第5話 “安全って言ったのに減ったじゃん”を直で受けたくないから、俺に聞いてくる
木曜。雨。
窓に水滴が線を描いて、商店街の音がちょっと遠い。
俺たちはいつもどおりホワイトボードの前にいて、「今日買うならどれ?」をやってた。
「私はこれです」
千紗が出したのは、昨日ニュースに出てた中型のメーカー。
①新工場の稼働が予定どおり
②今月は5,000円まで
③−2.5%でいったん外す
④金曜チェック
「OK。数字が全部あるからOK」
「やった」
ノノもすぐ続ける。
「私はこのサービス会社。
①SNSで伸びてる
②3,000円でおためし
③−3%でやめる
④来週火曜にもう一回見る」
「はいOK。もう書式でできてる」
真白がニコニコしながら言う。
「こうして見ると、“買った”よりも“いつ見るか書いた”ほうが安心ですね」
「そう。見る日がある投資は怖くない」
そうやって平和にやってたら――ピロン、と俺のスマホが鳴った。
送信者:御堂。
御堂:
お前まだ会社にいるか
ちょっと聞きたいことがある
「うわ、来た」
俺がそう言うと3人とも前のめりになった。完全におもしろいものを見る顔だ。
「元のとこですか!」
「“安全です”の人!?」
「どんな顔してるのかな今」
俺は一瞬だけ迷ってから、出た。スピーカーにはしない。
「はい、長谷川です」
「おう。……お前、今、暇?」
「忙しくはないです。なんです?」
「“安全って言ったのに減ったじゃん”ってさ」
「はい」
「俺にくるんだよ」
「でしょうね」
「そしたらさ、“安全って言ったら減らないと思うじゃないですか!”って言われんの」
「でしょうね」
「だから聞きたいんだけどさ。
“安全って言っても3%は動きます”って、最初に言っとくのってアリ?」
「アリです。というか最初に言っとかないと今みたいになります」
「だよなぁ……」
御堂の声が1トーン落ちた。雨音が混じる。
「でもさ、それ言うとさ、“じゃあ安全じゃないんだね”ってなるじゃん」
「なりますね」
「それがやなんだよ」
「なので、“安全”って言葉をやめてください」
「……は?」
「“このくらいの幅で動くことはあります”でいいです。
“安全”って言った瞬間、“じゃあゼロだな”って思う人が出るので」
「ゼロは無理だろ」
「だから最初に書くんです。“今回の幅はここまで”って。
あとは“この幅を超えたらいったんやめます”って書いとけば、
“安全って言ったのに”が“ここまでって言いましたよね”に変わるので」
電話越しに、御堂が小さく舌打ちした。
「お前なぁ……そういうこと言うとさぁ……」
「バレますか?」
「バレるんだよ。“今までなんで言ってなかったんですか”って。
“いや〜言うタイミングなくて”ってなるだろ」
「なりますね」
「だからお前がクビなんだよ」
「そこにつながります?」
「つながる。お前がいると“最初に言っときゃよかった”が全部出るの。
こっちは“なんとなくやってま〜す”でやりたいの。分かるか」
「分かりました。じゃあこうしましょう」
俺はPCを開きながら言った。
「“安全”って言いたいとき用の文をひとつ作ります。
“安全”を最後にするんじゃなくて、真ん中にするやつです」
「真ん中?」
「はい。たとえば――」
俺はそのままチャットに打ち込んだ。
【案】
今回の銘柄は長期で安定していると判断し採用しました。
市場全体の動きにより一時的に2〜3%動く可能性はありますが、
あらかじめ許容として見込んでいます。
この範囲までは予定どおりです。
送信。
電話の向こうで、御堂が「……」と黙った。
数秒してから。
「……これなら、“減るって言ったな!”ってならねえな」
「ならないです。先に“2〜3%は動きます”って言ってるので」
「“予定どおりです”って書くのがミソか」
「そうです。
“減りました。安全です”だと、さっきみたいに“安全じゃないじゃん”って言われるので」
「はぁ〜〜〜〜〜……」
御堂が長くため息をついた。
雨がガラスを叩く音が、ちょっとだけ大きくなる。
「お前、やっぱお前なんだよな。
こういう“最初に書いとけ”ってやつ、俺、ずっとやりたくなかったんだよ」
「やらなかったから怒られてるんじゃないですか」
「うるせえな」
そこでまた通知。
さっき送った文が、そのまま元の投資部門チャンネルに貼られた。
【投資部門】
今回の下落は市場全体の動きによるもので、
2〜3%の範囲はあらかじめ許容しています。
この範囲までは予定どおりです。
(一部は現金化済)
「採用されたじゃないですか」
「採用すんなよ即」
「これで“安全って言ったのに”は減りますよ」
「……お前が最初から書いときゃクビにしなくて済んだのにな」
「クビにしたのそっちです」
「そうだったわ」
通話を切ると、3人が一斉に寄ってきた。
「なんて言ってました!?」
「“安全って言ったのに減った”って怒られたって」
「やっぱり〜〜〜!!」
千紗がホワイトボードに書いた。
“安全”は最後じゃなく真ん中に置く
「これで向こうも、ちょっとはまともになりますね」
真白が笑って言う。
「なんか、向こうのほうが“投資の練習”になってません?」
「なってる。こっちで作った文をあっちが使ってるので」
ノノもにこにこしながら言った。
「じゃあ次、“安全っぽい高配当ってどれですか”って聞いてきたらどうします?」
「“安全っぽい”って言葉はこの世に存在しません、って返します」
「いいですねそれ!」
窓の外の雨は止みかけていた。
元の会社は今ごろ、さっきの文を読み上げてる。
“今回は予定どおりです”って、やっと言えるようになってる。
……でも、最初から言っときゃ楽だったのにな。
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