後編
ジュリアス殿下の国――アストリア王国は、エドワード殿下の国とは比べ物にならないほど、豊かで、秩序だった国だった。
私は、彼の計らいで、王宮の離宮に「客人」として滞在することになった。
身分は「訳あって保護した、遠縁の貴族」ということにされているらしい。
「……イザベラ。体調はどうだ」
「あ、ジュリアス殿下。……その、お陰様で。お風呂も、お食事も……何から何まで、ありがとうございます」
あの日、泥だらけだった私は、城に運び込まれるやい侍女たちによって(それはもう丁重に)清められ、上等なドレスを与えられ、温かい食事を与えられた。
まるで、夢を見ているようだった。
「……そうか。なら、いい」
ジュリアス殿下は、私が離宮の庭で(侍女に言われて)日光浴をしているところに、やってきた。
彼は、毎日、こうして私の様子を見に来てくれる。
「……あの、殿下」
「なんだ」
「……なぜ、私に、ここまでしてくださるのですか?」
ずっと、聞きたかったこと。
私は、ただの追放された「悪役令嬢」だ。
彼に、こんなにも尽くしてもらう義理は、何一つない。
「……」
ジュリアス殿下は、私の隣のベンチに静かに腰を下ろした。
「……君は、自分があの国(エドワードの国)で、どれだけ有能だったか、分かっていない」
「え?」
「君の父上、アルノー公爵は、有能な宰相だった。だが、彼を裏で支え、実質的な政策の細部を詰めていたのは、君だと聞いている」
「……! どこで、それを……」
「三年前の、あの一件で確信した。……君は、国を動かせる『頭脳』を持っている」
「……」
(……買い被り、すぎだ)
「……私は、ただ、父様のお手伝いを……。それに、結局、私は……『悪役』として、追放されただけです」
うつむく私に、ジュリアス殿下は、静かに言った。
「なら、その『頭脳』、俺にくれないか」
「……はい?」
顔を上げると、彼の紫色の瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。
それは、あの夜会でエドワード殿下が私に向けた「軽蔑」とは、まったく違う。
熱を帯びた、「欲」の色。
「……俺の国は、豊かだと言われている。だが、まだ足りない。官僚制度、福祉、教育……改革すべき点は山積みだ」
「……」
「イザベラ。……俺の、妃になってほしい」
「………………は?」
(……ん? 今、なんて?)
(ひ、妃……?)
「……殿下。あの、私、聞き間違いを……」
「していない」
ジュリアス殿下は、私の手を取り、その甲に、そっと口づけを落とした。
「……っ!」
「君が『悪役令嬢』? 冗談だろう」
彼は、私の目を見て、はっきりと告げた。
「君こそが、俺が探し求めていた、唯一無二の『宝珠』だ」
(た、宝珠……!?)
(いや、待って、展開が早すぎる!)
「で、ですが! 私には『聖女を虐げた』という、黒い噂が……! 殿下の、ご迷惑に……!」
「ああ、あの『聖女』か」
ジュリアス殿下は、心底つまらなそうに、鼻を鳴らした。
「……面白い情報が入っているぞ」
「え?」
「君を追放した後、エドワードの国は、大変なことになっているらしい」
「……!」
ジュリアス殿下(の、優秀な諜報部)によれば。
私とアルノー公爵家がいなくなったことで、国の内政は一気に停滞。
頼みの「聖女」マリア様は、祈るだけで、具体的な政策は何も生み出せず、エドワード殿下は彼女を甘やかすばかり。
「おまけに、マリアの『聖女の力』とやらは、どうやら『男を魅了する』だけの、低俗なものだったようだ」
「……ええ!?」
「今や、エドワードの周りは、マリアに骨抜きにされた貴族だらけ。まともな政治など、できるはずもない」
「そ、そんな……」
(……自業自得、とはいえ……)
(私の愛した国が……)
「……イザベラ」
私の不安を察したのか、ジュリアス殿下は、私の手を強く握った。
「君は、もう、あの国のことを考える必要はない」
「……」
「俺だけを、見ていろ」
(……!)
その強い言葉に、私の心臓が、大きく跳ねた。
(……この人は、本気だ)
(私を、本当に、必要としてくれている)
エドワード殿下は、私を「便利な道具」としか見ていなかった。
マリア様は、私を「邪魔な存在」としか見ていなかった。
でも、この人は。
ジュリアス殿下は、私を「イザベラ」として、見てくれている。
「……ジュリアス、様」
「なんだ」
「……私、は……『妃』としては、不釣り合い、かもしれません」
「……」
「『悪役』と、呼ばれた女です。……でも」
私は、彼の手を、強く握り返した。
「……もし、それでも、よろしければ。……あなたの『翼』として。……あなたの、そばに、いさせて、ください……」
ジュリアス殿下は、一瞬、目を見開いた。
そして、あの霧の森で見た時よりも、ずっと深く、優しく。
笑った。
「……ああ。……いや、ダメだ」
「え?」
「『そばにいる』だけでは、足りない」
彼は、私を引き寄せ、その腕の中に、強く抱きしめた。
「俺は、君のすべてが欲しい。……イザベラ」
「……ジュリアス、様……」
(……ああ、この人は)
(氷血の王子なんかじゃない)
私だけに向けられる、燃えるような、熱い独占欲。
「……絶対に、お前を離さない」
(……私、今、世界一、幸せかもしれない)
*
――数週間後。
アストリア王国王太子、ジュリアス殿下と、素性不明の(しかし、絶世の知性を持つという)「宝珠の姫」イザベラとの、電撃的な婚約発表は、各国に衝撃を与えた。
特に、エドワード殿下の国は、大騒ぎになったらしい。
「なぜ、あの『悪役令嬢』が、隣国の完璧な王子と!?」
「騙されているに違いない!」
「今すぐ、イザベラを取り戻せ!」
……だが、時すでに遅し。
ジュリアス殿下は、婚約発表の場で、こう言い放った。
「我が妃を『悪役』と呼ぶ者は、アストリア王国、すべての敵とみなす」
(……それ、やりすぎです、ジュリアス様)
(と、言ったのに、『これでも、まだ足りない』と、あの顔で……)
私は、新しい国で、完璧すぎる(そして、独占欲が強すぎる)夫に守られ、溺愛されながら。
「悪役令嬢」ではなく、「宝珠の妃」として、新しい人生を歩み始めている。
(終)
冤罪で追放された悪役令嬢ですが、隣国の完璧王子が「君だけが欲しい」と溺愛してくるのは何故ですか? Shi(rsw)×a @Shirasawa_
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