第4話
「は? 降伏……だと?」
俺は、ボルグの報告をすぐには理解できなかった。
執務室になだれ込んできた兵士たちは、皆、興奮で顔を赤くしている。
「はっ! たった今、ハイランド砦の正門に、白旗を掲げた使者が!」
「やりましたな、ヴァイス参謀!」
「戦わずに勝った! これぞ、参謀殿の兵法!」
「死者ゼロだ! 俺たち、死なずに砦を取ったぞ!」
部下たちの歓声が、俺の頭にガンガン響く。
……まずい。
非常に、まずい。
「参謀? いかがされましたか? お顔の色が優れませんが……」
ボルグが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「……いや。なんでもない」
顔色も悪くなる。
魔王ゼノンに呼び出されている、この最悪のタイミングで。
「死者ゼロでの砦攻略」という、前代未聞の「戦果」を上げてしまった。
ただでさえ、「残業禁止」や「有給休暇」という謎の施策について、魔王直々に尋問(たぶん)されるというのに。
こんな派手な手柄までセットになったら、言い訳のしようがない。
「冷酷非道な策略家」「全てを計算し尽くした魔王の懐刀」。
そんな勘違いが、魔王軍のトップにまで広まってしまう。
俺の、定時退社ライフが、遠のいていく。
「ああ……胃が痛い……」
「参謀? やはり、どこか……」
「なんでもない! それより、ボルグ!」
俺は、キリキリ痛む胃袋を意識の外に追いやり、指示を出す。
今は、目の前の業務(タスク)を片付けるのが先だ。
「降伏の使者を、こちらへ通せ。丁重に、だ」
「はっ! ちょ、丁重、ですか?」
「当たり前だ。使者だぞ。それに、相手はもう戦意を喪失している。無用な威圧は非効率だ」
(面倒な恨みを買って、後で復讐騒ぎを起こされても困る)
「は、ははっ! さすがはヴァイス参謀! 敵の心すらもてあそぶおつもりか!」
ボルグが、また盛大に勘違いしながら敬礼し、部屋を飛び出していった。
……もう、訂正する気力も湧かない。
俺はため息をつき、執務室の椅子に深く座り直した。
すぐに、兵士に連れられて、一人の人間が部屋に入ってきた。
歳の頃は四十代だろうか。
立派な髭を蓄えた、いかにも騎士、といった風貌の男だ。
だが、その顔は恐怖で真っ青だった。
鎧はところどころ壊れ、酷く消耗しているのが見て取れる。
「……私が、第三軍団参謀、ヴァイスだ」
俺が名乗ると、男はビクッと体を震わせた。
そして、覚悟を決めたように、床に膝をついた。
「わ、私は、ハイランド砦騎士団長、レイモンドと申す! こ、降伏する! 砦の兵士たちの命だけは……命だけは、お助け願いたい!」
男は、床に額をこすりつけて懇願してきた。
その姿は、一週間前の俺たちからは想像もつかないものだ。
「……顔を上げろ、騎士団長」
「は、はい……」
レイモンドは、震えながら顔を上げた。
その目には、俺が「冷血非道」と噂される魔族の幹部であることへの、明らかな恐怖が浮かんでいる。
「降伏は認める。だが、条件がある」
「の、飲みます! どのような条件でも!」
「まず、砦の全部隊は、即刻武装を解除すること」
「はっ!」
「次に、砦内に存在する全ての物資を、こちらに引き渡すこと。食料、武器、資材、全てだ」
「そ、それも……承知いたしました……」
「最後に、砦の兵士全員を、我々の捕虜とする」
その瞬間、レイモンドの顔が絶望に染まった。
「……っ! ほ、捕虜……。やはり、我々は……皆殺しに……」
「勘違いするな」
俺は、男の言葉を遮った。
「殺しはしない。命は保障する」
「……え?」
レイモンドが、信じられないという顔で俺を見た。
「き、聞き間違いでは……? い、命は……保障、すると……?」
「そうだ。言ったはずだ。ただし、捕虜として、我々の管理下に入ってもらう」
「な、なぜ……? 我々は、あなた方の敵……」
「非効率だからだ」
俺は、前世で培った「常識」を口にした。
「抵抗する意思のない者を殺すのは、ただの労力の無駄だ。それに、お前たちには、まだ使い道がある」
「つ、使い道……?」
「そうだ。捕虜は、重要な『労働力(リソース)』だ。この砦の修復、物資の運搬、やることは山ほどある」
(死体の処理より、生きた人間を管理する方が、遥かに事務処理が楽だ)
俺は、ただそれだけのつもりで言った。
だが、レイmondoの目には、恐怖とは別の色が浮かび始めていた。
「ろ、労働力……。我々を、生かしたまま……利用すると……」
「ああ。だから、無駄な抵抗は考えるな。抵抗すれば、その時は容赦しない。だが、従順であれば、最低限の衣食住は保障する」
前世の、派遣社員の管理と大差ない。
「……なんと……。なんと、恐ろしい……」
レイモンドが、ぶるぶると震え始めた。
「殺すよりも、生かして支配する……。これが、魔王軍の……ヴァイス参謀のやり方……!」
「我々の誇りも尊厳も、全て奪い去るおつもりか……!」
……いや、だから、そういう精神論はいいから。
俺は、面倒な反乱とかを起こされたくないだけなんだ。
「……これが降伏条件の全てだ。受け入れるか?」
「……う、受け入れます。我々に、選択の余地は……ない」
レイモンドは、力なくうなだれた。
「よろしい。では、すぐに砦に戻り、全部隊に伝達しろ。一時間後、我が軍が砦に入城する」
「……はっ」
「ああ、それと。これを作成しておけ」
俺は、一枚の羊皮紙を差し出した。
「こ、これは……?」
「『物資在庫目録(インベントリーリスト)』だ。食料、武器、医療品、その他資材。項目ごとに、正確な数量を記載しろ」
「こ、こんな……細かい……集計を……今から……?」
「当たり前だ。現状の資産(アセット)を把握するのは、経営(マネジメント)の基本だろう」
俺が何を言っているのか、レイモンドには半分も理解できていないようだった。
だが、俺の赤い瞳を真正面から見ると、恐怖に引きつった顔で、羊皮紙を受け取った。
「りょ、了解、いたしました……!」
レイモンドは、這うようにして執務室を出ていった。
「ふう……。これで、第一段階はクリアか」
面倒な戦闘をせず、砦という資産と、大量の物資、そして労働力まで手に入れた。
戦果としては、上出来すぎる。
……上出来すぎるのが、問題なんだが。
「ボルグ!」
「はっ!」
「これより、砦の占領(プロセス)に移行する。ガドルとザックスの部隊を半分ずつ率いて、入城準備だ」
「はっ!」
「いいか。絶対に、無用な暴力と略奪は禁止する。違反した者は、軍規に基づき厳罰に処す。これは徹底しろ」
「りょ、略奪も……禁止、ですか?」
「当然だ。我々は軍隊だ。野盗の集団じゃない。それに、略奪は、兵士の規律を乱す。管理が面倒になる」
「ははーっ! ヴァイス参謀の、深いお考え……! このボルグ、感服いたしました!」
ボルグが、これ以上ないというほどの尊敬の眼差しで俺を見てくる。
もう、何も言うまい。
「俺は、これより魔王城へ向かう。魔王ゼノン様直々のご命令だ」
「なっ! ま、魔王様から……!?」
「そうだ。後のことは、お前に任せる。俺が戻るまで、この『占領後マニュアル』に従って、捕虜と物資の管理を徹底しろ」
俺は、昨夜のうちに(もちろん定時で)準備しておいた、分厚い書類の束をボルグに叩きつけた。
「こ、これは……!? 『捕虜のシフト管理表』……? 『食料配給の最適化フロー』……?」
「その通りだ。いいな、絶対に、俺の許可なく独断で動くな。何か問題(トラブル)が起きたら、必ず俺に報告(エスカレーション)しろ」
「は、はいっ! お、お任せください!」
ボルグは、神の啓示でも受け取ったかのように、マニュアルを抱きしめている。
……これで、よし。
俺は、重い足取りで執務室を出た。
魔王城。
この世界に来て、最大の「出張」だ。
しかも、クライアントは、絶対権力者の魔王。
「……帰りてえ……」
俺の呟きは、ハイランド砦攻略の歓声に包まれた駐屯地に、虚しく消えていった。
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