第4話 順番
朝、目を覚ましたペルシュの視界に、見慣れぬ光景が広がっていた。姉のミルシュカの周りを、いくつかの精霊がくるくると舞っている。
「えっ……!?」
寝ぼけた目が一気に覚める。たくさんの精霊が迎えにくるのは――順番。
その時が、ミルシュカに訪れたのだ。
「おめでとう、ミルシュカ!」
父と母と兄のアーチも、ペルシュと同じように言った。
「相手は誰だろう」
「早く外に出てみようよ!」
アーチとペルシュで、ミルシュカを追い立てるように外に出た。西地区の広場には誰もいなかった。
「この辺りの人じゃないんだ」
向こうにも精霊が来ているから、絶対に同じように騒ぎになっているはずだ。するとミルシュカは「こっちにいる気がする」と、東の方へ歩いて行った。
東地区の広場にはちょっとした人だかりが出来ていた。
「間違いないぞ」
アーチは言った。
誰かがミルシュカに気が付いて、「相手が来たぞ!」と叫んだ。その声を聞いて人が避けた先に、ミルシュカと同じくらいの背丈の青年が精霊を連れていた。
「ゲイノー?」
「ミルシュカ!久しぶりだね」
二人の顔がぱっと明るくなる。ミルシュカは嬉しそうに、ゲイノーも少し照れくさそうに微笑む。
広場に集まった人々の「おめでとう!」という声が二人を包む。みんなが幸せそうなので、ペルシュもますます嬉しくなった。
「やあ、やあ、こんにちは」
赤い服の人が広場にやって来た。みんながざわめき、「アイピレイス様だ」と声をあげる。
「うーん、結婚が決まったようだね。ミルシュカ、ゲイノー。おめでとう」
「ありがとうございます、アイピレイス様」
「家はどこに住みたいかね? 食事までに決めてしまおう」
「ミルシュカたちは忙しそうだ。僕たちはもう帰ろう」
アーチに促され、ペルシュは自分の地区に戻った。ミルシュカはもう家には帰ってこないけれど、いつでも会える。どこに住むかは、明日にはわかる。
アーチは途中でペルシュと別れ、南の地区にいるサンナの所へ向かった。兄は「結婚したい相手なんだ」とペルシュに打ち明けた。
「一緒にいることが多いと、選ばれやすいんだ。精霊に、一番仲が良いって思われないと」
アーチは張り切って出かけて行った。
(アーチもそのうち、家にいなくなっちゃうんだなあ……)
ペルシュは一人、西地区の広場に戻ってきた。両親が出て来ていて、大人たちがミルシュカが結婚したことを話し合っている。
「おい、ペルシュ!」
他の子どもたちと遊んでいたレニスが、ペルシュを見つけて呼び止めた。
「昨日もその前も、どこに行ってたんだ?」
偉そうな態度で言うので、ペルシュは苛ついた。
「別に、どこだっていいじゃないか」
宮殿と林の奥のことは、二人だけの秘密だ。冒険で知ったことは、冒険をバカにしない者同士だけのもの。ミルシュカやアーチにも話さなかったし、レニスは親に言ったりするから、絶対に絶対に教えない。
「ルディとばかり遊ぶ、変な奴!」
レニスは声を張り、ペルシュに迫った。
「変じゃないよ。レニスといるより、ずっと面白いもんね!」
ペルシュも負けじと言い返す。レニスは顔をしかめて言い放つ。
「…っ!じゃあお前もルディになりたいのかよ、バーカ!」
「そんなわけないじゃん、レニスのバーカ!」
ペルシュも鼻をくしゃくしゃにして、歯を剥き出した。
▪︎
(…また家を聞くのを忘れた。それか、教えておけば良かったんだ)
トゥヴァリは、西の林にペルシュが来なかったので、広場を通りかかった。子どもたちが騒いでいる声が遠くから聞こえ、そっと様子をうかがいながら歩く。すると、聞き覚えのある声が混じっていることに気づいた。
「じゃあ親なしと、どこに行ってたんだよ!」
「トゥヴァリにはちゃんと名前がある!」
ペルシュが、前に自分をからかった子どもに組みかかったので、トゥヴァリは慌てて止めに入った。ペルシュが怪我をするのが嫌だと思ったからだ。
しかし、思ったよりもペルシュの力は強く、きっと興奮してトゥヴァリだと気づかれないままに、突き飛ばされてしまった。
食事用の石のテーブルに、鈍く重たい音を立てる。
「痛ってぇ…っ!」
ズキンズキンと頭が響く。目の前がチカチカした。眉間に皺を寄せ、トゥヴァリは石畳に転がった。子どもたちは一瞬動きを止め、ざわつきながら互いに顔を見合わせ、後ずさる。
「俺は悪くないぞ、ペルシュがやったんだからな!」
レニスは走って逃げて行った。
▪︎
「トゥヴァリ! ごめん、大丈夫!?」
鳶色の髪が目に入り、ペルシュは我に返った。駆け寄り抱き起こそうとする。トゥヴァリの手が押さえている部分に、大きな瘤が出来ている。
そのとき、子どもたちの輪に、すっと入り込んだ黒く艶めく毛並み――ペルシュの心臓が瞬間的に跳ねた。壁の外の林にいたあの動物を思い出したのだ。
しかし、次に視界に入ったのは金色に光る髪。その間から赤い唇がのぞく。
「抱き起こしてはだめよ」
そっとペルシュの横に跪いたその女性は、黒い毛並みの服の開いた胸元から、花のような香りを漂わせた。
「寝かせたままで。氷はある?」
「コオリって、何ですか?」
「……ああ、そんな必要ないんだったわ。私って……ふふっバカね」
彼女は自嘲し、立ち上がった。黒い服の長い裾が細い脚にまとわりついている。足には見慣れないものが嵌められていた――靴の一種だろうか。
「あ、あの」
ペルシュが声をかけるが、女性は振り返らない。
(なんて美しい後ろ姿なんだろう)
揺れる金色の髪を見つめながら、ペルシュの胸はどこか落ち着かない鼓動を刻んでいた。
精霊が慌てたように飛んできて、トゥヴァリの周りを回る。大きな瘤が消えて、痛みに歪めていた顔の力が抜けていく。
「あれっ、あの女の人は?」
もう辺りにはいない。
「トゥヴァリ、ごめんね。大丈夫?」
「ああ……」
「そういえば、どうしてトゥヴァリがここにいるの?」
「……通りがかっただけだ」
トゥヴァリは、元気が無かった。ペルシュも、冒険に行こう、という気分ではない。
「じゃあさ、トゥヴァリの家に行きたいな!」
と、口に出してから気がついた。嫌われてしまうかと心配したが、意外にもトゥヴァリはふっと笑って。
「良いぜ。そうしよう」
と言ったので、ペルシュは一瞬目を丸くして驚いた。
▪︎
ハーヴァは宮殿に戻ると、誰にともなく言った。
「子どもたちが騒いでいたから、つい昔の癖が出てしまったわ。何が起きても、精霊がいれば、何も問題はないのに!」
その声には、苛立ちと虚しさが混じっていた。自分の声だけが宮殿に反響するのを、どこか満足げに聞いて――
「ね?」
と、今度はちょうどそこにいたルヨに向かって言った。
「ねえ、私の子どもの名前ってどういうのだったかしら」
「今いるのはトゥヴァリだよ。百二十二番目の」
「やっぱり。あのペルシュっていう子に、お仕置きでもすれば良かったかしら」
「ふーん。どうして?」
「私の息子を傷つけたんですもの。もしかしたら死んでいたかもしれない、危険な怪我だったのよ?」
「そう。それは問題があるね」
ルヨの淡白な解答に、ハーヴァは肩を竦める。
「ルヨって冷たいわねぇ。長く生きすぎて人間の心を忘れてしまったの?」
「君が母親の感情を思い出すなんて、久しぶりだね」
ルヨはハーヴァの仕草を真似て、肩を竦めて見せた。
ハーヴァはふん、と服を翻し、ハイヒールの音を響かせて自分の部屋に戻った。
▪︎
北地区の外れにあるトゥヴァリの家も、ほかの家と同じく木の屋根に土壁。木の扉には黒い金具の取っ手が付いている。
けれど、中は少し違っていた。
ペルシュの家は、白い壁の部屋に丸い木のテーブルと五脚の椅子があり、手を洗う水道と洗い場、それに小さなトイレもある。寝室にはベッドが五つ並んでいた。
一方、トゥヴァリの家には大きな四角いテーブルが据えられ、椅子がずらりと並び、ベッドの数も十を超えていた。
「ほかにも誰かいる?」
「いない。昔はもう一人いたけど、今は俺ひとりだ」
ひとりで暮らすには、あまりに広すぎる家。ルディの子が、この部屋を埋めていたこともあったのだろうか――ペルシュはそう思った。
「うちも今日、ミルシュカが結婚して出て行ったんだ。しばらくしたらアーチもいなくなる」
「でも親がいるだろ」
「まあね。でも今までみたいに楽しくはないよ」
ペルシュは空いた椅子のひとつに腰を下ろした。天井を見上げると、精霊の光がひとつ、ふわふわと漂っている。それをぼんやりと眺めていると、トゥヴァリが口を開いた。
「さっき、何を言い争ってたんだよ」
ペルシュはため息をつく。
「冒険のことを聞いてくるからさ。しつこいんだよ、あいつ……。冒険のことは秘密に決まってるじゃん! ね?」
ところがトゥヴァリは驚いたようだった。
「お前、誰かに話したんだと思ってた。だってさ……話す相手がいるだろ」
「トゥヴァリは、僕のことおしゃべりだと思ってるの?」
「ペルシュはおしゃべりだよ」
「そんなことないよ!」
「あはは、そうだな。お前があんなに喧嘩に強いとも思わなかったし、そんなにおしゃべりでもなかった」
トゥヴァリは声を立てて笑う。
ペルシュは拍子抜けして、膨らませていた頬の空気を抜いた。こんな時、兄ならもっとしつこくからかってくるだろうし、レニスだったら嫌味を言うに違いない。ミルシュカなら、ペルシュの悪いところを指を折って数えてる。
「……まあね」
何だか気恥ずかしくなって、ペルシュはトゥヴァリから目を逸らした。
逸らした視線の先に、ふとあるものが目に留まった。壁際の棚に、燻んだ色の背表紙がずらりと並んでいる。
「……本だ!」
ペルシュは机を叩き、勢いよく立ち上がった。あまりの大声にトゥヴァリは肩をすくめる。
「ねえ、見て! 本があるよ!」
「ああ、前から置いてある。でも古いんだ」
言うそばからペルシュは棚へ駆け寄り、埃を勢いよく吹き払った。舞い上がった塵が光を受け、細かな粒となって空中に漂う。トゥヴァリは咳き込む。
「トゥヴァリ、読んだことないの?」
「少しはある。でも、アイピレイス様が持ってきてくれる本の方が面白かったから」
「見てもいい?」
「いいよ」
ペルシュは濃い緑色の表紙の一冊を引き抜き、胸を躍らせてテーブルの上に置いた。そっと開くと、トゥヴァリも肩越しに覗き込む。
「え……」
本には何も書かれていなかった。
めくってもめくっても、壊れそうな音を立てるばかりで、白い頁が続いている。
「何にも書いてない」
「これは、書くための本だ」
トゥヴァリの言葉に、ペルシュは目を輝かせる。
「えっ、書くって……僕たちが?」
「ああ。書きたければ、誰でも。アイピレイス様がそう言ってた」
二人は顔を見合わせ、同時に声を上げた。
「「冒険のことを書こう!」」
しかし、すぐに重大な壁に突き当たる。本を読むことはできても、どうやって書くのかを知らなかったのだ。
「アイピレイス様に聞いてみよう」
「そうだな。書ければ、もう忘れなくて済む」
「じゃあ、もっと冒険に行こう!」
「次はどこに?」
「生まれたばかりの子がいる場所を見に行きたいんだ。町の真ん中の建物だよ」
二人は興奮気味に、次々と行きたい場所ややりたいことを語り合った。字を書く方法を知ること。東の畑を見に行くことや、人が生まれる場所を見に行くこと。ルディがどこから来たのかを調べること……。
時間はあっという間に過ぎ、夕食時になったので、明日の約束をして二人は別れた。
朝に喧嘩したレニスやその仲間たちも、いつも通り、西の広場に一緒に集まる。
ペルシュは野菜を口に運びながら、トゥヴァリと畑を見に行く約束を思い浮かべ、くすりと笑った。ミルシュカはいないけど、アーチがからかってくる。ほんの少しだけ、変わった日常。
いつものように、食事を平らげた。
何だか顔の横が明るいな、と。最初はそう思っただけだった。レニスが「あっ!」と声を上げるのと、ペルシュが明るさの正体に気づいたのは、ほぼ同時だった。
ペルシュの側に居る精霊が、ぼんやりと赤い光を放っていた。
周囲は騒然となり、人々は思わずペルシュから距離を取った。赤い精霊がこれほど若い人間、子どもに付くのを、誰も見たことがない。順番は、四十歳を過ぎた頃にしか訪れない。
昔から、そういうものだと語り継がれていた。
ペルシュは呆然とするばかりだ。
母はふらふらと近づき、ペルシュを抱きしめて叫んだ。
「間違いでしょ? この子はまだ子どもなのに!」
アーチは、精霊が間違っているに違いないと思った。
「たぶん、ペルシュは死なないよ。そうだろ?」
レニスは怒りに任せて言った。
「あのルディなんかと付き合うから、こんなことになったんだ!」
ペルシュは反論しようとした。
でも、そんなことはどうでもいいように思えた。頭に浮かぶのは、林で倒れて動かなくなったあの動物の姿だった。
(あんな風に動けなくなってしまうのかな。考えることはどうなるんだろう。
体はきっと壁の外に運ばれて、あの動物が食べるんだろうな。
ーーもう、トゥヴァリとは遊べないのかな……)
誰も、ペルシュも、挨拶も握手もしなかった。
ジェニマスのように「みんな、ありがとう。さようなら」と言わなければならないのだろうと思った。
でも、ペルシュには信じられなかった。
本当に、自分が死んでしまうなんて。
細い月が高く昇っても、人々は家に帰らなかった。
広場の真ん中で、ペルシュの体は赤く輝き、
ぱったりと倒れ、二度と動くことはなかった。
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