第9話 厳しさと優しさとクッキーと
「坊ちゃま! もう逃げれませんよぉっ★」
血に餓えた猛獣に捕まってしまった……俺は、これから殺さ……。
「はうあ!?」
や……やわらかい……?
そのうえ、思わずうっとりするような甘い匂いがする。
「ぎゅううう~っ!」
なんてことだ! チュチュ君が、胸に抱きしめる形で俺を捕まえているッ!?
「動きが遅いですねぇ~。そんなんじゃ、す~ぐ捕まっちゃいますよぉ?」
スイカのように大きく張りがあり、それでいてマシュマロよりも柔らかい……❤
「う、うん……」
捕まってよかった……。
「動きが遅いのは、体が重いからですねぇ。やっぱり~、もっとダイエットしないとダメですなぁ~」
ここで唐突に! 幸せ過ぎる問題が発生ッ!
やわらかく巨大がゆえに、顔を包み込んでくる!
超豊満密着フィットおっぱいが、俺の鼻と口を塞ぐッ!
「い、息ができない……」
お、おっぱいに殺される!
う、うそだろ……。
こ、こんなことがあっていいのか……ッ!?
「やめい! ぱふぱふで人を殺すやつがあるかいッ!」
あっ、やばい……つい怒鳴ってしまった。
「はわわっ!? ついつい、思いっきり抱きしめちゃいました。てへっ★」
解放されたらされたで、寂しい……あのままでも、よかったのかもしれない……。
だが、あのままだったら、「拝啓、死因はぱふぱふです!」って、あの世の新入生歓迎会で自己紹介するハメになってたな……。
「ごめんちゃいっ★」
雑な謝罪にイラっとしても、刺激してはいけない。絶対に。
なぜならば、チュチュ君は美少女の形をした獣――。
愛らしいケモ耳と魅惑のおっぱいに惑わされてはいけない。
「こっちこそ、ごめんね。大きい声出しちゃって」
猛獣と接するように、細心の注意を払わねば……。
「いいえ~★ お気になさらず~」
「えっ、優しい……すき」
「えへへ~★」
妙なやり取りはともかくとして――。
チュチュ君との戦闘訓練で、ハッキリとわかったことがある……。
生存のために必要なのは……戦闘技術より逃走技術だッ!
闘争より逃走が大事……つまり、逃げ足の早さが生死を決めるッ!
当初の考えだった――『破滅に立ち向かい、戦って勝つ!』みたいなのは、現実を知らない脳みそお花畑の甘ったれたクソガキの都合のいい妄想だった。
現実的に考えて、『困難から逃げて、負けない!』がベスト!
「でもあれですねぇ、逃げる獲物を見るとつい昂ぶっちゃいますなぁ。坊ちゃまが怒鳴らなければ、強く抱きしめすぎて窒息死させてたかもしれませんよぉ~。あはは~★」
「ゆるふわな感じで、怖いこと言わないで!」
つか、ペヨルマはどうやって、この『人懐っこい猛獣みたいな激ヤバメイド』を大人しくさせてたんだ?
ペヨルマに猛獣使いだの催眠術師だの『それっぽい設定』は無かったのに……。
「さてさてのさてっ! 遊び疲れたので、そろそろ休憩にいたしましょうっ★」
にこにこ顔のチュチュ君が、地面にかわいげなシートを広げる。
そして、持ってきていたバスケットから、おもむろに水筒やら茶器だのお菓子を取り出して、てきぱきと休憩の準備をしていく。
「ピクニック感覚でのんびり休むより、ポーションで体力回復すればよくない?」
「よくないです~。しっかり休むことは、訓練と同じぐらい大事ですよぉ~★」
「つっても、入学テストまで時間がないし、自分の能力不足も感じているから、できるだけ訓練しておきたいのだけれども……」
反論するなり、チュチュ君がじぃ~っと見つめてきた。
「今の坊ちゃまは、わたしの教え子ですよ?」
……まいったな。年上のお姉さんに叱られてる気分だ。
「訓練は、チュチュ君に任せてたね。素直に言うことを聞くよ」
「えらいえらいっ★」
なでなで、すき。だって、幼き日を思い出すから。
「ぢゃぢゃーんっ★ 見てくださいっ、クッキーを焼いたんですよぉ~っ★」
無邪気な笑顔を弾けさせるチュチュ君が、得意げにクッキーを差し出してきた。
「これって……まさか、毒入りじゃないよね……?」
「まあっ! なんて失礼な、坊ちゃまでしょうっ!」
「ごめん。自分で言ってても、失礼だとは思うのだけど……」
「じゃあ、言わないでくださ~い」
「でも、このクッキー……ヤバい臭いが漂ってきているのだけれども……?」
服の生乾き臭と血の匂いとおっさんの加齢臭が三位一体となって、強引なジェットストリームアタックで鼻を蹂躙してくる!
ぼえッ! 体が弱い奴なら死んでるレベルの悪臭だッ!
「むせる! 女の子の手作りクッキーにあるまじき、呪われし存在ッ!」
「んもう! さっきから、なんですかっ!? 栄養と水分を瞬時に補給できる特別な薬草と果実を練り込んであるだけの『普通のクッキー』ですよぅっ!」
「その薬草と果実……人体に悪影響のある危ないブツじゃないだろうね……?」
戦闘訓練をやり始めてからのチュチュ君、なんか無茶してきてこわいんだよなぁ……。
「そんなわけないじゃないですかぁ~っ★」
「ほ、ほんと……?」
「ほんとにほんとですよっ★ さあ、たぁんと召し上がってくださいっ!」
「可愛さと必死さが、不穏なり!」
きらきらおめめが、超怖い!
「坊ちゃま! このままでは命にかかわりますよっ! もう既に体が重かったり、頭がクラクラしていませんか? 激しい運動の後は、栄養が不足して体力や集中力がなくなるんです! そこで、このクッキーで素早く栄養補給して回復するんですよっ★」
怪しげなサプリを売ってくる筋トレ系インフルエンサーと化したチュチュ君だった。
「超絶かわいくってお料理上手なわたしの手作りクッキーと、そこらで売ってるしょーもないポーション……」
チュチュ君が真剣な眼差しで詰め寄ってきたと思ったら、突如として誘惑するかのように俺の首に手を回してきた!?
「どっちで回復するんですかぁ~?」
「ど、どっちって……」
やばい……間近で見ると、やっぱり尋常じゃないぐらい可愛い!
きゅるきゅるの大きな目に見つめられると、それだけで思わず照れてしまう。
「なーんてねっ★ 困っちゃいましたっ?」
いたずらっぽい笑顔で、おでこを指でツンと突かれた。
やだ、あの頃よりもずっとすき。恋しそう……っ💘
「今の坊ちゃまは、わたしの教え子! 教え子ならば、清楚でかわいい先生の言うことを聞けぃぃぃーっ!」
豹変は唐突に!
「ぎえええ! まずいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」
「マズくないですよぉっ!」
「臭いと同じ味! マズいに決まってんだろッ!」
せ、性格がゲームと違いすぎるッ!
主に従順で大人しいメイドじゃなかったのかッ!?
「やだ。坊ちゃま、なんか苦しそう……でも、頑張ってくださいっ★」
「な、なんで他人事やねん……お前が食わせたんやぞ……!」
これでは、天衣無縫の畜生メイドだ!
「あぁ……なんか、意識が……」
クッキーがマズすぎたのか、ヤバい物質が入っていたのか……いや、たぶん両方だ。
その証拠のように、危険な感じの眩暈がしてきた。
「や、やっぱり……毒が入っ……て……」
「毒じゃないですってばぁっ! あるとすれば、薬効ですっ! 強制的に休憩できる効果がある薬草が入っているんですよっ★」
それを毒というのでは……?
「きょ、強制的に休憩……ま、まさか、死の暗喩……?」
「違いますよっ!」
強烈な眩暈と眠気で薄れゆく意識の中、チュチュ君が俺に手を伸ばしてくる。
「そろそろ効いてきたみたいですねぇ!」
き、きいてきた……やはり、ど……どく……?
「さあさあ! そのままお昼寝しちゃってどうぞ~っ★」
不穏なことを口走ったチュチュ君は、倒れる俺の頭を丁寧に膝の上に乗せた。
「頑張ってるご褒美に、わたしのお膝を貸してあげましょう~」
「飴と鞭の比率が合ってない気が……」
「でも、飴がとっても甘~いから、おっけーっ★」
やり方に問題しかないとはいえ、チュチュ君はいつもそばにいて世話を焼いてくれる。
これだけは、純然たる事実だ。
無邪気過ぎるだけで、悪意はないと信じたい……!
「さあ。お気を楽にして、目を閉じてくださぁ~い」
膝枕、すき。そこにだいたい愛があるから。
……なんで俺は、自分をボコボコにしばき倒してきた女の子の膝の上で寝ているの?
実体験でも謎なのに、言葉にするとますます意味がわからなくなる。
人生がいきなり変わりすぎ……というか、世界が違う。マジで異世界。
朝から寝るまでずっと、今までの常識を壊すようなことばかりが起きる。
思考や体感は現実感しかないのに、起きることが非日常すぎて現実感がない――。
「目が覚めたら、きっと元気になっていますからねぇ~」
でも、チュチュ君の膝枕の柔らかくて暖かい感触は、紛れもない現実だ。
「そうしたらぁ~」
信じられないことばかりのこの世界で唯一信じられるのが、チュチュ君だ。
今はただ、信じられるチュチュ君を信じてやっていくしかない。
とりあえず、今はそれだけでいい。
「そうしたら……?」
「また特訓ですっ★」
いや、やっぱよくないかも。
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