第16話 美月のブレンド⑦ 再び灯る手紙

カフェ・デ・ソルテの扉が、静かに開いた。

夕暮れの光が差し込む中、見慣れない制服の少女が一人、店内に入ってきた。


 


美月は、窓際の席でノートを閉じたところだった。

顔を上げると、目が合った。


 


——あの子だ。


 


彼女は、少し緊張した様子でカウンターに立ち、マスターに何かを告げた。

マスターは、静かに頷いてから、美月の方へ視線を向けた。


 


「美月さん。お客様が、お話したいことがあるようです」


 


彼女は、ゆっくりと美月の席に近づいてきた。

そして、少しだけ俯きながら言った。


 


「……手紙、読みました。

筆跡ですぐにわかりました。

ずっと、また言葉が欲しいって思ってました」


 


美月は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

言葉が届いたこと。

そして、こうして目の前に来てくれたこと。


 


「……ごめんね。

私から文通を途絶えさせてしまった。

走ることをやめたとき、何も言えなくなってしまって……」


 


彼女は首を振った。


 


「私も、何度も書こうと思って、でも出せなくて。

でも、あの手紙を読んで、もう一度話したいって思いました」


 


美月は、そっと微笑んだ。


 


「ありがとう。来てくれて、本当に嬉しい」


 


マスターが、二人分のカップを静かに置いた。

香ばしいグアテマラと、やさしい甘みのペルー。

再び繋がる言葉に寄り添う、静かなブレンド。


 


「どうぞ。再会の灯りに添える一杯です」


 


二人は、カップを手に取り、静かに口をつけた。

やわらかな酸味と、ほのかな甘みが、胸の奥に広がっていく。


 


「……この味、懐かしい気持ちになりますね」


 


美月は、彼女の言葉にそっと目を向けた。

カップの縁に残る温もりと、胸の奥に広がる静かな甘み。

それは、かつて交わした手紙の記憶にも似ていた。

便箋に綴った言葉、封筒の手触り、ポストに向かう足取り。

そして、途絶えてしまった時間の重さも。


 


それでも今、こうして目の前に彼女がいて、

同じ味を分かち合っていることが、何よりも嬉しかった。


 


「うん。」


 


美月は、少しだけ息を整えてから続けた。


 


「書いた言葉って、時間が経っても消えないんだね。

あの頃の気持ちって、ちゃんと残ってるんだなって……」


 


しばらくの沈黙のあと、彼女が鞄から便箋を取り出した。


 


「実は、私も書いてきたんです。

まだうまく言えないけど、読んでほしくて」


 


美月は、そっと受け取った。

封筒の手触りが、過去の記憶を静かに呼び起こす。


 


「ありがとう。

また、文通……してもいい?」


 


彼女は、少し照れたように笑った。


 


「もちろんです。

今度は、言葉を続けていきたいです。

走ることも、迷うことも、全部含めて」


 


窓の外では、風が静かに吹いていた。

季節の境目を撫でるように、柔らかな光が差し込んでいた。


 


美月は、便箋を胸に抱きながら、そっと呟いた。


 


「言葉って、灯りになるんだね。

止まっていた時間にも、ちゃんと届くんだ」


 


マスターは、静かに頷いた。


 


「ええ。言葉は、再び灯るものです。

あなたが紡いだものは、もう誰かの中で息をしています」


 


カフェの空気は、静かに温かかった。

そして、二人の間には、再び言葉の風が吹き始めていた。

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