私も飛ぶの!?
午後の空は高く澄み、演習場の端では風がやや強かった。
訓練所の裏手、丘の上に広がる小さな離陸場。
「――では今日は、“飛びます”」
エリュナ教官が、淡い青のローブをひるがえして言った。
その声は涼やかで、どこか楽しそうだった。
「ひ、飛ぶって……飛行機で、ですよね?」
莉音が震える声で尋ねる。
「違います。あなた自身が、です」
「いやいやいや! 生身で空は無理ですって!」
莉音が全力で否定する中、鷹真が隣で腕を組んだ。
「飛べるってことは……落ちる可能性もあるんですよね」
「正確には“浮き損ねる”です」
「用語が優しいだけで怖いこと言ってますよね先生!」
ユウは半ば呆れながらも、内心わずかに胸が高鳴っていた。
(……空。世界を“見下ろす”感覚って、どんなだろう)
「では説明しますね。
そう言ってエリュナが手を叩くと、訓練生の前に箒がずらりと並んだ。
木製だが、柄の部分には銀の魔導環がはめ込まれている。
「箒って……まさか本当に跨るんですか?」
美月が目を丸くする。
「ええ。飛びやすい角度と姿勢は長年の研究成果です」
「研究……どんな分野なんだろう……」
まずは模範。
エリュナが箒に跨り「エゴ・イン・カエロ」と唱えると、風が彼女の足元を持ち上げ、ふわりと宙に浮いた。
ローブが波打ち、髪が陽光を受けて金色に光る。
「――この状態を“浮遊安定”と呼びます。風を感じて、逆らわないでください。では、皆さんも」
最初に飛んだのは美咲。
慎重に箒をまたぎ、深呼吸して呟く。
「エゴ・イン・カエロ……」
ふわりと浮く。実に穏やかで、安定している。
まるで風と対話しているようだった。
「す、すごい、美咲さん! ほんとに飛んでる!」
「すこし高い……けど、気持ちいいです」
彼女の髪が風に流れ、太陽光を受けてきらめく。
次は鷹真。
「……やるしかないか。エゴ・イン・カエロ!」
風が巻き起こり、彼の体が一瞬浮いたが――
ドンッ! 地面に激突。
「……質量が、重いのかもしれません」
「違います、制御です。……でも食堂のカレーを減らしましょう」
「ぐっ……!」
莉音が気合を入れて構える。
「よーし、私もやったる! エゴ・イン・カエロ!」
風が爆発的に巻き上がり、彼女はロケットのように垂直上昇する。
「ぎゃああああ!? ちょ、止まんない止まんない!!」
「莉音さん!! 高度制限、忘れてます!」
エリュナが即座に追いかけて、上空でふわりと回収。
「……見事な推力です。方向性を除けば」
「除けばって言いました!?!?」
直人は眼鏡を直して冷静に観察していた。
「風圧制御……なるほど、ベクトル演算ですね。エゴ・イン・カエロ・ベクター!」
彼の足元に数式のような魔法陣が展開し、見事に浮いた。
が――数秒後、風の流れを計算しすぎて逆噴射。
すとん、と落ちる。
「計算誤差が……0.2秒……」
「それ人間でやることじゃないです!」
美月は箒を掴んだまま、じっと空を見上げた。
「……怖いけど、行く!」
「エゴ・イン・カエロ!」
ふわり。
その瞬間、風が彼女のツインテールを持ち上げた。
少しふらつきながらも、地上二メートルで静止。
「すごい、美月ちゃん安定してる!」
「ふふん、これでも兄妹で一番バランス感覚いいんだから!」
が、その直後――
真っ逆さまに。
「うわあああ!?」
ユウが慌てて受け止めた。
「ちょっと重くなったか?」
「はぁ!? デリカシーないんだけど!」
最後にユウ。
箒に手を置き、ゆっくりと息を吐く。
(火は変化、水は維持、風は――自由だ)
掌に風の感触が集まり、体を包む。
箒がふわりと浮き、風が全身を支える。
そのまま、穏やかに空中を滑った。
下で見上げる皆の顔が、小さく見える。
(……これが、空の感覚か)
エリュナが目を細めて微笑む。
「重力と仲良くできたら、あなたはもう一人前です」
訓練が終わるころ、全員どこかへろへろになっていた。
鷹真は筋肉痛、美咲は風酔い、直人は計算過多、莉音は軽度の高所恐怖症。
そして、美月は兄への八つ当たりモード。
「兄ちゃん、今度の補講、絶対付き合ってよ!」
「なんで俺が……」
「兄妹割だよ!」
「そんな制度ねぇ!」
エリュナが肩をすくめる。
「飛ぶより、落ちてから笑える人のほうが、強いですよ」
風が吹き抜ける。
空は遠く、でも確かにそこにあった。
誰もが少しだけ、“高く”なった気がした。
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