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第29話 完璧な企画書を書いてきた
部室では、秋に向けた新しい部誌の企画会議が始まろうとしていた。
「えーっと、じゃあ、始めますか」
俺は、編集長として、なんとなく会議の進行役が定位置になりつつあり、長机の上座の席についた。
俺がカバンからノートを取り出す、まさにその瞬間。 スッ、と影が差し、俺の右隣の席に、黒江先輩がカバンを置いた。 あまりに当然のような、流れるような動きだった。
「編集長の隣は、書記が座るのが最も『合理的』だ」
俺が何か言う前に、彼女は宣告した。
「議事録作成と意見具申を同時に行うためだ」
「あ、はい。お疲れ様です」
……反論の余地が、ない。
だが、その直後。 俺の左側から、おずおずとした気配がした。
「……あ、編集長さん……」
見ると、津島先輩が立っていた。 前なら、絶対にこんな激戦区には近づかなかったはずの彼女が明らかに積極的な動きで、俺の左隣の席を確保しようと試みている。
「……これ……会議の、資料……」
彼女は、そう言って、ペットボトルのお茶と、なぜか小袋に入ったお菓子(を、そっと俺の机に置いた。
(……資料、これ!?)
「あ、すみません、ありがとうございます!」
俺がそれを受け取ると、津島先輩は任務完了、とばかりに嬉しそうに、俺の左隣の席にちょこんと腰を下ろした。
結果。 俺は、右に『合理的』な黒江先輩、左に『ネガティブ』な津島先輩、という、謎の布陣にガッチリと挟まれる形で、会議をスタートする羽目になった。
「フン……」
「やれやれ」
向かいの席に座った楯野先輩と風見先輩が、この席順を、面白そうにニヤニヤしながら眺めている。
……会議、始まる前から胃が痛い。
「……では、企画会議を始める。まずは僕の案だ」
書記のはずの彼女が、完全に会議を仕切り始めている。 彼女は、手元の企画書に目を落とした……かと思いきや、その視線はなぜかじっと俺の顔に向けられていた。
「当然、『合理的思考』をテーマにした評論集だ」
彼女は、高らかに宣言する。
「前回の図書館での『藪の中』論争を発展させ、軽井沢くんにも――」
ここで、彼女はわざとらしく俺の名前を呼んだ。
「――僕との議論の成果として、論評を書いてもらう」
(げっ!? 俺も書くのかよ!?)
俺が、その『合理的』な無茶振りに内心焦っていると、左隣から、か細い声が上がった。
「……あの……私も、案、ある……」
津島先輩だった。 彼女が自ら企画を提案するなんて、初めてじゃないだろうか。 俺と黒江先輩と、向かいの二人の視線が、一斉に彼女に集まる。
彼女は、ビクッと肩を震わせたが、俺の顔を上目遣いで伺うように見つめながら、小さな声で続けた。
「……『生きる』ことの……苦しさ、とか……」
「……」
「……でも、その中の、『救い』……とか……そういうの、どう、かな……」
黒江先輩は、俺に向けたはずの『合理的』な企画を、津島先輩の『非合理』な企画で妨害された形だ。
黒江先輩が、冷たい視線で津島先輩を睨む。 津島先輩は、その視線に怯えながらも、俺に「どうかな……?」と視線で訴えかけてくる。
二人が、お互いの企画、というより、俺にどっちのテーマを選ばせるかを巡って、バチバチと火花を散らす。
……重い。
その重苦しい空気を、向かいの席からの呆れたような一喝が切り裂いた。
「どちらも『情熱』が足りん!」
楯野先輩が、腕を組んで二人の企画をまとめて一蹴した。
「『合理的分析』だの『苦悩』だの、机上の空論ばかりでは『美』は生まれん! 『行動』が伴わん!」
これで、会議は完全に停滞した。 黒江先輩は楯野先輩の『非合理』な一喝にイラッとして黙り込み、津島先輩は「ごめんなさい……」と俯いてしまった。
……どうすんだよ、これ。 俺が、編集長として頭を抱えかけた、その時。
「やれやれ」
静かな声がした。 ずっとこの争いを傍観していたはずの、風見先輩だった。 彼は、珍しく自ら一枚の企画書を差し出した。
「完璧な企画書を書いてきた」
彼が、肩にかけたショルダーバッグからそのルーズリーフを取り出す。 その瞬間、俺は気づいてしまった。 彼の黒いポロシャツの肩に、数本の、見慣れない「白い毛」がついている。
(……猫か?この人、動物とか飼ってたのか?)
俺のわずかな疑問をよそに、風見先輩は、その企画書をテーブルの中央に滑らせた。
「これなら、全員のスパゲッティが、うまく茹で上がるはずだ」
なんだそりゃ、と企画書を覗き込むと、そこには、まさに『完璧』な仲裁案が書かれていた。 それは、全員の文体と性格(黒江の分析癖、津島の暗さ、楯野の情熱)を完璧に把握し、それらを(見事に皮肉っぽく)活かしたテーマだった。
タイトル:『文芸部版・藪の中 ~それぞれの『真実』(テーマ:体育祭)』
楯野先輩: 「『情熱と美』の視点から(なぜ私は2位だったのか)」
黒江先輩: 「『合理と責務』の視点から(玉入れの最適解)」
津島先輩: 「『苦悩と救済』の視点から(リレーの心理的考察)」
風見先輩: 「『ハードボイルドな傍観』の視点から(なぜ彼らは走るのか)」
俺: 「『編集長の胃痛』の視点から(なぜこうなったのか)」
「「「……」」」
部室が、一瞬、静まり返った。 そして、全員が「……これしかない」と納得した。 黒江先輩も津島先輩も、これ以上自分の案に固執する理由を失った。
風見先輩の一刺しによって、部室の重い空気は一時的に解消されたのだった。
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