第4話:2048NASA の裏切り

——2048年。

 空の青さが、少しだけ濁り始めた年。


 Vanguard 本社。

 火星計画第 3 段階の設計レビューが終わり、

 若いエンジニアたちが疲れ切った顔で廊下を歩いていく。


「今日も徹夜確定……」

「帰ったら死ぬように寝るわ……」

「火星どころか、俺らが火星みたいに乾いてきた……」


 彼らの前を、ひとりの男が平然と歩いていく。


 エロン・マヴロス。

 58歳。


 その顔は、いつものように

 “未来を急かす男”そのものだった。


 だが、この日の彼は

 珍しく眉間に深い皺を寄せていた。


「……おかしいな。」


 彼は、会議室で受け取った資料を見つめている。

 NASA から送られてきた、

 “共同宇宙監視網のアップデート提案書”。


 文面は淡々としている。


——政府の安全保障上、

——Vanguard の Starlink 衛星網は、

——連邦宇宙監視網(TFD-OS)と統合予定。

——順次、モニタリング権限を政府側に移管。


「……統合、ね。」


 言葉の裏に潜む“気配”は、

 技術者である彼の目にだけは明確だった。


 それは——

 “自由な宇宙”の終わりの兆候。


◇◇


NASA 職員との会談


 翌日。

 シリコンバレーにある Vanguard 研究棟に、

 NASA の代表団が姿を現した。


 元々は友好的な関係だった。

 ロケットの共同研究。

 有人宇宙飛行の連携。

 科学者同士の尊敬。


 だが今日の空気は、明らかに違った。


「エロン。我々は“時代のフェーズ”が変わったと判断している。」


「フェーズ?」


「地球圏の安全保障は、

 もはや民間企業の意思に任せられる段階ではない。」


「……民間企業“だけ”で宇宙を支えてきたのはどこだった?」


「その時代は終わった。」


 NASA の男は、ためらいもなく言った。


「——我々は TFD(大陸連邦)と連携する。」


 室内の空気が凍る。


「……連邦と?」


「宇宙監視網、AI 軌道分析、衛星防衛。

 すべて国家の直轄に置くべきだ。」


 エンジニアの一人が思わず口を挟む。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……

 まさか Starlink の運用権まで——」


「移管する。」


 NASA の代表は静かに頷いた。


「今後、Netlink は TFD-OS の“サブネット”となる。

 あなたの会社の意思決定権は——ない。」


 会議室に静寂が落ちた。


 そして——

 笑ったのは、ただ一人。


 エロンだった。


「……はは、なるほど。」


 彼の笑いは、どこか乾いていた。


「宇宙を“監視”下に置きたいわけだ。」


「必要だ。」


「必要なのは“監視”じゃない。

 ——自由だ。」


「時代遅れの理想論だ。」


「いや、理想じゃなくて前提だ。

 自由のない宇宙は、“牢獄”だよ。」


 NASA の男は 嘆息 をつく。


「エロン。

 あなたの考えは、あまりにも危険だ。」


「危険なのは、“支配する側”だろ。」


 その瞬間、

 NASA 側の職員たちの表情が微かに強張った。


 連邦が既に“内部”に浸透している証拠だった。


◇◇


夜、Vanguard 私室


 その日の深夜。

 全員が帰り、研究棟は静まり返っていた。


 エロンは一人、

 薄暗い部屋で火星基地のシミュレーションを眺めていた。


「……ついに来たか。」


 彼は薄く笑った。


「地球が“自由を手放す日”が。」


 モニターの横に置かれた端末が震える。

 通知はひとつ。

 GABERIAL LORRIS(ガブリエル・ロリス)からの暗号化メッセージだ。


 彼はメッセージを開く。


——噂は聞いた。

——NASA がそっちに寝返ったらしいな。

——気をつけろ。時代が変わる時は、いつも何かを奪っていく。


「……お前も気づいてるか。」


 エロンは静かに笑う。


——ところで聞きたい。

——君の Netlink、連邦の網に繋げる気は?


 エロンは

 まるで即答のような速度で返信した。


——NO

——絶対に繋がない。


 数分後、返事が来た。


——そうか。

——なら、俺たちは“同じ側”だ。


 短いメッセージ。

 だが胸に刺さる重さがあった。


「……同じ側、ね。」


 エロンの目に、奇妙な光が宿る。


 競争相手。

  価値観は似てるが手段は正反対。

  だが——どこかで通じ合っている。


 ガブリエル・ロリスは、

 まぎれもなく、“自分と同じ匂い”の男だった。


◇◇


宇宙の安全保障化(監視宇宙の誕生)


 2048 年の年末、

 ついに正式な発表が行われた。


《NASA、OTOとの宇宙条約に署名》

《民間衛星網の統合へ》

《宇宙は“国家安全保障”の時代へ》


 世界中で議論が噴き上がる。


「これって……宇宙の独占じゃ?」

「自由な宇宙が終わるのか?」

「いや、必要な措置だ。敵対勢力も増えている。」


 賛否が渦巻く中、

 記者たちがエロンに押し寄せる。


「マヴロス氏!!

 あなたは統合に反対と聞きましたが!?」


「もちろん反対だ。」


「理由は!?」


 彼は、迷いなく答えた。


「宇宙を“国”が握った瞬間——

 そこはもう宇宙じゃない。

 ただの支配領域だ。」


「では、あなたはどうするつもりです?」


 エロンは少しだけ、悪戯っぽく笑った。


「俺の宇宙を、守る。」


 記者がざわつく。


「何を言っているんですか!?」


「言葉通りだよ。」


 彼は続けた。


「Netlink は、誰のものでもない。

 人類のためのネットワークだ。

 ——連邦に渡す気は、ない。」


 この宣言は、

 後に世界を二分する“戦争”の序章となる。


 この日から、

 空は青さを失いはじめ、

 宇宙は“監視の時代”へと変貌した。


 だが、ひとりだけ

 その青さの変化を恐れず、むしろ面白がっていた男がいた。


 エロン・マヴロス。

 加速者。

 危険人物。

 そして——


 “地球を出る準備を始めた男”。

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