第3話
俺が「兵糧攻め作戦」、もとい「PDCAサイクルとKPIによる業務改善」を開始してから、一週間が経過した。
結果は、驚くほど順調だった。
「報告します! 西の谷にて、敵輸送部隊の荷馬車三両を焼き払いました! 我が方の損害、軽傷者一名のみ!」
「第四小隊、負傷した兵士をただちに後方へ搬送! 治癒魔術師が待機しております!」
「敵砦、いまだ動かず! 斥候の報告によれば、砦内では食料の配給を巡って小競り合いが発生している模様!」
ボルグが持ってくる報告書は、素晴らしい成果で埋め尽くされていた。
俺の導入したシステムは、想像以上の効果を発揮していた。
KPI(特に俺の更迭宣告)を恐れた幹部たちは、必死で頭を使った。
どうすれば戦闘を避けられるか。
どうすれば効率よく補給路を断てるか。
どうすれば定時までに報告書をまとめられるか。
結果、第三軍団の損害は、この一週間で負傷者数名のみ。
死者は、ゼロだ。
「墓場」と呼ばれたブラック軍団が、信じられないほどの低損害率を叩き出していた。
駐屯地内の雰囲気も、劇的に改善していた。
以前は、いつ死ぬか分からないという絶望感で淀んでいた空気が、今では活気に満ちている。
「すごい……! ヴァイス参謀の策は完璧だ!」
「ああ……戦わずに勝つとは、このことだったのか!」
「俺たち、生きて帰れるかもしれない……!」
すれ違う兵士たちが、俺に畏敬の念のこもった敬礼を送ってくる。
その目には、以前の恐怖だけでなく、明らかな尊敬の色が混じり始めていた。
……いや、だから、俺はただ死にたくないだけなんだが。
「ボルグ。負傷した兵士の様子はどうだ?」
執務室で報告書をチェックしながら、俺は尋ねた。
「はっ! 参謀が新設された『傷病兵治療センター』にて、手厚い看護を受けております! 兵士たちも、安心して治療に専念できると感激しておりました!」
それも、俺がこの一週間で導入した施策の一つだ。
前世でいうところの「福利厚生」だ。
怪我をした社員を「気合いが足りん」と放置する会社は、すぐに人が辞める。
それは軍隊でも同じだろう。
だから、負傷兵には専門の治癒魔術師をつけ、完治するまで戦闘任務を完全に免除した。
もちろん、その間の給金は全額保障だ。
「なんと手厚い……! これなら、万が一のことがあっても安心だ!」
「ヴァイス参謀のためなら、命も惜しくない!」
兵士たちの士気(モチベーション)は、かつてないほど高まっていた。
……いや、だから命は惜しんでくれ。
死なれると、マジで書類仕事が増えるんだから。
「それと、ボルグ。例の件も進めておけ」
「はっ! 『有給休暇制度』の件でありますな!」
「そうだ。今回の作戦で、KPIを最高評価で達成した部隊には、三日間の特別休暇を与える。家族サービスでも、訓練でも、寝て過ごすでも、好きに使えと通達しろ」
「「「うおおおおおおっ!!」」」
俺の言葉が執務室の外まで漏れ聞こえたのか、近くにいた兵士たちから地鳴りのような歓声が上がった。
「ゆ、有給!? あの伝説の!?」
「三日間も休めるのか!?」
「やった! これで故郷の嫁と子供に会えるぞ!」
魔王軍始まって以来の「有給」導入に、兵士たちは熱狂していた。
これも全て、俺が休みたいからだ。
部下が自律的に動いて成果を出し、勝手にリフレッシュしてくれれば、俺(管理職)の仕事も減る。
部下のモチベーションが上がれば、業務効率も上がる。
効率が上がれば、俺は定時で帰れる。
まさに完璧な好循環(スパイラル)だ。
「ヴァイス参謀……! あなた様は、神か何かですか……!」
ボルグが感動で打ち震えている。
「神じゃない。参謀だ。さあ、ボルグ。お前も今日はもう上がれ。俺も帰る」
「はっ! ありがとうございます!」
俺が快適な職場環境の構築に満足していた、その時だった。
執務室に設置された、魔王城直通の通信用水晶玉が、不気味な光を放ち始めた。
「……チッ。面倒な」
俺が舌打ちすると、水晶玉に一人の魔族の姿が映し出された。
豊満な胸を強調したタイトなドレス。
妖艶な笑みを浮かべる、サキュバス族の女。
第二軍団長、諜報担当のリリスだ。
『あら、ヴァイス参謀。ごきげんよう。ずいぶんと楽しそうじゃないかしら?』
リリスは、俺のやり方を快く思っていない幹部の一人だ。
「これはリリス軍団長。ご苦労様です。おかげさまで、第三軍団は、今日も死者ゼロです」
俺は嫌味を込めて言ってやった。
『ふふっ、死者ゼロ? まだ『お遊び』を続けているのね。戦争をしているつもりなの? それとも、兵士たちとピクニックかしら?』
「成果は出ています。ハイランド砦の陥落も、時間の問題かと」
『成果、ねえ……。第一軍団長のアグニ様は、あなたのやり方にカンカンだったわよ。「魔族の誇りを忘れた臆病者の戦法だ」ですって』
アグニ。
あの、頭の中まで筋肉でできていそうな、脳筋タイプの竜人族の将軍か。
関わりたくない相手だ。
「誇りで腹は膨れませんから。俺は、実利と効率を重視するだけです」
『……その余裕が、いつまで続くかしらね。ああ、そうそう。本題を忘れるところだったわ』
リリスが、意地の悪い笑みを深めた。
『魔王ゼノン様が、あなたに直接お会いしたいそうよ』
「……なに?」
魔王ゼノン。
この魔王軍の絶対的なトップ。
見た目は幼い少女だが、その力は底が知れない。
俺がこの世界で最も関わりたくない、最大のストレス源だ。
『あなたの『ホワイト改革』とかいう奇妙な遊び、魔王様も大変ご興味がおありのようよ。「一体、どんな深謀遠慮があって、あのような策を弄しているのか、直接聞きたい」ですって』
「……深謀遠慮?」
そんなもの、あるわけがない。
俺はただ、定時で帰りたいだけだ。
『至急、魔王城まで出頭なさい。……せいぜい、魔王様を退屈させないよう、うまく説明することね。ふふふっ』
一方的にそれだけ告げると、通信はブツリと切れた。
「…………最悪だ」
俺は頭を抱えた。
俺はただ、ブラック職場を改善して、平和に暮らしたいだけなのに。
なぜ、トップオブトップにまで話が届いているんだ。
「残業禁止」とか「有給休暇」とか、「福利厚生」とか。
あの絶対的な魔王に、どう説明しろっていうんだ。
「魔王様のため、兵士の命を『リソース』として温存し、効率的に運用する『KPI』を設定しました」とか言うのか?
殺される。
絶対に、「お前もリソースとして使ってやろう」とか言われて、最前線に放り込まれる。
俺の胃が、前世ぶりにキリキリと痛み始めた。
その時だった。
「た、大変です! ヴァイス参謀! 大変ですぞー!」
ボルグが、息も絶え絶えに執務室へ転がり込んできた。
「今度はなんだ! もう定時だぞ!」
「そ、それが……! ハ、ハイランド砦の人間どもが……!」
「人間がどうした。打って出たか?」
「いえ! 逆です! し、白旗を……!」
「……は?」
「砦の門から、白旗を掲げた使者が! こ、降伏です! ハイランド砦が、降伏してきました!」
「……なんだと?」
俺の兵糧攻めが、予想より遥かに早く効果を上げたらしい。
ボルグの後ろから、他の兵士たちもなだれ込んできた。
「ヴァイス参謀! すごい! すごいですぞ!」
「一切戦わずに、あの難攻不落と言われたハイランド砦を……!」
「死者ゼロで、砦を陥落させた!」
「ヴァイス参謀、万歳!」
部下たちが、歓喜の声を上げている。
だが、俺はそれどころではなかった。
砦が、落ちた?
このタイミングで?
「……まずい」
「え? 参謀? 何がまずいのですか?」
「戦果だ。戦果を上げてしまった……!」
ただでさえ魔王に呼び出されているのに、こんな「死者ゼロで砦攻略」なんていう、前代未聞の戦果を引っ提げていくことになった。
「あいつら、絶対勘違いするぞ……!」
リリスの含み笑いと、魔王ゼノンの「興味津々」という言葉が、俺の頭を駆け巡った。
「ああ……帰りてえ……」
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