんも、それなんですね」
鷹真が、同じ型番のブーツ箱を抱えて現れる。
サイズだけが違う、ほとんど同じ黒。
「僕もです。一番合理的に作られていると感じました。耐摩耗、耐水、魔素汚染耐性……スペックだけ見れば最適解です」
直人も端末を確認しながら、同じ結論に至っていたらしい。
「三人おそろじゃん! 三つ子コーデ!? 分隊長・副分隊長・弾除けって感じ! あ、お兄ちゃん雑魚だから弾除けにもならないか」
美月が楽しそうに笑う。
「べつに合わせたわけじゃねーよ……」
ユウは耳を掻きながら答えたが、同じ靴底の凹凸が横一列に並んでいるのを見て、心のどこかで“悪くない”と思っていた。
靴紐を締めて、講堂の通路を数歩踏みしめてみる。
重さはそこそこ。
足首はしっかり固定されて、かかとからつま先までのローリングも滑らかだ。
(これなら、昨日の行軍も……もう少しマシだったかもな)
講堂の一角では、莉音がファッションショーのように何足も履き替えていた。
「どう!? あーし似合う!? 強そう!? 可愛い!? どっち!? ねえどっち!?」
「全部言わせようとするな。戦場でセルフインタビューするつもり?」
美月がツッコミを入れながらも、角度を変えて何枚も写真を撮っている。
美咲は控えめに微笑みながら、そっと鏡の前で足踏みした。
深緑のロングブーツが、彼女の細い脚に思った以上に馴染んでいる。
ブーツの縁には、小さく治癒系の護符が縫い込まれていた。
ふと、ユウは思った。
(……なんか、修学旅行前の買い出しみたいだな)
講義の重さも、訓練所の規律も、この瞬間だけは遠い。
ただ、誰もが“自分で選んだ靴”を履き、笑いながら歩いてみて――
その光景は、ほんのわずかだが、平和というものの形に見えた。
「お前ら、選んだか?」
グレイの声が講堂に落ちる。
訓練生たちが一斉に振り返る。
その瞳には、昨日よりわずかに柔らかい光が宿っていた。
「……いい靴だ。それなら――生き延びられる可能性が、ほんの少しは上がるな」
ふざけながら選んだはずの靴が、その一言で、急に重くなる。
――ああ、これは“装備”なんだ。
遊びじゃない。生きるための選択なんだ。
ユウは新しいブーツの紐を、もう一度きつく結び直した。
足首に食い込む締め付けが、覚悟を縛り直してくれる気がした。
「よし。今日の講義はここまでだ。……死なない靴で、歩け」
《移動補給販売班》が台車を押して去る頃には、夕陽がコンバットソールの深い溝を赤く染めていた。
小さな影を引きずりながら、訓練生たちは寮へと歩き出す。
コツ、コツ、とそれぞれの靴音が、いずれ踏みしめるであろう戦場の土を、静かに予告しているようだった。
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