第2話

翌朝。

俺はきっちり定時(午前九時)に出勤した。

前世では考えられない、健康的な起床時間だ。

執務室に入ると、すでにボルグが待機していた。

目の下のクマが、昨日より少し薄くなっている。

「おはようございます、ヴァイス参謀! 本日もご指導、よろしくお願いいたします!」

やけにハキハキとした挨拶だ。

「ああ、おはよう。昨日の『定時帰宅命令』は、全軍に通達されたか?」

「はっ! 滞りなく! 昨夜は、駐屯地開設以来、初めて全兵士がベッドで眠ったと、古参兵たちが泣いて喜んでおりました!」

「……そうか」

泣くほどのことか。

どんだけブラックだったんだ、この軍団は。

「それで、早速ですが、昨日の調査結果が一部上がってきております!」

ボルグが興奮気味に書類を差し出す。

「ほう。早いな」

「はい! 昨夜ぐっすり眠れたおかげで、偵察部隊の頭が冴え渡っていたそうであります!」

内容は、まだ粗削りだが、重要な情報がいくつか含まれていた。

「なるほどな。やはり、ハイランド砦の補給路は、西の『蛇の谷』一本か」

「はい。ですが、谷は狭く、守りも固いと……。やはり、強襲するしか……」

「だから、強襲はしないと言っているだろう」

俺はため息をついた。

「幹部を集めろ。作戦会議だ。この腐った思考回路を、根本から叩き直す」

「はっ! ただちに!」


一時間後。

第三軍団の幹部たちが、薄暗い作戦室に集まっていた。

オークの部隊長、ガドル。

リザードマンの小隊長、ザックス。

ゴブリンの斥候長、ギギ。

どいつもこいつも、いかつい顔をしている。

そして全員が、前世の「無能な上司」と同じ目をしていた。

思考停止し、前例踏襲しかできない目だ。

「さて。単刀直入に言う。昨日までの、お前たちの戦い方は全部捨てろ」

俺の第一声に、幹部たちがざわめいた。

「ヴァイス参謀。それは、どういう意味ですかな?」

オークのガドルが、不機嫌そうに低い声で尋ねてきた。

こいつは脳筋タイプだ。面倒くさい。

「言葉通りの意味だ。お前たちのやっていることは、戦争じゃない。ただの犬死だ」

「なっ……! 言わせておけば……!」

ガドルが怒りで立ち上がろうとする。

だが、俺はそれを視線で制した。

「お前たちが崇拝していた『死霊突撃作戦』。あれで勝てると思っていたのか?」

「ぐっ……! そ、それは、兵士の士気と犠牲によって……」

「精神論は聞き飽きた。いいか、これからは俺のやり方でやってもらう」

俺は懐から、昨日一晩かけてまとめた資料を取り出した。

もちろん、定時で帰宅した後、宿舎でリラックスしながら作ったものだ。

「第三軍団は、本日より『PDCAサイクル』を導入する」

「「「ぴーでぃーしーえー……?」」」

幹部全員が、ポカンとした顔で復唱した。

「……なんの呪文ですかな? 新しい死霊魔術の?」

ガドルが首を傾げる。

「呪文じゃない。常識だ」

俺は作戦室の壁に掛けられた黒板(のような魔道具)に、前世で嫌というほど叩き込まれた図を描いた。

「Plan。計画だ」

「Do。実行する」

「Check。実行した結果を評価する」

「Action。評価に基づいて、計画を改善する」

「この流れを、徹底的に繰り返す。それだけだ」

幹部たちは、黒板の図と俺の顔を、意味が分からないという表情で交互に見ている。

「ヴァイス参謀。それが、どう砦の攻略と繋がるので?」

リザードマンのザックスが、冷静(なフリをして)尋ねてきた。

「いい質問だ。今から、今回の『Plan(計画)』を発表する」

俺は黒板に、ハイランド砦の簡単な見取り図を描いた。

「今回の計画は『兵糧攻め』だ」

「「「兵糧攻め!?」」」

今度こそ、全員が驚きの声を上げた。

「そ、そんな悠長な! 我らは魔王軍! 勇猛果敢に正面から敵を粉砕するのが……!」

ガドルがまた立ち上がった。こいつは本当に面倒だ。

「うるさい。座れ。お前の言う『勇猛果敢』とやらで、今まで何人死んだ?」

「そ、それは……」

「俺は死なない戦い方がしたい。無駄な血は流さん。いいか、俺の計画はこうだ」

俺は、砦に繋がる唯一の補給路『蛇の谷』を指差した。

「『Do(実行)』。ガドルのオーク部隊は、砦の正面に陣取る。だが、絶対に攻撃するな。包囲していると見せかけるだけでいい」

「なっ!? 戦うなと!?」

「そうだ。戦うな。お前たちの役目は、敵を砦に釘付けにすることだ」

「では、誰が敵を……」

「ザックスとギギの部隊だ。お前たちには、この『蛇の谷』を徹底的に叩いてもらう」

「補給路を、ですか?」

「そうだ。だが、敵の輸送部隊と正面からぶつかるな。奇襲だ。ゲリラ戦を展開しろ」

俺は説明を続けた。

「『Check(評価)』。ギギの斥候部隊は、敵の備蓄がどれだけ減ったか、毎日欠かさず報告しろ。敵兵の士気の低下もだ」

「『Action(改善)』。敵が谷の守りを固めたら、すぐに撤退しろ。そして、別の時間、別の場所で再び補給路を叩く。これを敵が根を上げるまで繰り返す」

俺の作戦説明が終わると、作戦室は水を打ったように静まりかえった。

幹部たちは、誰もが信じられないという顔で俺を見ている。

やがて、ガドルが震える声で口を開いた。

「……なんと。なんと、恐ろしい策だ……」

「は?」

「戦わずして、敵の心を折る……。砦の中で、じわじわと飢えさせていくというのか」

「兵士の命を一切危険に晒さず、最小の労力で最大の戦果を……」

ザックスも目を見開いている。

「これが、ヴァイス参謀のお考えか……! 我々がやっていたのは、確かに犬死だった……!」

ギギも感動したように頷いている。

……いや、違うんだ。

俺はただ、正面からぶつかって死ぬのが怖いだけだ。

面倒な白兵戦より、遠くからチクチクやる方が楽だろう?

それに、部下が死んだら、その分の仕事が全部俺に回ってくる。

前世で、インフルエンザで倒れた同僚の仕事を押し付けられた、あの地獄はもう二度と味わいたくない。

「勘違いするな。これは、効率の問題だ」

俺は咳払いをして、続けた。

「だが、お前たちに、この作戦を正しく実行できるか不安が残る」

「「「むっ……!」」」

「そこで、お前たち幹部には、明確な目標を与える。これからは『KPI』で評価する」

「けーぴーあい……?」

またしても、幹部たちが呪文を復唱した。

「『重要業績評価指標』だ。難しく考えるな。お前たちに課すのは、たった二つだ」

俺は指を二本立てた。

「一つ。『兵士の生存率95%以上』の達成」

「「「きゅ、95%!?」」」

「む、無茶だ! 戦争ですぞ!」

「いいや、無茶じゃない。俺の作戦(戦闘回避)を守れば、達成できる数字だ」

「二つ目。『作戦行動時間の厳守』。つまり、定時だ。日報や報告書の提出が、定時を1分でも過ぎたら、お前たちの評価は最低になる」

「そ、そんな……! 生存率と……時間を……!?」

幹部たちの顔が、一気に青ざめた。

「そうだ。この二つのKPIを達成できない隊長は、即刻更迭する。部下ごと、最前線の弾除けにでも回す」

もちろん、そんな権限は俺にはないし、面倒だからやる気もない。

ただの脅しだ。

だが、効果は絶大だった。

「ひいっ……!」

「こ、更迭……!?」

「なんと……! 我々幹部に、一切の失敗は許されないという重圧……!」

「兵士の命を守ることを最優先としながら、我々指揮官には冷徹な結果のみを求める……!」

「これが、新たな参謀殿のやり方か……! まさに、冷血非道……!」

なぜか、俺の評価が「冷酷非道な策略家」として、さらに強固なものになっていく。

違う。

俺はただ、部下に死なれると後処理が面倒だし、ダラダラ残業されると俺が帰れないから言っているだけなんだ。

「……分かったら、さっさと『Plan(計画書)』を部隊ごとに作り直せ。今日の定時までだ。もちろん、残業は許可しない」

「「「は、はいっ!!」」」

幹部たちが、さっきまでの死んだ魚の目とは違う、恐怖と(なぜか)やる気に満ちた目で一斉に敬礼し、作戦室を飛び出していった。

「行くぞ! ヴァイス参謀の期待に応えるんだ!」

「KPI! 絶対に達成するぞ!」

「定時までに最高の計画書を作るんだ!」

……まあ、いい。

これで少しは、軍隊がまともに機能するようになるだろう。

俺は一人、執務室に戻ると、ボルグに命じた。

「ボルグ。最高級のハーブティーを淹れてくれ。ちょっと疲れた」

「はっ! ただちに!」

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